先日さわりをアップしていた、秋田市北部を流れる「新城川(しんじょうがわ)」の付け替え工事の現地レポート。
※2015年4月末~5月初めの状況です。
最初に新城川について。一部、過去の記事と重複します。
流路延長19.1キロ、流域面積69.9平方キロメートル。ちなみに秋田市中央部を流れる旭川は21.8・223.0、太平川26.3・148.1。
河口側から、飯島、下新城(しもしんじょう)、上新城(かみしんじょう)の各地域を流れる。
今まで意識していなかったけれど、下新城/上新城という地名は「新城川の上流/下流」という意味のようだ。下流側では飯島地区のほぼ北端をなぞるように流れる、国道7号線付近では下新城中野を流れているかと思っていたが、そこも飯島。
新城川と交わる道路や合流する河川を、大雑把にまとめると以下の通り。
新城川は川幅が狭かったり蛇行したりするため、氾濫しやすい。
印象としては、毎年、夏から秋にかけて、避難勧告が出たとか実際にあふれたとかニュースを見聞きする。
(国から委託されて)新城川を管理する秋田県では、氾濫させないような改修計画をかなり長期計画で進めている。
河口から島合川合流点(国道7号線)まで約2キロは1990年までに改修済み。(だけど洪水は発生していたから、効果は限定的だったことになる)
そこから上流側の改修が進められ、このほど、下新城笠岡まで約2.35キロが完成した。この後、さらに上流へ2.3キロほど進んだ秋田道付近、下新城岩城字槻ノ木までの改修が計画されているが、完成は未定。
ここからは、今回完成した区間について。
この区間は、横山金足線を境に飯島地区と下新城(笠岡)地区にほぼ区分されるが、付け替え工事もそれに対応するかのように2工区に分かれていた。全区間でまったく新しい所に付け替わったのではなく、一部は既存の川を拡幅している。
横金線の橋の架け替え工事をやりたくなかったのか、あるいはそれぞれの集落を避けて川を通した結果なのか、ほかの理由なのか。
当ブログでは、飯島側から紹介することにします。
飯島地区の国道や線路からはよく見える新城川ではあるが、その上流側はよそ者には分かりにくくて行きづらい。
国道や上飯島駅から、県道112号線の狭い道を北へ進み、今はすっかり住宅街となった飯島鼠田(いいじまねずみだ)を抜けると田んぼが見えてくる。県道から離れると左手には畑と木の奥に、
古いほうの新城川が見えた。奥が上流方向
ここは付け替えで新しい流路に移行した部分だが、この時点では古いほうにも水が流れていた。狭くてカーブが多い。
進むと家はまばらになるが途切れることはなく、
橋があった
橋の先は古くからの家が多い、農村の集落に入る。
「よもぎだはし」
漢字表記は確認しなかったが「蓬田橋」だろうか。【15日追記】1970年に架けられたもので「蓬田橋」表記で合っているようだ。
ただし、ここに「よもぎだ」という地名は現存しない。蓬田といえば添川を連想してしまう。
上流方向
カーブしながら250メートルほど集落を進むと、
また橋
これが付け替え後の新しい新城川に架かる、新しい橋である。その名は、
「上飯島橋」
「上飯島」という地名も存在しない。
【2019年9月12日訂正】上飯島という地名は現在はないが、かつては存在していたので、以下を削除・訂正します。少なくとも橋や公民館は、かつての地名由来ということになります。またコメント欄の通り、今も地元では通用する呼称とのこと。
1912年(明治最後の年)の地形図にこの一帯が上飯島との表記がある。さらに「下飯島」の記載もあるが、現在の飯島小学校の丘のふもと~横金線の間(地名としては飯島水尻辺り)で、今のように家並みが続いてはいないので、上下でけっこう離れていた。上飯島の駅は、むしろ下飯島のほうが近いかもしれない。駅名は、昭和初めに信号場ができた時の命名かと思われるが、当時は線路付近も地名が上飯島だったのか、もしくは昔の鉄道にありがちなあまり考慮せずに命名してしまったかのどちらかだろう。
その由来は駅名だろう。対になる「下飯島」駅などはない。おそらく、当時の国鉄が勝手に命名したのではないかと思われる。国鉄では、けっこう適当な命名が見られる。
ただし、よもぎだ橋のたもとにあった集会所は「上飯島公民館」だったように、地元ではある程度受け入れられているのだろう。
それにしても、飯島地区の北端であるここは「上」より「下」(東京、秋田市中心部、もしくは飯島地区中心部に向かって)という気もしなくはない。
上流側
