まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ためらう。

2016-11-01 | 暮らし

人生を重ねた良いお年ごろに、「まじ」とか、「やばい」とか、使うのはためらわれるし、小百合のイメージを壊してもいけない。そういえば、ためらうという感じが「躊躇う」と、変換されるが、自分が書けない漢字を使うのもためらわれるのである。

前にドコモショップで3時間待たされた時に、銀行なら解約しますと言えるが、携帯は腹が立っても解約しますと言ったら路頭に迷うような気がするので、結局、へらへらしていた自分に腹が立った。「くそっ!」と、思えるようなことがあって、しかし、顔はにこやかにしているという芸当が出来るようになった。腹を立てることもためらわれるのである。

くそと言えば、仕事で客から無理難題を言われるたびに、パーテションに区切られている机から、椅子を後ろまで、がぁーーっと引いて、隣のKちゃんと「聞いて、聞いて」と、何回言い合ったことか。気の強いKちゃんが、「くそっ!!」と、声をあげてすぐ、図面を広げて「ねえねえ、聞いて。」と、またパーテションから顔をだす。こんなのが短納期で出来るわけがない。しかし、わたしたちは、ここで「くそ」発言はよろしくないと思うので、Kちゃんに、せめて「ございます」をつけよう。と、提案した。「くそでございます!!」

くそ野郎は、何としても客に対して電話を切った後でも言ってはいけない。それで、「よねだともおさん」と、呼ぶことにした。わたしたちふたりは、これで随分切り抜けることが出来た。ほんとうに米田さんがいたら申し訳ないが。「米田共」は、糞の漢字を分解したのである。その男「米田共男」である。

なんのためらいもなく、怒ったり、笑ったりしていたと思う。

気の強いKちゃんはバレーボールをしていて、いつも球を殺していた。気の弱いわたしは、どうしたら弓を生かせるか苦労していた。わたしは、ためらうことが多いから弱いのかもしれない。

ためらうことも多いが、うっかりと、うかうかという性格も勝っているので、何となく前へ足が進んでいる。また、うかうかと返事して荷物を担いだりする。危ないのは、足元がぐらついて、うっかり肥溜めにはまらないようにしなくては、自分が「米田共」まみれにならないように。

 


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