いきなり私事で恐縮だが、駅そばが好きだ。なんといっても安くて、早くて、うまい。全国津々浦々に名物の駅そばはあれど、関西でメジャーな存在と言えば、今も「阪急そば」と答える人はいるはず。だしの香りが広がるやさしいおつゆに、やわらかい麺。素朴な味わいの中にも、阪急の名がどこか高級感と安心感をもたらし、お得な気持ちにさせてくれた記憶がある。

 実はこの阪急そば、関西の私鉄で初めての駅そばでもあった。

 1967年4月、京都線、神戸線、宝塚線の三つの本線がクロスする十三駅の構内で産声を上げた。その後、京都線沿線でものれんは拡大し、最も多い時で京都府内に6店舗あった。だが、時代とともにファストフード店やコンビニが増え、消費者のニーズも多様化。阪急そばの屋号は2019年に消え、店の名前はすべて「若菜そば」に変わった。その後も店舗は減り、京都府内では西京極駅(京都市右京区)と東向日駅(向日市)の二つだけになってしまった。



 半世紀にわたり関西の駅そば文化をけん引した阪急そば。その歩みと果たした役割、店名が変わっても引き継がれているレガシー(遺産)はどんなものなのだろうか。



 「阪急電車沿線内の駅ホームにめん類の立食店が出現しました。もとより阪急沿線ははじめてのことであり、全国でも、一部の私鉄を除いて、めずらしい駅内施設としてお目見えしたわけです」



 昭和42(1967)年5月の社内誌「阪急」。十三駅の神戸線と宝塚線ホームの間にオープンした阪急そばをこのように紹介している。「めずらしい駅内施設」という記述から、今では当たり前となった「駅ナカ」ビジネスの先駆けであったことも読み取れる。