後日、続編として青森県の事情についての別記事を書いています。(クリックで移動)
秋田市の田んぼの稲刈りはほぼ終わった。
今はほとんどが機械乾燥なので、稲刈りが終わった田んぼは切り株だけになって、もう冬の装いだけど、たまにこんなものがある。
プログラムオート F/5.3 1/200 露出-0.3
稲を天日で乾燥しているもの。
秋田市周辺では「はさがけ(稲架架け・稲架掛け)」が一般的な呼び名だと思う。全国的には「稲機(いなばた)」、「稲木干し」などいろんな呼び方があるらしい。
呼び名だけでなく、干し方もさまざま。
秋田市内では最初の写真の“1本立ち”のものが圧倒的に多いが、海沿いを南下した由利本荘市岩城地区や内陸の秋田市河辺地区では物干し竿に洗濯物を干すように、横に並べて干したり、それが数段重なったタイプを見たことがあった。
この秋、秋田市内では珍しいことに秋田市南西部でこのタイプを見かけた。
こっちの方が1本立ちよりも風通しが良くて乾燥しやすいような感じがするけど、どうなんだろう?
最近知ったのだけれど、1本立ちのはさ架けにもメリットがあって、枠を組む作業がいらないし、稲を干すときにもはしごをかけたりしなくてもよく、お年寄りや人手が足りなくても効率的に作業ができるという利点があるらしい。
隣の青森県津軽地方ではどうかといえば、弘前市や隣の大鰐町では秋田市と同じ1本立ちが多かった。
数年前、奥羽本線の大鰐から碇ヶ関辺り(弘前の南、秋田県に近い方)で、車窓にこんな光景を目にした。
コンパクトデジカメで撮影
見づらいけれど、道路を挟んで右(物干し型)と左(1本立ち)で干し方が違う。
僕が卒業した青森の大学では、「農場実習」という科目があり、稲作の実習もあった。田んぼのある大学の附属農場は、弘前市のずっと北、金木町(現・五所川原市)にあり、バスに2時間以上揺られて、まるで遠足のような1日がかりの実習だった。(普段は弘前の隣町の別の農場で毎週半日の実習があった)
農場の中をストーブ列車が有名な津軽鉄道が貫いていて、太宰治の生家・斜陽館からも遠くないロケーションで、どこまでが農場の敷地か分からない、一面の田んぼだった。
農作業を体験するという目的なので、田植えも稲刈りも手作業で行い、いずれも初体験だったので面白かったが、指示された乾燥方法には驚いた。
棒や枠を一切使わず、稲だけを結わえて自立させるのだ。うまく表現できないし、詳細は忘れたが、稲4株を束ねて別の1株でぐるりと結ぶような感じだったと思う。
風が吹いたら倒れるのではないかと心配したが、これが金木周辺では伝統的な方法なのだという。
この時だったかは忘れたが、稲作の研究をしている先生が「はさ架けのやり方は農家ごとに違う。だから、隣り合う田んぼでも所有者が違えば干し方が違うことだってある」といったことを話していた。(秋田市内は1本立ちばかりだから該当しないけれど)
奥羽線の車窓から見た田んぼはそういうわけだったのだ。
最後に、こちらはなくなってうれしい方だが、かつては「稲藁焼き」といって、細かくした稲藁を田んぼの片隅に積んで燃やすことが一般的だった。秋の夕方になると、秋田市の街中も独特のこげくさい臭いに包まれていたが、視界不良や健康被害をもたらすとして、秋田県では条例で今の時期の稲藁焼きは禁止された。
今でも稲藁焼きをする農家がわずかながらいるので、かすかに臭ってくることはあるが、昔よりはずっとよくなった。
シャッター優先 F/6.3 1/640 露出-0.3
秋田市某所で行われていた稲藁焼き。焼くというよりくすぶってる感じ。
後ろは特急「いなほ」のリニューアル車両。1週間前なら田んぼの稲穂と「いなほ」が撮れたかも。
後日、続編として青森県の事情についての別記事を書いています。(クリックで移動)
秋田市の田んぼの稲刈りはほぼ終わった。
今はほとんどが機械乾燥なので、稲刈りが終わった田んぼは切り株だけになって、もう冬の装いだけど、たまにこんなものがある。
プログラムオート F/5.3 1/200 露出-0.3
稲を天日で乾燥しているもの。
秋田市周辺では「はさがけ(稲架架け・稲架掛け)」が一般的な呼び名だと思う。全国的には「稲機(いなばた)」、「稲木干し」などいろんな呼び方があるらしい。
呼び名だけでなく、干し方もさまざま。
秋田市内では最初の写真の“1本立ち”のものが圧倒的に多いが、海沿いを南下した由利本荘市岩城地区や内陸の秋田市河辺地区では物干し竿に洗濯物を干すように、横に並べて干したり、それが数段重なったタイプを見たことがあった。
この秋、秋田市内では珍しいことに秋田市南西部でこのタイプを見かけた。
こっちの方が1本立ちよりも風通しが良くて乾燥しやすいような感じがするけど、どうなんだろう?
