結婚式が行われたのはビハール州の州都パトナーから、
東へ200Kmほどのバーガルプルと言う町だった。
デリーからはパトナーへ飛行機で飛び、
そこから手配してもらった車で約5時間ほどかかった。
鉄道駅のすぐそばのホテルを新郎側の親族や関係者用に借りたようだ。
当初予定では結婚式は夜8時頃から始まるとの事だったが、
インドなので(笑)そんな事はあるはずがなく、
私は早くとも11時と踏んでいた。
そもそもホテルに到着したのが夜8時頃、
その時点で予定より遅れている事が解ったため、
あてがわれた部屋で着替えた後、休憩していた。
10時過ぎてなんだか外が騒がしくなったので覗いてみると、
ホテルの前に楽団と生歌演奏車が来ていて大音量で演奏していた。


11時過ぎてそろそろ式場へ行くと言うので外へ出た。


楽団を先頭にして花婿行列は進む。
徐行よりもゆっくりのスピードで、時折停まっては、また進む。
何故なら・・・・楽団の後ろで花婿側の親族・関係者が躍っているからだった。


後で解ったのだが・・・・・車でたった5分ほどの距離だった。
踊り狂う人々に続いて花婿の乗った車が進む。
その後ろに親族や友人・関係者の乗った車が続く。
当然、大渋滞になってて、
近隣の人には迷惑かけてるんだけど・・・
まぁインドだから許されるんだろうけど。


式場に到着。車のまま新郎はテントの中に入って行く。
思ったより小さな会場だったのだが、
これ新婦の家の前に建てられていたためスペースの関係だと思われる。
へんな二人組だけど・・・・インドじゃ有名なのか?


新婦の家の前には式を挙げたと思われる祭壇が作られていた。


食事はブッフェで、
チキンもあった



ナンはその場で焼いてくれた。甘味もあったけどジャレビーだけ頂いた。



インドの結婚式の費用は花嫁側がもつ。
また未だに持参金制度が慣習として残っている。
今回の式はこじんまりとしていたのだが、
これは花嫁側の財力なのか、花婿側が地味婚にこだわったのか、
はたまた「ノート・バンディ」の影響なのかは解らない。
(インドで起こっている高額紙幣を無効にする政策。)
なにはともあれ、二人に幸多かれと祈るのみだ。
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東へ200Kmほどのバーガルプルと言う町だった。
デリーからはパトナーへ飛行機で飛び、
そこから手配してもらった車で約5時間ほどかかった。
鉄道駅のすぐそばのホテルを新郎側の親族や関係者用に借りたようだ。
当初予定では結婚式は夜8時頃から始まるとの事だったが、
インドなので(笑)そんな事はあるはずがなく、
私は早くとも11時と踏んでいた。
そもそもホテルに到着したのが夜8時頃、
その時点で予定より遅れている事が解ったため、
あてがわれた部屋で着替えた後、休憩していた。
10時過ぎてなんだか外が騒がしくなったので覗いてみると、
ホテルの前に楽団と生歌演奏車が来ていて大音量で演奏していた。


11時過ぎてそろそろ式場へ行くと言うので外へ出た。


楽団を先頭にして花婿行列は進む。
徐行よりもゆっくりのスピードで、時折停まっては、また進む。
何故なら・・・・楽団の後ろで花婿側の親族・関係者が躍っているからだった。


後で解ったのだが・・・・・車でたった5分ほどの距離だった。
踊り狂う人々に続いて花婿の乗った車が進む。
その後ろに親族や友人・関係者の乗った車が続く。
当然、大渋滞になってて、
近隣の人には迷惑かけてるんだけど・・・
まぁインドだから許されるんだろうけど。



式場に到着。車のまま新郎はテントの中に入って行く。
思ったより小さな会場だったのだが、
これ新婦の家の前に建てられていたためスペースの関係だと思われる。
へんな二人組だけど・・・・インドじゃ有名なのか?


新婦の家の前には式を挙げたと思われる祭壇が作られていた。


食事はブッフェで、





ナンはその場で焼いてくれた。甘味もあったけどジャレビーだけ頂いた。




インドの結婚式の費用は花嫁側がもつ。
また未だに持参金制度が慣習として残っている。
今回の式はこじんまりとしていたのだが、
これは花嫁側の財力なのか、花婿側が地味婚にこだわったのか、
はたまた「ノート・バンディ」の影響なのかは解らない。
(インドで起こっている高額紙幣を無効にする政策。)
なにはともあれ、二人に幸多かれと祈るのみだ。
