日報の全面公開でもイラク検証が出来ないなら政治は不要だ
ついに政府がイラク日報の全面公開に踏み切った。
驚くべき早さの全面公開だ。
私は、イラク日報の存在が明らかになった報道を受け、一日も早い全面公開こそ、安倍政権どころか小泉政権以来の自公政権の憲法9条違反を白日の下に明らかにするものだと書いた。
その要求に安倍政権は素早く対応した格好になった。
今度のイラク日報の早期全面公開をどう評価したらいいのか。
もはやあまりにも多くの隠ぺいが発覚し、これ以上隠すことが出来なくなったのか。
それとも、開き直って、どこからでも追及して見ろという事なのか。
どちらにしても、我々は今度のイラク日報の公開に、迅速かつ正しく対応しなければいけない。
なぜなら、イラク日報を詳しく読むまでもなく、この日報の公開によってて自衛隊のイラク派遣は完全な憲法9条違反であることが明らかになったからだ。
しかし、である。
このイラク日報公開について今日の紙面で社説で取り上げた主要紙は皆無だ。
この日報公開に基づいて、いまこそイラク戦争の再検証を行えという声は皆無だ。
あまりにも多くの安倍政権の不始末が同時多発的に起きているから、どこから手を付けていいかわからないのだろうか。
それとも、明日以降の社説にその事が書かれ、野党の中から追及の動きが出てくるのだろうか。
そうであればいい。
しかし、私にはそういう気配は感じられない。
もしこのイラク日報の全面公開ですら、そのほかのスキャンダルと同様に安倍政権によってうやむやにされて終わるなら、その時こそ憲法9条はその存在価値を失う時だ。
政権交代の可能性は皆無になり、今後の政治において野党の存在意義はなくなる。
政治というものがなくなり、権力を持った者が何でも出来る事になる。
憲法9条違反を犯した政権が政権であり続け、憲法9条違反を犯した者が憲法の番人である最高裁判事になり、サマワ派遣の自衛隊初代隊長が国会議員となってこの国のいかさま外交・安保政策を堂々と語り続けることになる。
そして、イラク日報の深刻さに多くの国民は気づかないまま、やがて、イラク日報も忘れ去られて行く。
すべてが馬鹿馬鹿しい事になる。
そんな事にさせてはいけない。
そのためにはどうすべきか。
いまこそ小泉元首相に登場してもらうのだ。
証人喚問でも参考人でもいいからとにかくもう一度国会で小泉節を語ってもらうのだ。
それが無理なら、テレビの娯楽番組でも、朝まで生テレビなどの闘論番組でも、どこでもいい。
メディアは小泉元首相にしゃべらせて、国民的関心を高めることだ。
それこそが日本における最善のイラク戦争の再検証である。
幸いにも小泉元首相は反原発でやたらに言動を始めた。
飛んで火に入る夏の虫だ。
「さらば小泉」から、「小泉 カムバック」である(了)