先日、キリスト教徒にとっての聖なる数字「153」を取り上げたが、
今日は「786」について説明しよう。
この数字はインドにおいてはよく見かける。
それもそのはず、イスラム教徒にとって重要な数字だからだ。
街中のどこで見かけるかと言うと、
オートリクシャーに書いてあるのをかなりの確率で見かけるのだが、
その運転手やリクシャーのオーナーはイスラム教徒だという事だ。
あまり注意して見た事はなかったのだが、
サイクル・リクシャーの後ろにも書いてあった。
この数字は、「ビスミ・ッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム」
(慈悲深く、慈愛あまねきアッラーの御名において)という意味である。
イスラム教徒は、物事を始める時(食べる、立ち上がる、仕事を始める、
お金を数え始める、車を運転し始めるなど)に、この文言を唱えると言う。
彼等にとっては、身近にある神聖な文言であるが、
恐らくは心の中で唱えたりするのだと思うので、
実際には聞いたことはない。
アラビア文字は、文字を数字に置き換えることができるそうで、
「ビスミ・ッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム」に、
預言者「ムハンマド」を付け加えて、これをアラビア文字で表記し、
数字化したものを合計すると「786」になそうだ。
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聖なる数字「153」
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今日は「786」について説明しよう。
この数字はインドにおいてはよく見かける。
それもそのはず、イスラム教徒にとって重要な数字だからだ。
街中のどこで見かけるかと言うと、
オートリクシャーに書いてあるのをかなりの確率で見かけるのだが、
その運転手やリクシャーのオーナーはイスラム教徒だという事だ。
あまり注意して見た事はなかったのだが、
サイクル・リクシャーの後ろにも書いてあった。
この数字は、「ビスミ・ッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム」
(慈悲深く、慈愛あまねきアッラーの御名において)という意味である。
イスラム教徒は、物事を始める時(食べる、立ち上がる、仕事を始める、
お金を数え始める、車を運転し始めるなど)に、この文言を唱えると言う。
彼等にとっては、身近にある神聖な文言であるが、
恐らくは心の中で唱えたりするのだと思うので、
実際には聞いたことはない。
アラビア文字は、文字を数字に置き換えることができるそうで、
「ビスミ・ッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム」に、
預言者「ムハンマド」を付け加えて、これをアラビア文字で表記し、
数字化したものを合計すると「786」になそうだ。
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