ここまでの旧東海道は、かつての海岸線近くを行く高低差の少ない比較的楽な
道のりであった。ここ神奈川宿に入り宿町の中ほどで道がカギ状に折れ曲がると、
そのあたりからは台町と言われる急な上り坂が始まる。
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上り始めた坂の両側は、今では新しいビルや高層マンションばかりである。
その途中には、門前に日本橋から数えて七つ目にあたる旧一里塚が置かれていた
と言う大綱金刀比羅神社が有るが、今その痕跡はどこにも見当たらない。
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日本橋を七つ立ちし、七里近くを歩き続けて来た先の神奈川宿である。
足腰の弱い女や老人などにはそろそろ疲れも見え始めるころで、ここに旅の第一夜
の宿をとる旅人も決して少なくは無かった。
また、この先に宿を予定するものにとっては、最初の試練ともいえる坂である。
しかしこの台地の下には碧い海が広がり、素晴らしい眺望が開けていたこともあっ
て旅人はここで足を止め、しばしの休息をとって行ったと言う。
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「旧道らしいものが何も残っていないから・・・」
「ただその先には古い料亭が一つだけ残っていますよ」
マンションの玄関先で道を教えてくれた件の女性が、少し先の左側を指さした。
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その割烹店は、広重の「東海道五十三次」に旅篭「さくらや」として描かれた老舗だ。
明治維新には勝海舟の紹介で坂本龍馬亡き後、妻の「おりょう」が働いていたと言う。
当時としては珍しく外国語が話せることや、まっすぐな性格から客の評判も良く、重宝
されたらしい。(続)
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