カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

ボヘミアン・ラプソディ

2018年11月22日 21時25分59秒 | 映画 / MOVIE
ボヘミアン・ラプソディ【DVD化お知らせメール】 [Blu-ray]
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インドでは11月15日に封切られた。
英語版のみの上映だったのだが画面に英語字幕が出たので、
聞き取れない所の手助けにはなった。

インド人であったフレディがインド人にどう思われているのか?
インドでクィーンの知名度はどのくらいなんだろう?
と言う事も実は気になっていたのだが、
会場の客層はバラバラ(若いカップル、男子の2人組、単独の男女)で、
さすがにいつもは見かける親子連れはいなかったが。
ノリ(一緒に歌うとか、拍手するとか)も・・・・。
これが日本だったら恐らく館内の一体感なんかも感じられただろう。

タイトルは言わずと知れた「クイーン」の最も売れた楽曲である。
この映画はボーカルのフレディ・マーキュリーにフォーカスし、
1970年にバンドに加入した時から、
1985年のライヴエイドまでを描いている。



フレディの伝記と言う前触れだったが、
実際には異なっているエピソードもいくつか含まれているため、
クィーンと言うバンドの結成からライヴエイドまでの
15年間の伝説を語る映画(ドラマ)であった。

しかしながらキャストの完璧なまでの演技と、
クィーンの楽曲や演奏が素晴らしかった事には変わりはない。

ちなみに1985年のライヴエイドは、
ロック史で最高のライブパフォーマンスであり
「世界で最も偉大な演奏」と呼ばれている。



キャスティングは写真左より
フレディ・マーキュリー:レミ・マレック
ブライアン・メイ:グウィリム・リー
ジョン・ディーコン:ジョゼフ・マゼロ
ロジャー・テイラー:ベン・ハーディ



フレディのガールフレンドのメアリー・オースティンは、
ルーシー・ボイントンが演じた。



さて・・・フレディが同性愛者であった事や
彼の死因がエイズによるものだった事は誰でも知っている。
昨今はネット検索すれば情報は簡単に手に入る。
それが真実なのか偽りなのかは別として。

元々フレディがつけたクィーンと名前は、
同性愛者を指す隠語であるため、
フレディ以外のメンバーは気に入らなかった。
最初はゲイでなかった(気づいていなかった)フレディであったが、
この辺りからも潜在的な物があったと思われる。
初期の衣装もファッショナブルと言うか中性的な物だったし。



さて実際と異なるエピソードであるが、
フレディのGFのメアリーは、
元々はブライアンと短期間だが付き合っており、
フレディがメンバーになってからブライアンの紹介で知り合ったのだが、
映画ではクィーンの前身スマイル(ブライアンとロジャーが
参加していたバンド)のライブの後で知り合った事になっていた。
これはブライアンとメアリーが存命なため気を使ったのかな?

アメリカから戻って来たフレディがメアリーに隠し事があるか?
と聞かれ自分がバイセクシャルであると告げるシーンがあったが、
フレディは(知られていても)カミングアウトはした事はなかった。



アーロン・マカスカーが演じたフレディの最後のパートナー、
元美容師のジム・ハットンとの出会いは、
ゲイバーでのフレディのナンパであったが、
映画ではフレディ宅のパーティに給仕として来ていた、
ジムに声をかけた事になっていた。
そして名前を頼りにジムの自宅を突き止め、
ロールスロイスで乗り付けた。

フレディ・マーキュリーと私
ジム ハットン
ロッキングオン


一番の相違は・・・・1985年のライヴエイドの前に、
フレディが自分がエイズである事を知った事になっていたが、
実際にはこの時は気づいておらず、
1987年頃に検査を受けて知ったらしい。
エイズに感染して死期が近づいている事を悟ったフレディが、
恐怖に打ち勝ってライブエイドを成功させた・・・
と言うストーリーの方が盛り上がるからだろう。

繰り返しにはなるが・・・・
異なるエピソードが含まれていても、
クィーンがスーパーバンドである事、
フレディが偉大なアーチストであった事には変わりはない。

 フレディ・マーキュリー 
1946年9月5日~1991年11月24日。
イギリス領タンザニア(当時)のザンジバル島ストーン・タウンで、
パールシー(拝火教徒)のインド人の両親の間に生まれる。
本名はファルーク・バルサラ。
なお、彼は自身の出目に関しては触れたくなかったらしい。

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コメント (4)
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