最近知ったのだけれど、1本立ちのはさ架けにもメリットがあって、枠を組む作業がいらないし、稲を干すときにもはしごをかけたりしなくてもよく、お年寄りや人手が足りなくても効率的に作業ができるという利点があるらしい。
隣の青森県津軽地方ではどうかといえば、弘前市や隣の大鰐町では秋田市と同じ1本立ちが多かった。
数年前、奥羽本線の大鰐から碇ヶ関辺り(弘前の南、秋田県に近い方)で、車窓にこんな光景を目にした。
コンパクトデジカメで撮影
見づらいけれど、道路を挟んで右(物干し型)と左(1本立ち)で干し方が違う。
僕が卒業した青森の大学では、「農場実習」という科目があり、稲作の実習もあった。田んぼのある大学の附属農場は、弘前市のずっと北、金木町(現・五所川原市)にあり、バスに2時間以上揺られて、まるで遠足のような1日がかりの実習だった。(普段は弘前の隣町の別の農場で毎週半日の実習があった)
農場の中をストーブ列車が有名な津軽鉄道が貫いていて、太宰治の生家・斜陽館からも遠くないロケーションで、どこまでが農場の敷地か分からない、一面の田んぼだった。
農作業を体験するという目的なので、田植えも稲刈りも手作業で行い、いずれも初体験だったので面白かったが、指示された乾燥方法には驚いた。
棒や枠を一切使わず、稲だけを結わえて自立させるのだ。うまく表現できないし、詳細は忘れたが、稲4株を束ねて別の1株でぐるりと結ぶような感じだったと思う。
風が吹いたら倒れるのではないかと心配したが、これが金木周辺では伝統的な方法なのだという。
この時だったかは忘れたが、稲作の研究をしている先生が「はさ架けのやり方は農家ごとに違う。だから、隣り合う田んぼでも所有者が違えば干し方が違うことだってある」といったことを話していた。(秋田市内は1本立ちばかりだから該当しないけれど)
奥羽線の車窓から見た田んぼはそういうわけだったのだ。
最後に、こちらはなくなってうれしい方だが、かつては「稲藁焼き」といって、細かくした稲藁を田んぼの片隅に積んで燃やすことが一般的だった。秋の夕方になると、秋田市の街中も独特のこげくさい臭いに包まれていたが、視界不良や健康被害をもたらすとして、秋田県では条例で今の時期の稲藁焼きは禁止された。
今でも稲藁焼きをする農家がわずかながらいるので、かすかに臭ってくることはあるが、昔よりはずっとよくなった。
シャッター優先 F/6.3 1/640 露出-0.3
秋田市某所で行われていた稲藁焼き。焼くというよりくすぶってる感じ。
後ろは特急「いなほ」のリニューアル車両。1週間前なら田んぼの稲穂と「いなほ」が撮れたかも。
後日、続編として青森県の事情についての別記事を書いています。(クリックで移動)