簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

草津宿の町並(東海道歩き旅・近江の国)

2024-04-26 | Weblog


 本陣の向かい側には「脇本陣 大黒屋弥助」跡が有り、小川小路を隔
てて「脇本陣 藤屋与左衛門」と「脇本陣 仙台屋茂八」が並び立つ。
 さらに本陣小路を越えると「脇本陣 柏屋重右衛門」跡がある。
「脇本陣 仙台屋茂八」の傍らに脇本陣跡の石碑もあるが、今はベーカ
リー&カフェの看板の方が目立っている。



 そこから数件先には、もう一つの本陣、「田中九蔵 本陣」跡と書か
れた家号板と説明が書かれた紙が張られている。
 説明によると、ここには「敷地が1315坪、建坪288.5坪に部屋数41室、
総畳み数264.5畳を擁する建物が有ったらしい。



 九蔵本陣東側は伝久寺と隣接し、境には掘り割りが有ったと言うから、
今日の地図で見ても広大な敷地を有していたことが分かり、規模的には
草津本陣に引けを取らないもので有った。
 本陣制度廃止後の明治10(1878)年、この地には知新小学校(草津小
学校の前身)が作られた」とある。



 街道筋には、江戸時代の旅と街道を中心に、展示と体験を通して草津
の歴史・文化を紹介する「草津宿街道交流館」と言う施設がある。
先には、問屋場跡もある。
 「貫目改所」跡は東海道では三カ所しか置かれなかった珍しい施設で、
荷物等の重量を改める役所という。



 更に行くと明治初期頃から続く「太田酒造」という造り酒屋があるが、
ここは太田道灌の末裔で、「清酒 道灌」が知られている。

 「雑貨商 八百屋久兵衛」宅は、昭和3(1928)年に建てられたもの
らしいが、軒高を押さえた厨子二階建で、格子窓や虫篭窓は江戸の伝統
を引き継いだ造りとして、登録有形文化財に指定されている。
(東海道歩き旅・近江の国 中編・完)



(来月から、「東海道歩き旅・近江の国」の後編がはじまります。)



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