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北品川宿を抜け、南品川宿との境を流れる目黒川に架かる品川橋を渡る。
江戸時代には境橋と呼ばれていたそうだ。
当時このあたりでは農民が自作の野菜や山菜などの青物を持ち寄って売りさばい
ていた。
そんな青物横丁から鮫洲の商店街を進む。更にその先で、立合川が海にそそぐ河
口近くに架かる浜川橋を渡る。今は何の変哲もない町中の普通の橋である。
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橋を渡れば左手にしながわ区民公園があり、その向こうには大井競馬場が有る。
右は京浜本線の高架が見え、車の往来の激しい第一京浜国道が並走している。
周りは大小のマンション、飲食店、商店、オフィスなどが混在する通りである。
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今では賑やかな活気ある道だ。
しかし江戸時代、この道では罪を犯し処刑される罪人が、身体を縛められ、裸馬に
乗せられて府内からこの道を通りここ品川に作られた刑場まで引き回されていた。
そんな罪人を家族や知人が、手を差し伸べるすべもなく密かに後に続き見送ったの
がこの橋で、誰もが永久の別れに涙を流したと言う。
そんなことからいつしかこの橋を「涙橋」と呼ぶようになった。
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さらに進むと国道15号線と合流するあたりに、木立が生い茂っている小さな森が
見えてくる。東海道品川宿の南入口近く、鈴ヶ森の大経寺である。
ここには慶安四(1651)年にお仕置き場、鈴ヶ森の刑場が作られた。
この寺はこの地で処刑された者を供養するために建てられたのだと言う。
周りは鬱蒼としているわけでもなく、不気味な静寂に包まれているわけでもない。
なのに、なぜか陰鬱な場所である。(続)
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