車庫の2階にあった木製の三輪車を捨てるかどうするか迷った挙句、また玄関の飾りにした。これは、2009年の瑠辺蘂でのねんりんピックの視察に行って、ちょうど9月生まれのkenの誕生日にと宅急便で送ったのだった。1万5千円した。
後で分かったのだが、この三輪車はまたがって前進する分にはいいが、止まって後ろ気味に座ると、ウイリーしたみたいになって、後ろに倒れるのだ。重心が後ろにきてしまう。結局、危なくて飾り用になってしまった。本当は玩具ではなく、インテリア用だったのか?今では分からないが、手作りなので温かい感じがする。
瑠辺蘂と言えば、ねんりんピックの視察に行った仲間を思い出し、過去のブログを読み直した。あれから10年も経ってしまった。亡くなった会長の言葉がよみがえった。人の記憶は曖昧で、何年も前のことを昨日の事のように思い出すと言うけれど、それは間違った記憶かも知れないし、相当抜け落ちているかもしれない。読み直して、自分でへえーと思ったり、そうだったと思い出したりする。記憶は、脳のどこかに仕舞い込まれて、引き出しから出すように思い出すというのはおもしろい。でも、間違って書いたら、後でその記憶は間違ったまますり替えられるという。
書くという事はいいなあと思うが、それもこれも自分がいなくなったらどうでもいいことのように思う。生きている間、脳に楽しい思い出がいっぱいあると、その後の人生にお金以上の価値が出る気がする。良い思い出は、これからの希望も作れる。
逆に子供が親に捨てられたり、いじめられたりしたら、その後の人生はどんなにつらいだろう。愛情いっぱいに育った子は、天真爛漫に育っていく気がする。辛いことがあっても、乗り越える力にもなる気がする。そして笑顔は笑顔を呼ぶ。
木製の三輪車は、あの日のことを思い出させてくれて、いろいろな事を考えさせてくれるので、やはり大切に取っておこう。
言葉も含むとするとかなりの範囲になるし、母親が姑(=幼児にとっては祖母にあたるわけだが)・親族からの虐待を受けていることを目撃していたケースは一定年齢以上なら相当数に上るかも。
https://toyokeizai.net/articles/-/189445
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/264452.html
辛いですね。
当たり前に生活していることにひたすら感謝です。
いろいろな事情もあるでしょうし、性格的なこともあるのでしょうが、世の中が厳しいくて、親がつらいと子供にしわ寄せが来る気もしますね。
確かに捨てがたく、お花の台に良いと思います。
しかし、高い買い物でしたわ。