まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

大晦日

2017-12-31 | 暮らし

鯉の滝登り、いわゆる登竜門の掛け軸は、殿がわたしの馴染の呉服屋さんで買った。前から鯉の掛け軸が欲しかったのである。殿の贅沢な買い物のナンバ―ワンで、家宝だと言うが、たぶん娘たちには興味がないだろう。それでも「大開運 昇鯉」という箱書きの掛け軸は、少しでも病気が良くなるようにとの願いがあったのかもしれない。その掛け軸を外して、正月用に「赤富士」を掛けた。今までは殿の仕事だった。掛け軸のしまい方をネットで調べると、随所に自分の間違いが明るみに出てくる。

玄関の外に、旅行で買った杉玉がかけたままで、ボロボロになっていた。脚立に乗って取り外し、しめ飾りをつけて、黙々と作業しながら、玄関に花を活けて帯を敷いてみた。赤に扇がいいか、独楽の方がいいかと相談する相手もいない。いても、たいがいどっちでもいいと言いうだろうが。

庭を背景にするか、いや却下。

結局、独楽の帯で落ち着き、その後、神棚も殿の仕事だったなあと思いつつ、またまた脚立に上り、神棚の板に頭をぶつけて、欄干を取り落として、壊れたので修理してと、仕事を増やしながらも、何とか神様をお迎えできそうな。それにしても、仏壇や神棚のお世話をしても、無言だしなあ。

大みそかは、紅白歌合戦をみんなで観て、わたしはいつもお節料理をしていた。そんな風に家族が一年を振り返り、親子三代で愉しんでいた。思い出した。わたしがラジオをもって風呂に入ると、娘がのぞきに来て「お父さんが、お母さんの好きな歌やって言うし言いに来たんや。ラジオ聞いとるんなら良かった。」と、言ってくれたっけ。爺ちゃんは「最近の歌は分からん。」と、言いながらみかんを食べて、婆ちゃんはお茶を飲みながら。

今年は、弟が帰省してきたので、実家で母や姪たちと観た。けれど、9時頃に帰り、実性院で除夜の鐘を、力一杯どおおおぉぉぉん。と、ついた。社務所にTさんがいて、ノンアルコールのビールを勧められ、お寺の中で尺八と琴の演奏を聞きながら、今年の出来事を語って帰った。「大晦日が一番きついなあ。」と、言うとTさんは「うん。」と、だけ言った。

家に着くと、紅白のトリがゆずの『栄光の架け橋』だったので大いに気を良くして、年が明けて神棚と仏壇に手を合わせて、今年の無事と来年の無事を祈って眠った。

 

 

 

 

 


晦日

2017-12-31 | 仕事

今月は訳あってフルに働いた。やっと今週火曜に休みで、その休みも実家の母を病院へ連れてい行き、冬休みの孫に昼ご飯を食べさせ、自分の病院。そうそう左手のしびれは1か月続いている。症状をいう時に「朝起きたら左腕全体がしびれて、物がつかめないほど・・」と、言ったら「つかめないほど?ということは、掴めるんやねっ!」と、言われて「は、はい・・」MRIを撮って頸椎の異常がないか調べたら異常なしで、結局、ビタミン剤を飲むだけとなった。ホッとしながらも、治るのだろうかとの心配も。

さて、今日はやっと年末の休みを貰えた。母が1枚だけ年賀状を出したいというので絵柄を入れて持っていくと喜んでくれて、一言添えて、その1枚を郵便局へ持っていくと、駐車場は車が数珠つなぎとなっている。駐車場の入り口で緑の袋を持った若い人が立っている。学生アルバイトっぽい。目が合って賀状を受け取ってくれると分かった。窓を開けると「年賀状どうぞ。預かります。」とのこと。「ありがとう。助かります。」郵便局のドライブスルーだ。車から降りずに賀状を出すことが出来て良かった。

新聞や段ボールを、近くの処理場へ持ち込むと、段ボールの山だった。ひっきりなしに車が止まる。みんな最後の追い込みである。時間はあっという間に過ぎていく。できるだけアッと言わないようにしよう。半世紀があっという間に過ぎた。半世紀間、アッと言い続けていたわけではないのだが。