簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

三島宿(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-05-03 | Weblog

 この地は東海道の宿場町であると同時に、下田街道や甲州街道が交差する
交通の要衝として知られたところだ。
更には三嶋大社の門前町とあって大層な賑わいを見せた町でもある。



 特にこれから箱根を目指す旅人には英気を養う場所として、また山を下っ
て来た旅人は疲れを取るしばしの休息地として利用したと言うから、その賑
わいは相当なものであったと思われる。
鋭気の補強には、一様に名物のウナギでも食していたのであろうか。
今でもこの町には、うなぎと書かれた暖簾を掲げる店が多い。



 当時の宿場人口は4000人余り、戸数は1000戸余り、本陣が2軒、脇本陣は
3軒、旅篭の数は何と70軒を超えていたと言う。
人足が一人34文に対し、飯盛り女郎は500文と言われ、当時のガイドブックに
は「いにしえより名高し」と書かれていたそうだ。



 郵便局の角を少し入ったところには問屋場跡があるが、小さ木札で忍ぶの
みである。この道を問屋小路と呼ぶらしく、鎌倉に続く古道である。
三島にはこのような小路が八本あることを、道路に埋め込まれたプレートが
告げている。



 更にその先が本町交差点で、北に向かえばJRの三島駅がある。
ここを少し行った店先に世古本陣跡や、通りを隔てた反対側には樋口本陣跡
などの記念碑が立てられているが、何れもうっかりしていると見落としてし
まいそうなぐらい目立たない。



 宿場町は、現在の三島市本町辺りに有った。
今ではホテルや銀行、飲食店や商店、事務所など様々な建物が軒を並べが建
ち並びのんびりと旧跡探し等は憚れるような繁華な町並に様変わりしている。
そんな町には、当時を偲ばせる遺構は残念ながら何も残されてはいない。(続)



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