![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/68/05f3498561888caaf7959e98f4967f92.jpg)
「東海道ルネッサンス」とは、行政が中心となった地域づくりの一環
として、「東海道の宿駅制度が制定されて400周年」にあたり、「東海
道のルーツともいうべき東海道五十三次が、宿場町や、旧街道を中心に
地域の活性化と発展に寄与した歴史をたどり、その面影や文化を遺産と
して伝え、新しい時代に向かおう」というものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ac/cba6b2fc2dd961f0594934e8fd93f78f.jpg)
主に静岡から愛知に掛けての活動らしく、道々でこの掲示板や道標な
どを目にしてきた。
「豊かさとゆとり」の感じられる道作りを希求しているようだ。
実際に街道を歩いて楽しんでみて、何と言っても安全な歩道と、休憩の
出来る木陰やベンチ、トイレがあればありがたいと感じていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/e7/123714ca2ead80f85752da12e4e33294.jpg)
街道を歩いていて、常々疑問に思ってきたのは、昔の人はトイレをど
うしていたのかと言うことである。
テレビや映画の時代劇でも、中々こんなシーンは現われない。
それについては「東海道 人と文化の万華鏡」(中西進 2003年7月
ウェッジ)で、鎖国期に来日し、長崎から東海道を経て江戸参府に加わっ
たスウェーデン生まれの植物学者ツュンベリーの旅行記を紹介している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e2/93cae35cb58feb4d626e9ebb203ac175.jpg)
「各家庭に不可欠な私的な小屋は、日本の村では住居に隣接して道路
に向けて立てられている。その下方は開いているので、通りすがりの旅
人は表から、大きな壷の中に小水をする」
近頃は男でも座って小便をする人が多いらしいが、当時は男女共立っ
ていたらしく(幼い頃、明治生まれの祖母がそうしていた記憶が有る)、
民家の厠が街道を行く旅人にも開放されていた様子が窺い知れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b0/a70cf65f36a5e7f2683db957df1f0da6.jpg)
ただ悪臭には相当閉口したらしく、「鼻に詰め物をしても、ふんだん
に香水を使っても無駄、眼を強く刺激し、高齢者は目を真っ赤に、目や
にを出している」
とアンモニアに苦しめられる様子をこのように書き綴っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e8/8853f2944021e0eccf6bc5faae4b50aa.jpg)
当時江戸の町中でも、特に下町・裏長屋等と言われる地域は、似たよ
うな状況であったらしい。
町中には、下肥として再利用されるため肥桶を担いで、行き来する人夫
も日常的に見られたそうだ。そんな事も有り、眼を患い、目やにを貯め
ている人は多かったと言われている。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
![にほんブログ村 旅行ブログへ](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます