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小型バス

2013-02-20 23:33:04 | 秋田市営バス
今まで紹介してきた(タイトル一覧)通り、秋田市交通局(秋田市営バス)の路線バス用車両は、中型バスが圧倒的に多く、それに混じって一部路線では大型バス(ワンロマ車も)が使われていた。

中型バス、大型バスのほかに秋田市営バスには、控えめな存在ながらもう1つの車両のタイプがあった。それが「小型バス」。
交通局末期は、築地経由経法大附高線(現在はノースアジア大学線)、築地経由桜ガ丘線、泉山王環状線、駅東線、中北手線(現在はマイタウンバス化)など、ごく一部の路線だけで使われていた。多くの市民にとって乗る機会はおろか見る機会も少ないけれど、いざ目にすると大型バス・中型バスよりは明らかに小さく、見れば見たで印象に残る存在ではあったかもしれない。
今回は、これに注目したい。
※バス会社や人によっては、同じサイズの車両群を「マイクロバス」や「ミニバス」と呼ぶこともあり、秋田市でも導入当初はミニバスと呼んでいた模様。ですが、個人的にはなんとなく「小型バス」と呼びたいので、そうさせてもらいます。


秋田市交通局では、1975(昭和50)年に初めて小型バスを導入。その後、2度車両を更新したので、3世代の小型バスが存在した。ちょうど10年前の2003(平成15)年春に、当時の小型バス全路線と車両を中央交通へ移管・譲渡して、市営バスから小型バスがなくなった。

初代の小型バスは、この記事後半の通り、水色と白の地にオレンジ色の線が入る車体デザインで、市営バスの他のどの車両とも違う独特の塗装。(途中で塗り替えられて、若干塗装が変わったらしい?)
車種は、いすゞの「ジャーニーM」または「ジャーニーK」という、トラックの「エルフ」を元にした車だろうか。古臭いデザインで、側面から見ると台形に近い。ドアは前方(運転席が前輪の上にあるので、運転席よりは後ろ)に1つしかないので、乗降兼用。(最後部にもドアを設置することは可能だった模様)
もちろん冷房はなし。車両番号は不明だが、2桁だったはず。【4月15日追記】1桁だったかもしれない。
僕は、泉山王環状線で1度乗った記憶はあるが、車内がどうだったかなどの記憶はない。


2代目は、1985年前後(82年から84年頃?)に導入された。これは当時の中型・大型の路線バスと同じ塗装。
やはり、いすゞジャーニーで、型式としても先代とそんなに違わないのかもしれないが、車体の製造(架装)が「北村製作所」という新潟のメーカーによるもので、デザイン的には別物になった。
当時、北村製作所はいすゞのバスの車体をよく作っており、北日本各地などのバス会社に採用されていて、秋田市営バスや中央交通の中型バスにも、導入実績があった。
複数年度に分けて導入され、ヘッドライトは丸いのと四角のがあった。ドアは引き続き前だけ。

秋田市営バスの大型・中型バスでは、「138」号車のように、貸切・路線連番の3桁の車両番号を振っていた。
2代目小型バスには、2桁の50番台の車両番号が付けられていた。昭和40年代頃は、大型・中型バスでも2桁の番号があったようだが、この頃には2桁が小型バス専用の番号だったことになる。【4月15日追記】50~59号車の10台があったかもしれない。
同時期の大型・中型バスにならって、冷房付き。55号車くらいまでは丸いヘッドライトで、58号車は四角だった。

個人的には、ちょっと格好悪いデザインに感じていた。
北村製作所製の中型バスをそのまま縮小したようなデザインなのだが、そのせいか若干無理があるように感じていた。うまく表現できないが、「頬骨が出っ張っている」というか雪上車か何かのような不恰好なデザインに見えた。
それに、当時の市営バスの北村製作所の中型バスは、冷房がなく、行き先表示機が小型。つまり、「古いバス」という固定観念があった。この小型バスは、中型バスとそっくりなのに冷房が付いている(夏にペンギンマークのシールが貼られた)というのも、不思議な印象があった。

2代目小型バスは、3代目の導入に伴って順次廃車されたが、3代目導入後もしばらく残っていた車両が1台(?)だけあった(2000年前後まで??)。しかも、新しい塗装に塗り替えられて。
ただし、いつも東営業所の片隅に駐まっていて、走る姿は見たことがなかった。おそらく、予備車専用として残されていたのではないだろうか。【25日追記】いただいたコメントによれば、塗り替えられて残った2代目は2台あり、たまに運行していたとのこと。
中型・大型も含めて、旧塗装車が新塗装へ塗り替えられた唯一の例でもあり、写真を撮っておけばよかった…


