角栄の威光<本澤二郎の「日本の風景」(4297)
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角栄の威光<本澤二郎の「日本の風景」(4297)
<ロ事件ハチの一刺し長男・覚醒剤で沈没=北区議会議員辞職勧告!>
珍しいニュースが郵送されてきた。ロッキード事件丸紅ルート5億円賄賂裁判で、大きな話題を振りまいた「ハチの一刺し」の榎本三恵子さんの長男が、覚醒剤でことし11月10日に現行犯逮捕、同30日に起訴、12月3日東京都北区議会は榎本一議員辞職勧告決議を、全会一致で可決した。
実に素早い警視庁と区議会のスピード決着に納得したい。世上、夫を裏切り、田中角栄を有罪に追い込んだ母親の息子に対して、捜査当局も議会も手際よい。角栄の威光も見て取れそうだ。本人はその後どうしているのか?永田町の人たちも行方を注目している。
<性に溺れてしまう中年男性・地方議員の末路哀れ!>
有名な元巨人軍の野球選手にもいたが、覚醒剤に溺れる中年男性に少なくない。やくざ強姦魔にも共通するという事情を「木更津レイプ殺人事件」の取材で勉強させられたが、要はSEX魔にとっての常備薬らしい。
一度はまると抜け出すことは困難という。榎本区議も、この悪魔の薬に呑み込まれてしまったのか。区民を代表する立場を自ら放棄したものだ。せっかくつかんだ地位を、今後維持することは困難であろう。
地方議員には、こうした罠にはまる事例が少なくないらしい。小銭をつかだ地方議員とやくざとの関係がどうなのか。覚醒剤を牛耳るヤクザ利権は、世人の想像を超えている。最近は霞が関の役人、地方公務員の間にも。むろん、財閥企業関係者、学会にも少なくない。それが家庭の主婦にまでも。姿を変えたアヘン戦争が水面下で勃発しているのか?
一時の快楽に溺れたら、人間は最後である。日本は麻薬取締官の増員が不可欠であろう。警察員は大丈夫だろうか?
<「安倍の周囲の女たちの忠誠と無縁だった榎本三恵子さん」か?>
永田町では「女性の扱い」というと、誤解を招いてしまうようだが、昨今は安倍晋三の名前が浮上する。「極めて上手」という評判だ。
叱られるかもしれないが、女性は男性に比べると、忠誠心が高い。自立する割合が、男性に比べて低いせいかもしれない。日本の最大の課題は、女性が自立することである。
だが、夫の田中首相の首席秘書官となった榎本敏夫氏は、安倍のような「女を見る目がなかった」と話題になったらしい。両人の離婚原因をしらないが、夫人は議員秘書の妻ではなかった、と永田町でささやかれている。
どうせ事実を法廷で明かすという検察の犬となったついでに「なぜ20億円の児玉・中曽根ルートに蓋をかけるのか」と叫んでいれば、彼女の評価も上がったかもしれない。
<20億円の児玉・中曽根賄賂に蓋をかけた片手落ちの陰謀事件>
若い世代のために付記しておこうか。
ロッキード社は軍需企業である。軍用機売り込みに同社は、右翼の親玉である児玉誉士夫と防衛族の親玉である中曽根に20億円を渡していた。しかし、検察は堀田某が主導して、民間機の5億円追及にのみ執着して、田中角栄を逮捕した。片手落ちの捜査を指揮したのは、中曽根派の稲葉修と首相の三木武夫だった。
なぜ中曽根を救済して、田中をスケープゴートにして、お茶を濁したのか。これこそが陰謀そのものであるが、当時、このことを公正に伝え、解説する新聞はなかった。むろん、テレビもである。
筆者は幸運にも、当時の角栄の生の声を、宏池会の田中六助から聞いて、大いに合点した。「ロ事件の本丸は俺ではない。中曽根だ」という指摘である。すでに裁判は終わっていたのだが、案の定、ロ事件を乗り切った中曽根は首相になり、間もなく六助を幹事長に起用して、六助の口を封じ込めた。
六助は大平正芳の側近だ。なぜ真相を公開しなかったのか。彼もまた自民党の縛りから抜け出せなかった。
<検察は丸紅に執着、軍用機賄賂を回避・三木内閣・清和会台湾派支援>
人間は貪欲である。安倍晋三ほど無能低級な、貪欲な政治屋を知らない。恥じの概念がゼロである。
父親の安倍晋太郎は、その昔、安倍の祖父・岸信介番記者だった。安倍は毎日、六助は日経である。二人して岸の長女・洋子を捉まえようと、賢明に岸邸の夜回りに徹したが、結局のところ「半島出身の岸は同じ半島出身の安倍を選んだ」とされるのだが。
安倍の韓国憎し、北朝鮮憎しは異様であるが、お尻に捜査の手が伸びてい
る現在は、もっぱら大陸の中国叩きという緊張づくりに賢明である。隣国との関係破綻に必死なのだ。中国貿易の企業関係者を追い詰めているのである。
思えば、角栄を有罪にしようと必死だった勢力は、言及するまでもなく岸信介の清和会・台湾派だった。文春の立花某も、清和会と連携していた。この流れに三木首相も乗った。中曽根は国会での証人喚問をうまく乗り切ると、ロ事件20億円賄賂事件からすり抜けてしまった。
検察の不条理な捜査を誰も指摘しなかった。
数年前に91歳で亡くなった榎本敏夫とは、政治部記者時代に話をする機会はなかった。姿からは、角栄とは正反対で、性格はいかにも穏健そうな人物だった。東京タイムズ政治部では、大先輩の関根と仲が良かった。筆者は砂防会館の早坂茂三のもとに通った。
彼の言葉で思い出すことは、西山町の角栄邸に同行した際、途中の温泉宿で一泊、入浴した際、ほかに誰もいなかったこともあって、彼は「あのじゃじゃ馬(角栄)を総理の座に押し上げたんだ。苦労したよ」と。筆者が処女作「自民党派閥」を出版、日本記者クラブの大広間の宴会場で出版会を開いたとき、彼は花輪を届けてくれた。読売OBの多田実(当時母校中央大学講師)は、ゼミの女子学生たち5,6人を引率して参加してくれた。発起人に在京政治部長会全員が名前を連ねてくれた。これは快挙だった。北海道新聞の高谷治郎先輩が音頭を取ってくれた。当時の10数人で構成されていた政治部長会には、珍しく中央大学法学部OBが6人ほどいた。
そういえば首相は、中央と早稲田に籍を置いた海部俊樹、彼について竹下登いわく「なんたって海部君は、中央の辞達学会、早稲田とは違う。演説が上手い初めての総理だよ」。一芸に秀でると成功する!
田中失脚で残念なことは、もしも数年政権が続いていれば、日朝関係は正常化していたろうし、むろん拉致問題はなかった。朝鮮半島も安定、東アジアの世紀を約束していたろう。榎本敏夫と三恵子夫妻と長男の人生も変わっていた!安倍晋三の時代もなかった。
2021年12月17日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)