2019年の作品、タイトルはヒンディー語で「反抗」。
あるイスラム教徒の一家の物語である。出演者が豪華で、
シーバ・チャッダが母親、ヴィピン・シャルマが父親、
ナワズッディーン・シディークがイスラム神学校の職員と、
主演のファティンがサラ・ハシュミと、見た事がある俳優が
ずらりと並ぶ。
作品は実話を基にしている。
<ストーリー>
ファティン(サラ・ハシュミ)は建築家の学生である。父親
(ヴィピン・シャルマ)、母親(シーバ・チャッダ)と二人の妹、
一番下の弟と暮らしている。
ある日、ファティンは奨学金を得るために父親と一緒に
イスラム神学校へ行く。待時間に女子学生に話しかけられ、
英語の学校に行けばイスラム教徒に義務付けられた服装ではなく、
自由な服を着る事ができる事に憧れていると言われる。
ところが融資の職員(ナワズッディーン・シディーク)に
イスラム教徒の女性らしくない服装を咎められる。
頭部を覆うヒジャーブを身に着け法を理解するように告げられた
ファティンは、翌日言われた通りの衣装で神学校の職員を訪ねる。
職員には褒められ融資を受ける事になるが、女子学生にイスラム法に
従っている姿を見られたファティンはヒシャーブを捨てて立ち去る。
確かにイスラム教で定められた服装は個人の自由を奪っている
ように感じるし、この現代において男尊女卑である法も
どうなのか?とは思う。イスラム教徒である限り、守らなければ
ならないのだろうか・・・・。
これは他の宗教にも言える事であるが、戒律を守る事は重要かも
しれない。しかし時代と共に変化して行く事も必要ではないか。
神を信じ、神に祈る事は尊い事だと思うが、
個人の自由を奪う事ではないと思う。服装が変われば
祈りが変わるのだろろうか?