東大寺の南大門を出て、九条通りを西に500mほど行くと、右手の住宅街
に埋るように小さな公園が有り、そこに「羅城門遺跡」と書かれた石柱が建
っている。うっかりしていると、通り過ぎてしまいそうなほど目立たない奥まっ
た地である。大した遊具も無い小さな公園で、園内に遊ぶ子供の姿はなく、
代わりに老婆が一人、木陰でたばこをふかしていた。
この羅城門と言うのは、平安京の中心を貫く朱雀大路の南の端に設けら
れた大門のことで、都の表玄関に当る場所になり、この門の西と東に官営
寺院である西寺と東寺が建っていた。
丁度この線が京の都の内外、いわゆる洛中・洛外を分けていたことに成る。
平安京に200年近くその威容を誇っていた羅城門は、暴風雨により倒壊す
ると、その後は再建されることも無く、礎石などは他の寺院などの建立で持
ち出されたらしく、近年の発掘調査でもその遺構は何ら見つかってはいない
と言う。
余談にはなるが、芥川龍之介の小説「羅生門」なども有り、昔は「羅生門
(らしょうもん)」と習った記憶が有るが、今は「羅城門(らじょうもん)」と表記
も読みも統一されているらしい。
この羅城門から真っ直ぐに南下し下鳥羽から鴨川の堤防沿いに、淀の納
所まで結ぶ街道が「鳥羽街道」である。
江戸時代においては、京都や大阪に向かう主街道であることから「京・大
阪道」とも呼ばれていた。
そしてこの道は納所の先で木津川を渡り、石清水八幡宮のある八幡の地で
「東高野街道」へと結ぶ信仰の道でもあった。(続)
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