橋の銘板は、「上飯島橋」は達筆な行書、「かみいいじまはし」は「よもぎだはし」に似た楷書風。「新城川」と「平成17年3月竣功」は活字の楷書体(HG正楷書体?)。銘板の規格は同じなのに、書体が揃っていないのがおもしろい。
上飯島橋から下流方向。右奥が秋田火力発電所
写真では小さくて分かりにくいが、300メートルほど下流に奥羽本線と国道7号。
上飯島橋の上流方向は、
左が上流・横金線方向
橋のすぐ上流側に、新旧流路の分岐点がある。
上飯島橋の下流側は川でなかった場所にまったく新しく川を造り、上流側は既存の川を広げたことになる。
新しい新城川を見てしまうと、古い新城川は、
この狭さではあふれて当然
銘板によれば上飯島橋は2005年竣工。正式には10年経って、やっと下に川ができた。
2012年10月撮影のGoogleストリートビューでは、
田んぼの中に橋が“架かって”いる。右に少し見える水が拡幅前の新城川上流方向
上流側から見た上飯島橋。橋の手前左が旧流路
上飯島橋の上流200メートルほどのところに、横山金足線の橋が架かる。
このように、以前の流路では「ひ」の字のような形状で1.5キロほどかかっていた区間が、新流路では500メートルほどに短縮された。
よもぎだ橋と上飯島橋の間の集落は、旧流路と新流路で挟まれて島状になった。
この集落(正確には上飯島橋の先にも少々続く)の名は「飯島字天ノ袋(てんのふくろ)」。
東京の池袋なども同じそうだが、地名の「袋」は湿地や水に囲まれた土地を意味するそうだ。
天ノ袋など、旧流路の形状からして「袋」状で、きっとこれが由来なんだろう。
【2019年9月12日追記】いただいたコメントによれば、かつては天ノ袋が土崎港まつりの山車の出発地だったとのこと。
天ノ袋集落に架かる橋は、よもぎだ橋、上飯島橋のほかに、もう1つあった。
その名も「天ノ袋橋」。
この先なのですが…
なんて言うか、ものすごく個性的というか特徴的というか、そういう橋なのでした。
「橋」カテゴリーで続きます。
飯島地区新旧流路が共存しているGoogleマップより。赤が新流路
【11月5日追記】2015年11月初め現在、天ノ袋周辺の新城川は、この時とほとんど変わっていない。旧流路にも水が流れている。
また、横山金足線に架かる橋は「飯島大橋」という名称だった。
※2015年4月末~5月初めの状況です。
最初に新城川について。一部、過去の記事と重複します。
流路延長19.1キロ、流域面積69.9平方キロメートル。ちなみに秋田市中央部を流れる旭川は21.8・223.0、太平川26.3・148.1。
河口側から、飯島、下新城(しもしんじょう)、上新城(かみしんじょう)の各地域を流れる。
今まで意識していなかったけれど、下新城/上新城という地名は「新城川の上流/下流」という意味のようだ。下流側では飯島地区のほぼ北端をなぞるように流れる、国道7号線付近では下新城中野を流れているかと思っていたが、そこも飯島。
新城川と交わる道路や合流する河川を、大雑把にまとめると以下の通り。
河口・県道56号~[河口から2キロ]島合川合流・国道7号・JR奥羽本線~[河口から3キロ]横金線【←飯島・下新城→】~[河口から4キロ]県道112号~[河口から6キロ]~秋田道【←下新城・上新城→】~道川合流~湯ノ里川合流~源流(白山川・小又川合流)
国土地理院の地形図によれば「白山川」と「小又川」が合流する地点で「新城川」の表記が消えている。新城川の源は山から湧いているわけではなく、2つの河川の合流点が始まりということなんだろうか。新城川は川幅が狭かったり蛇行したりするため、氾濫しやすい。
印象としては、毎年、夏から秋にかけて、避難勧告が出たとか実際にあふれたとかニュースを見聞きする。
(国から委託されて)新城川を管理する秋田県では、氾濫させないような改修計画をかなり長期計画で進めている。
河口から島合川合流点(国道7号線)まで約2キロは1990年までに改修済み。(だけど洪水は発生していたから、効果は限定的だったことになる)
そこから上流側の改修が進められ、このほど、下新城笠岡まで約2.35キロが完成した。この後、さらに上流へ2.3キロほど進んだ秋田道付近、下新城岩城字槻ノ木までの改修が計画されているが、完成は未定。
ここからは、今回完成した区間について。
この区間は、横山金足線を境に飯島地区と下新城(笠岡)地区にほぼ区分されるが、付け替え工事もそれに対応するかのように2工区に分かれていた。全区間でまったく新しい所に付け替わったのではなく、一部は既存の川を拡幅している。
横金線の橋の架け替え工事をやりたくなかったのか、あるいはそれぞれの集落を避けて川を通した結果なのか、ほかの理由なのか。
