「文藝」という雑誌に、深田久弥が「弓」という題名で短編小説を書いてあるのを見つけた。さて、どんな話しかと思ったら、馬飼いの乙女と、若人の話だった。弓は狩りとしての話だった。
旧漢字が読みにくく、わたしの読解力がないせいか、読後感はいまいちだった。思っていた弓に関するものではなかったが、気になっていたので読めて良かった。
しかし、もうひとつ気になったのが、表紙の「長谷川如是閑と折口信夫の対談」というのがあり、「長谷川如是閑」に反応したのである。
「古典」に関してのやりとりだった。
生き生きと対談している感じがあって、名前しか知らない人たちが、そこで生きているような感じがした。
長谷川如是閑は、明治8年生まれの評論家である。
弓道人なら持っている「弓道教本第一巻」に名文が載っている。
折口信夫(おりぐちしのぶ)は、民俗学者で国語学者。
昭和28年初版発行の弓道教本は、表紙の色が変わっても基本的に内容は殆ど変わっていない。
なので、長谷川如是閑の文章は、これだけの改訂、改版と変遷を経ても変わらない。
「日本の弓の尊崇性」に、「礼の美」という著書の中で、弓の美しさを称賛している。教本の中では「礼讃している」と、ある。
的確な文章でほれぼれする。
「日本の弓の尊崇性」に、「礼の美」という著書の中で、弓の美しさを称賛している。教本の中では「礼讃している」と、ある。
的確な文章でほれぼれする。
けれど、若い人には「その人、誰??」という感じだろう。
また、弓を女性的というところで、どうなんかなと思う人もいるかもしれない。
さて、弓や矢の種類にカーボンや、アルミとかの弓具が出てきた現在に、このほれぼれする文章を理解してもらうにはどうしたらいいのか。
今どきの高校生に、竹弓の美しさを述べても本物を触っていないので、改めて見せても、そういうのがあるんだ‥という感じだ。
わたし達は、入部してすぐ弓矢の各部の名称を覚えてテストまでされた。
先生より先輩の言うことの方が大事だったので、授業そっちのけで覚えた。
そういう私も、今は悲しいかな、覚えたはずの節の名前を口にしなくなったので、とっさに出てこなくなった。