3代目は、1993年度から1996年度まで、4年かけて順次導入された。
秋田市営バスでは、全般に車両の交替サイクルが比較的早かった傾向はある。それでも、中型や大型は10年以上使われたのに、小型は初代・2代目とも10年そこそこで更新されていたことになる。

初代・2代目はいすゞ製だったが、3代目は日野自動車製となり、メーカー側の事情(後述)があって車種としては2種類が混在した。
この頃のいすゞ自動車は、経営状態が良くはなく、小型バスの使い勝手や売れ行きも良くなく、1993年からは日産のOEMになったようで、そんな理由からメーカーを替えたのかもしれない。

1993年当時の日野の小型路線バスは、中型バス「レインボー」の中に「レインボーRB」として内包されていて、まずはそれが導入された。
1993年度と1994年度に1台ずつ導入され、60・61号車となった。
61号車。中型・大型と同じ新塗装

側面
車両後部にもドアができ、乗車と降車が分離された。
秋田市営バスの歴代車両で、車両後部にドアがあるのは、この車両だけだろうか。

この車両で画期的なのが、前ドアが、中型・大型と同じく、前輪より前になったこと。(レインボーでは1992年に追加された仕様)
以前の車両では、ドアが運転席から離れた後方にあり、乗客の動線や運転士のドア開閉、運賃収受があまりスムーズにいかなかったはずだが、これによって大型・中型バス並みになったと思われる。

側窓は、当時導入の大型バスと同じく、青い着色ガラスが採用されている。(同時期導入でも、中型バスはなぜか無着色のガラスだった)
リアウインドウも青い
この頃の中型バスでは、オートマチックトランスミッション仕様で導入されていたが、大型と小型はなぜかマニュアル。
60号車車内。つり革はなかったようだ
座席の柄は、中型や大型(ワンステップは別の柄)と同じ、緑色(と数少ない2人掛けの通路側はエンジ色)の格子。背もたれは(市営バスにしては)低く、昔のバスのよう。肘掛けにも布がかかっているのが豪華(中型・大型にはない)。
車体デザインもスタイリッシュになったし、ドアの配置も変わり、より普通のバス(中型・大型)に近くなったと感じた。


1993・1994年度と2台が導入されたところで、変化があった。
1995年8月に、レインボーRBが廃止され、新車種「リエッセ」として独立・モデルチェンジしてしまった!

交通局としては予想外の展開だったろうけれど、メーカーの都合だけにどうしようもない。素直に1995年度からはモデルチェンジした車両を購入。
62号車。祝日などに掲げられる旗は、中型・大型と同じものだったようで、小型バスには大きく感じる
リエッセでは、中型・大型同様、車両の中央部にもドアを設置できるようになり、交通局はその仕様で導入。
63号車側面
したがって、最後部にドアがある60・61号車とは乗車口の位置が違ってしまうことになるが、特に区別せずに混ざって使われていた。
レインボー61号車とリエッセ62号車
リエッセでは、側窓は無着色に戻り、座席柄は同年度の中型バスに合わせて、水色系統とピンク系統の座席に変更(肘掛けには布がかかっているはず)。

リエッセは1995年度に62~64号車、1996年度に65・66号車と、計5台が導入された。
以前も取り上げたように、1996年度の車両は、バックライト付き液晶の行き先表示機で導入されたが、見づらかったためか、早期に幕式に変えられた。
幕式に変えられた後の66号車
上の63号車と66号車の側面の行き先表示を比べてみると、66号車のは大型のものが設置されていて、不釣り合いな感じ。
液晶から交換するにあたり、余っていた中型・大型用のものを使い回したのだろうか?

65・66号車は、日産ディーゼル製中型バス134~138号車とともに、秋田市交通局が最後に購入したバスということになる。
日野自動車としては、小型バスを製造販売していたのが功を奏し、最後まで継続して秋田市交通局に買ってもらえたとも言える。中型・大型バスを含めて、1988年度から1996年度まで途切れることなく、毎年何らかの日野製の新車が納入されていた。