当ブログでは、飯島側から紹介することにします。
飯島地区の国道や線路からはよく見える新城川ではあるが、その上流側はよそ者には分かりにくくて行きづらい。
国道や上飯島駅から、県道112号線の狭い道を北へ進み、今はすっかり住宅街となった飯島鼠田(いいじまねずみだ)を抜けると田んぼが見えてくる。県道から離れると左手には畑と木の奥に、
古いほうの新城川が見えた。奥が上流方向
ここは付け替えで新しい流路に移行した部分だが、この時点では古いほうにも水が流れていた。狭くてカーブが多い。
進むと家はまばらになるが途切れることはなく、
橋があった
橋の先は古くからの家が多い、農村の集落に入る。
「よもぎだはし」
漢字表記は確認しなかったが「蓬田橋」だろうか。【15日追記】1970年に架けられたもので「蓬田橋」表記で合っているようだ。
ただし、ここに「よもぎだ」という地名は現存しない。蓬田といえば添川を連想してしまう。
上流方向
カーブしながら250メートルほど集落を進むと、
また橋
これが付け替え後の新しい新城川に架かる、新しい橋である。その名は、
「上飯島橋」
「上飯島」という地名も存在しない。
【2019年9月12日訂正】上飯島という地名は現在はないが、かつては存在していたので、以下を削除・訂正します。少なくとも橋や公民館は、かつての地名由来ということになります。またコメント欄の通り、今も地元では通用する呼称とのこと。
1912年(明治最後の年)の地形図にこの一帯が上飯島との表記がある。さらに「下飯島」の記載もあるが、現在の飯島小学校の丘のふもと~横金線の間(地名としては飯島水尻辺り)で、今のように家並みが続いてはいないので、上下でけっこう離れていた。上飯島の駅は、むしろ下飯島のほうが近いかもしれない。駅名は、昭和初めに信号場ができた時の命名かと思われるが、当時は線路付近も地名が上飯島だったのか、もしくは昔の鉄道にありがちなあまり考慮せずに命名してしまったかのどちらかだろう。
ただし、よもぎだ橋のたもとにあった集会所は「上飯島公民館」だったように、地元ではある程度受け入れられているのだろう。
それにしても、飯島地区の北端であるここは「上」より「下」(東京、秋田市中心部、もしくは飯島地区中心部に向かって)という気もしなくはない。
上流側
橋の銘板は、「上飯島橋」は達筆な行書、「かみいいじまはし」は「よもぎだはし」に似た楷書風。「新城川」と「平成17年3月竣功」は活字の楷書体(HG正楷書体?)。銘板の規格は同じなのに、書体が揃っていないのがおもしろい。
上飯島橋から下流方向。右奥が秋田火力発電所
写真では小さくて分かりにくいが、300メートルほど下流に奥羽本線と国道7号。
上飯島橋の上流方向は、
左が上流・横金線方向
橋のすぐ上流側に、新旧流路の分岐点がある。
上飯島橋の下流側は川でなかった場所にまったく新しく川を造り、上流側は既存の川を広げたことになる。
新しい新城川を見てしまうと、古い新城川は、
この狭さではあふれて当然
銘板によれば上飯島橋は2005年竣工。正式には10年経って、やっと下に川ができた。
2012年10月撮影のGoogleストリートビューでは、
田んぼの中に橋が“架かって”いる。右に少し見える水が拡幅前の新城川上流方向
上流側から見た上飯島橋。橋の手前左が旧流路
上飯島橋の上流200メートルほどのところに、横山金足線の橋が架かる。
このように、以前の流路では「ひ」の字のような形状で1.5キロほどかかっていた区間が、新流路では500メートルほどに短縮された。
よもぎだ橋と上飯島橋の間の集落は、旧流路と新流路で挟まれて島状になった。
この集落(正確には上飯島橋の先にも少々続く)の名は「飯島字天ノ袋(てんのふくろ)」。
東京の池袋なども同じそうだが、地名の「袋」は湿地や水に囲まれた土地を意味するそうだ。
天ノ袋など、旧流路の形状からして「袋」状で、きっとこれが由来なんだろう。
【2019年9月12日追記】いただいたコメントによれば、かつては天ノ袋が土崎港まつりの山車の出発地だったとのこと。
天ノ袋集落に架かる橋は、よもぎだ橋、上飯島橋のほかに、もう1つあった。
その名も「天ノ袋橋」。
この先なのですが…
なんて言うか、ものすごく個性的というか特徴的というか、そういう橋なのでした。
「橋」カテゴリーで続きます。
飯島地区新旧流路が共存しているGoogleマップより。赤が新流路
【11月5日追記】2015年11月初め現在、天ノ袋周辺の新城川は、この時とほとんど変わっていない。旧流路にも水が流れている。
また、横山金足線に架かる橋は「飯島大橋」という名称だった。