清和会秘話13<本澤二郎の「日本の風景」(4628)
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清和会秘話13<本澤二郎の「日本の風景」(4628)
<戦争を反省しない岸信介・笹川良一ら「黒い人脈」は消えそうもない>
この世は黒が優勢なのか。A級戦犯の「国賊」たちの後裔を見ていると、誰もがそう思うだろう。転んでもただでは起きない黒い正体に対して、無知で、虐げられてきた大衆はほぞをかむばかりだ。反社会的なカルト教団・統一教会の処理などまともな権力行使なら1日で処理できそうだが、意外にも政府も議会も、司法さえも手こずっている。カルト教団仲間が応援し「信教の自由」を逆手に取られているようで、余りにもみっともなさすぎる。
選挙で決着するほかないのだが、無知で弱い庶民にその爆発力はない。足腰が弱すぎる。かくして岸や笹川らの「黒」は、しばらくは地中?に潜んで、人々が忘れたころに浮上しようとしている。
77年前の敗戦時の失敗を繰り返そうとしているのだ。岸の長女は沈黙しているが、安倍晋三の後継者問題を忘れたわけではない。次男の岸信夫の息子たちは元気らしい。笹川ギャンブル財団は、安倍内閣下に、信じられないほど巨大な規模に膨らんできている。
安倍の配下は、自民党と内閣の枢要ポストを占めたままだ。スキャンダル議員は、清和会以外の者たちから噴き出す作戦を見事に演じて、国民の目から黒たちは逃げている。宏池会閣僚の醜聞作戦に新聞もテレビも踊っている。
<星島二郎の地盤を奪った加藤六月夫妻の遺産が財務省にも>
前回紹介したクリスチャンだったという星島二郎は、油断をしていて地盤を秘書に奪われてしまった。「馬の目を抜く永田町」は本当である。よく知る福島県の八田貞義もそんな一人だった。秘書だった渡部恒三に奪われてしまった。池田勇人に声をかけられて政界入り、第二次池田内閣で官房副長官になったものの、八田は芽を出すことに失敗した。
衆院環境委員長の時は、房総半島のハマコー利権だったダンプ街道の視察もしてくれた人情味のある元日本医科大教授。丸山ワクチン認可に奔走したが、東大閥に封じ込められた。
星島は衆院議長までした大物だったが、それでも秘書の加藤六月に見事に奪われた。普通は心酔した議員から秘書が禅譲されるものだが、六月は違った。こっそりと星島後援会を奪い取って、自ら代議士になったいわくつきの人物。運輸族として同じ派閥の三塚博と闘って敗れ、清和会を除名されているが、それ以前では、安倍晋太郎に「忠誠」を誓い、安倍内閣の実現に賭けた。
ある種の浪花節さながらの行動も、元陸軍士官学校の肩書が、軍需産業の三菱と関係が深い安倍晋太郎に惚れこんだのか。星島の秘書になる前は日教組活動にも飛び込んでいた。野心家の人だった。
星島が政界引退したのちに、娘の節子(元TBS社員)らが父親の足跡を調べていくと、星島名で都内のタクシー会社などを経営し、金儲けをしていることが発覚した。星島の遺志を継承する関係者の政界入りに対しても、安倍ともども抵抗して自民党の公認をさせなかった。要は、星島の芽を完全に消滅させるために異常な行動をとった。
敵をせん滅させるという陸軍の価値観が、政治家になっても貫徹していた。
そんな六月を岸の娘婿は、高く評価した。
横道にそれる。大手の新聞テレビなどは国有地をタダ同然に払い下げてもらった。読売はナベツネ、毎日は安倍晋太郎である。東京タイムズはというと、新橋駅前の7階建ての小さなビルだった。大地震で持ち応えられるかかなり危険な建物だった。すぐ隣は都営地下鉄が走っていて、都有地を占拠していた。そこで社長の徳間康快が、僅かな場所なので買収したいといって政治部長に声をかけてきた。
