「一射一憂」 1本射るごとに首をかしげ、考える。中たりはずれをやかましく言う。そんなとき、旦那はいつも「一喜一憂するな」という。
「一食一言う」 この頃は、旦那の食欲がないようで、あまりやかましく言わない方がよいと思いつつも、ついついもう食べないのかと、いちいち尋ねてしまう。また、食事をみて、ため息をつくのを見ると、こちらもため息がでて、一喜一憂する。
テレビを観ているか、本を読んでいるかしている旦那をみて、元気な時と殆ど変らないと娘が言う。そうなのだ。マメな方ではなく、取り立てて趣味もなく、釣りをするとか、日曜大工をするとか、庭いじりをするとかする旦那ではないので、今更驚くような変貌もない。しかし、神棚の水を替えるとき、ほんの少し背伸びをしたときに、やはり小百合は寸足らずだと気づく。小屋から米を持ってくるときも、引きずってくるしかないので、お嬢様だった育ちを思う。
そういえば、父は働く私に「おまえは人より小さいので、力仕事は人の半分にしておかなくては、体を壊すぞ」と、言っていた。
なので、力仕事を半分、その埋め合わせのように、口で仕事をする傾向がある。気をつけなくてはならないのは、後輩に口で弓を引くと言われないように、時折道場へ行き弓を引くようにしている。
常に、小さなことで一喜一憂しないように、かといって、日々は大切に過ごしたいと思う。大切に過ごすとは気持ちよく、笑顔でということか。
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