久しぶりに京都駅の八条口に降り立った。
京都を列車に乗ったまま通過することは有っても、中々降りる機会も無く、
まして裏口である八条口に降り立つなぞ何年ぶりのことであろうか、俄か
に思い出すことも出来ないぐらい遠い昔のことである。
しかし、記憶に残る駅の裏口(八条口)は一新されていた。
もう裏口(八条口)とは言えない。時代遅れのイメージが恥ずかしくなる。
まさにここは、国際観光都市・京都の玄関、明るい駅が眩しいほどだ。
制服に身を包んだ修学旅行の学生や、大きな旅行カバンを下げた日本
人旅行者に限らず、外国人の家族連れ、カップル・グループなど大勢の観
光客がコンコースを行き来し、国際色も豊かに活気に満ち溢れている。
駅を出て、大きなホテルやオフィスビルの建つ八条通りを西に向かい、
油小路通りで左折、伏見稲荷の御旅所を右に見て九条通りを右折する。
暫く行き、近鉄京都線の東寺駅横の高架を抜け直進すると、その前方に
東寺が見えて来た。
新幹線の車窓から見る五重塔が、今目の前に一際威容を誇っている。
平安京の都市計画の一環として、羅城門を挟んで西と東に官営寺院が置か
れ、都の霊的な守りとすることになったのだが、これは平安遷都に際し、
平城京の寺院が平安京内に移転し、寺院による政治的な介入を嫌った桓武
天皇の意向が働いてのことであった。
東寺は羅城門の東に位置していたからこのように呼ばれているが、教王
護国寺が正式な寺名で、西暦800年代、嵯峨天皇より空海に下賜された寺
である。
讃岐の満濃池の修築や、古寺の復興などで見られた空海の経営手腕が
注目されてのことであったと言う。(続)
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