運輸族に声をかければ済む事案だ。運輸族というと、石原慎太郎、加藤六月、三塚らだが、徳間と相談して三塚に絞った。彼は庶民的な性格だったからで、加藤の陰湿さがなく、台湾派青嵐会の石原は最初からはずした。徳間はその後に徳間書店のビルとして建設したが、メインバンク(平和相互)が住友に買収され、今は三井住友に所有権が移転されているだろう。この件では当時、大蔵大臣の竹下登にも頼んだ。
消費税の課税免除の場面では、新聞をナベツネが、週刊誌など雑誌関係を徳間が処理した。この時は自民党三役の小沢一郎・渡辺美智雄・西岡武夫に陳情した。政治部長は、会社や業界の雑用処理に狩り出されるものである。これも勉強にはなった。
<「県議の娘」は安倍洋子と金丸悦子を抑え込む>
古来より「人(将)を射んとせばまず馬を射よ」といわれてきた。佐藤内閣で官房長官になった木村俊夫は、田中内閣で日朝正常化に汗をかいたことで知られるが、元佐藤派秘書の話では、彼は佐藤栄作夫人の寛子に毎日のように高級菓子を贈っていたという。この手の「馬を射よ」の話は、永田町に少なくない。猟官運動の一つだが、加藤六月の場合、その重大な役割を果たしたのは、県議の娘から六月の妻になった睦子。
彼女は夫の浮気でイラついていた安倍晋太郎の妻で、岸の長女・洋子詣でを繰り返した。星島秘書時代は、後援会幹部を懐柔し、資金集めに星島の名義で会社を立ち上げたやり手。
都内一等地に豪邸を建てると、そこからマイカーを運転して洋子のもとへ、さらには金丸信の妻、悦子の家にも飛び込んでいった。いかつい印象を与えかねない夫のマイナス面を、見事にカバーしていたのだ。
陸軍士官学校ではこうしたことも学んだ六月の指示だったのか。それとも県議の娘として体得していたものか。六月の晋太郎支援は、妻に頭の上がらなかった分、夫は彼女の言い分を聞くしかなかった。
六月が亡くなった時、葬儀委員長に晋三官房長官が選ばれた。安倍家の出来の悪い問題児を擁護してきた洋子の言い分は、その後も六月の娘婿の人事でも発揮した。
晋太郎の信頼は厚かったが、派内の評判は必ずしも良くなかった六月。ロッキード事件では「灰色高官」として話題となった。リクルート事件でも注目を集めた。カネ問題でいつも話題になる睦子の夫だった。
睦子は手を広げた。実力者の金丸信夫人の悦子との関係も構築した。中曽根内閣と竹下内閣では、飛ぶ鳥を落とすような勢いのあった金丸を抱き込むためだった。ちなみに竹下と金丸は親類である。二人とも後妻同士の仲を、一段と格上げして国盗りを実現する策略だ。晩年の角栄も竹丸連合に破れてしまった。
今回初めて金丸夫人を写真で見た。素敵な顔つきの女性だ。金丸も彼女の一言に折れる間柄だった。睦子はそこに狙いを定めた。六月が三塚に後継争いで敗れ、除名されると、娘婿を金丸の経世会に送り込んだ。いま自民党幹事長の茂木と勝信の、統一教会をめぐっての確執が話題を呼んでいる。
睦子最後の仕事は、娘婿の元財務官僚の勝信を閣僚(厚労大臣・官房長官)に就けたことである。洋子の一言に晋三も折れた。なんと六月の娘までも内閣の役職に就けた。権力の乱用を息子にさせるすごい洋子と睦子だった。後者は、晋太郎と同じすい臓がんで亡くなった。衝撃を受けた人物は洋子だ。安倍晋三に賭けた輩たちは、勝信を含めて統一教会との関係は深い。
下村博文・萩生田光一・高市早苗・西村康稔・稲田朋美・松野博一らの動向は、引き続き注目を集めている。
2022年11月18日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
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