交通局末期には、小型バス3代目の7台の日野製車両が活躍していたことになる。
交通局の小型バスは、長年、東営業所に配置されていた。(東営業所は1980年に手形字西谷地に開所、1987年に広面字鍋沼に移転)築地経由や駅東線が主な充当路線であることを踏まえれば、妥当。
市営バスの中央交通への路線移管が始まり、2001年には、東営業所そのものが中央交通へ譲渡(同社秋田東営業所となった。2011年に廃止)。しかし、小型バス路線はまだ移管されなかったため、7台の小型車両は臨海の交通局中央営業所へ転属となった。
東営業所時代は、秋田駅西側では小型バスを見かける機会がきわめて少なかったが、臨海転属後は、車庫への出入りのため、県庁経由交通局線を走ることが増え、竿燈大通りなどで目にする機会が増えた。
小型バスが交通局線を走ったのは、この時が初めてだったかも
ただし、それも2年間だけ。
2003年春には、小型バス路線が中央交通へ移管され、7台の小型バスも譲渡されて、再び東営業所(今度は中央交通のだけど)の所属となった。(中央交通への車両譲渡は、車齢10年超が無償譲渡、満たないものは有償譲渡という取り決めだったそうなので、小型バスは有償譲渡されたのだろう。)
これにより、再び、秋田駅西側で小型バスを見かけなくなった。
譲渡直後の62号車。塗装変更される前で市章が外され、号車番号は隠され、社名は書き換えている
その頃、中央交通では新車のリエッセを購入し、秋田市内に導入していた。
当時の雄和町の循環バス「ユーグル」用などとして使われていたのだと思うが、その一部が移管路線にも使われるようになり、交通局からの譲渡車と中央交通自社発注の車両が混ざって走るようになった。
自社発注車は、オートマチックトランスミッションで、中ドアに車椅子リフト付き、塗装の塗り分けが微妙に異なるといった違いがある。
(再掲)左が譲渡車、右が自社発注車
さらに上記の通り、秋田東営業所は、2011年春に廃止されたので、これらの小型バスは秋田営業所(大川反車庫)へ転属。現在は再び、秋田駅西側で小型バスをよく見るようになった。
元市営バスの小型バスは、ここ10年ほどで広面(交通局東営業所)→臨海(同中央営業所)→広面(中央交通秋田東営業所)→大川反(同秋田営業所)と所属を変えてきたことになる。

寿命が短かった初代・2代目と違い、3代目はまもなく車齢20年を迎える。
特に傷んでいるようにも見えないし、中央交通の中型・大型バスの使い方を踏まえれば、まだまだがんばれそう。


とはいえ、元市営バスの小型バスで活躍するのを見かけるのは、リエッセだけ。
2台だけのレインボー(元60・61号車)のほうは、とんと見かけなくなったと思っていたが、男鹿営業所へ配置され、男鹿のローカル路線で活躍しているようだ。
NHKBSで放送されている「日本縦断 こころ旅」(火野正平が自転車で各地を巡る)で、2011年6月頃に男鹿半島の門前を訪れた際、背後にちらりと映っていた。(ヒノつながりか…)



ところで、何度か取り上げているように、秋田市中心市街地循環バスの車両にも、1台だけリエッセが使われている。予備車的扱いで土日の登板が多い。
ナンバープレートからすれば、市営バスのよりは新しく、一般路線の中央交通の自社発注車よりは古い。これも自社発注で、以前は五城目営業所にいたようだ。中ドアのリフトはなく、オートマ。
リエッセのオートマは3速だそうで、変速ショックや騒音から敬遠する事業者もいるらしい。循環バスに乗っていても、「ぎゅいーん」となんか燃費が悪そうなエンジン音がするし、タイミングの悪い変速ショックも気になる。(ただし、上手な運転士だと、アクセルの踏み加減を調整しているのか、ショックが少ない運転をしてくれる人もいる)


リエッセという小型バスは、小さいながらも「普通のバス」っぽく、(個人的にはあまり好きでない)日野自動車の車体デザインにしては洗練されていてかつ奇妙でなく好感を持っていた。
地方のバス会社では、手頃なサイズで使い勝手が良かったのか、好んで導入していた事業者も多い。弘南バスなど、1990年代後半は秋田市交通局以上のペースで大量に導入していた気がする。
しかし、バスメーカーの業界再編に伴い、日野にいすゞやトヨタとの製品供給の関係ができたことや、バリアフリーに配慮した「ポンチョ(リエッセより高価)」を後継車種として、2011年で日野が製造するリエッセの販売を終了。現在は、似ても似つかないトヨタのマイクロバスを「リエッセ2」として発売するだけとなったのは、少し惜しい。


今回は、小型バスの「車両」を見てきたが、秋田市営バスで小型バスが使われた「路線」の変遷を見ると、秋田市の街の変化が見えてくる。いずれまた。

※その後、2019年の小型バスの状況
コメント (10)
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