広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

東海林太郎諸越サブレ

2009-06-11 20:19:51 | 各地お土産・食べ物
旅行記は中断して、秋田のお菓子のお話です。

秋田市大町のイーホテルショッピングモール(旧ファッションアベニューAD)地下の大町こみち(旧スーパーランドヤマト)では、ニューシティのヤマト時代から複数の地元お菓子屋さんの製品をバラ売りしている。
その1つが近くの旭北栄町(通町から新国道へ抜ける鉄砲町の通り)の「ぜんげつ堂」。小さな町のお菓子屋さんで、ケーキやタルトなど洋菓子メインのお店だと思ったら、明治14年創業で和・洋菓子とも扱っていた。秋田蕗のエキスを入れた「蕗ようかん」、秋田産の米や乳製品が原料で竿燈まつりの提灯をかたどったサブレなども作っている。
僕が買ってきたのではないが、こういう商品があるそうだ
新製品か? と思ってネットで調べると、少なくとも1年前には発売されていたようだ。
何も表示のないシンプルな包装だが、中身はインパクト大。誰かの顔だが、秋田の方と年配の方はご存じだと思う。

秋田生まれで直立不動で歌う歌手、東海林太郎(1898-1972)だ。
生家が千秋矢留町(千秋トンネルの保戸野側、明徳小学校裏手の下)で、千秋公園入り口の県民会館の裏に歌声の流れる銅像のある小公園(なんであの場所にあるんだろう?)もあるし、旭川沿いの榮太楼というお菓子屋(東京の榮太樓總本鋪とは別だが、昔お菓子の型を分けてもらったからだと聞いた。うろ覚えですが)の2階には資料を集めた「東海林太郎音楽館」があるなど、秋田市中心部に縁のある人物。

開封
なかなか似てるんじゃないでしょうか?
眼鏡と耳がもっと大きくて、髪の量も多いとさらに似ると思うけれど。
お菓子はフラッシュをたいていないのに、反射してテカテカ。ちょっと湿っているようで、普通のサブレと何か違う。
実はただのサブレではない。表示を見ると、

品名は「東海林太郎(もろこしサブレ)」、原材料には小麦粉よりも小豆が多く使用(先に記載)されている。

秋田銘菓の「諸越(もろこし)」というのがある。落雁(らくがん)という米などの粉を型に入れて固めた干菓子があるが、代わりに小豆の粉を使った(さらに通常は焼いた)もの。ぜんげつ堂はじめ複数の店が作っている。
そのもろこしをイメージしたサブレなのだろう。米粉サブレはわりと見るが、小豆は珍しい。
厚手でおいしそうだけど、このデザインは食べるのを躊躇してしまうなー
食べるとさくっとしてバターの味がするが、たしかにもろこしと同じ味も少しする。もろこしは口中の水分を吸収する上甘くて、お茶がないと食べにくいが、こちらは食感や甘さは通常のサブレと同程度。悪くない。
上手く小豆をサブレ化したとは思うが、もろこしを知らない人には、小豆の味を感じても、それが何の味か分からないだろう。もう少しバターを弱くするとか小豆を強くすることはできないのかな? 難しいのかもしれないけど。
さらにバラ売りだからかもしれないが、包装がシンプルすぎる。若い人は「東海林太郎」自体を知らないだろうし。

音楽館と同じ建物に入る榮太楼さんは釣りキチ三平の映画に便乗した商品なんかを出しているが、ぜんげつ堂さんは東海林太郎とはなかなか渋い所に目を付けましたな!
コメント (8)
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長良川河口堰

2009-06-10 21:02:31 | 
尾張大橋の翌日は「伊勢大橋」へ。その前に近くの「長良川河口堰」を訪れたので、この記事で紹介します(橋ではないですが便宜上橋カテゴリにします)。

昨日と同じく名鉄で弥富駅へ。近鉄に乗り換えて1駅の近鉄長島駅から歩き始める。
駅前の観光看板(文字を追加しました)
川に囲まれて島状態なのが分かる。温泉やレジャー施設、輪中関係の展示施設が点在するが、車でないと行きづらい

国道へ出ずに、線路沿いに500メートル進むと長良川の堤防。周りは田んぼが広がる。伊勢大橋や河口堰が見えるけど遠い。堤防を下流へ歩く。
これは河口からの距離のようだが、分かりづらい。
その点、雄物川の「日本海から/まで○キロ」のカッパ看板は分かりやすいし楽しい。東北地方整備局もしくは秋田河川国道事務所のオリジナルキャラなのだろうか?

線路から1.3キロで伊勢大橋。橋は後回しにして、さらに下流へ300メートルほどで長良川河口堰。
右に伊勢大橋が見える
1995年の河口堰運用開始当時は、その是非を巡る報道がよくされていたが、最近は見かけない。
汽水だった水域が淡水化されて漁業に影響があったり、生態系への影響が問題視されてきたが、地域住民を長年悩ませた水害対策や水の利用など人間の命や生活に関わる部分が改善されたという側面もある。遠い地に住む僕が、少ない情報で、河口堰がいいか悪いか、いるかいらないかは判断できない。

ところで、秋田県民の皆さん。
秋田駅東西を結ぶ地下トンネル「秋田中央道路」の建設費は700億円。では、この長良川河口堰の建設費はトンネル何本分に相当するでしょうか?

正解は約2本分(1500億円)。個人的には、ずいぶん安いと思った。中央道路のことを考えてしまうと。
中央道路は当初、1500億円で上下線別に2本のトンネルを掘る計画だったから、かつての秋田県はこの河口堰を秋田市中心部に埋めようと考えていたようなものだ。
でも国にとっての1500億円と秋田県にとっての700億円では重みが違いすぎる。それに中央道路がなくても洪水になるわけでも人が死ぬわけでもない。
河口堰のことは置いておいて、秋田から遠く離れた地で長良川を眺めながら、あの地下道路は必要だったのかと、また思ってしまった。

さて、長良川といえば…
鵜!
日本に生息するウミウとカワウは区別が難しい。これは光沢がないのでカワウかな。鵜飼いに使われるのはウミウの方。ほかにも鵜や白い鷺がいた。

河口堰周辺には駐車場・公園・芝生があり、自由に立ち入りできる。
急な階段下に「左岸魚道観察室/ご自由にお入り下さい」
入り口は暗幕が張られ、川に沿って長い小部屋になっている。
長良川の生き物の資料が展示されていた
河口堰の両端は魚が行き来できる魚道になっており(数種類の違う方式がある)、ここでその1つの「呼び水式魚道」を側面から観察できる。
(水族館みたいに見えるけど、写真奥から手前に向かって流れている長良川の側面)
底の方で小魚が群れていた
アユの遡上シーズンだが、潮の満ち干に影響されるそうで、この時は見られなかった。
草むらをかき分けて下流側から
以前から写真で見て気になっていたのが、上部の丸っこい物体。「操作台上屋」という堰のゲートの制御装置が入った部屋で水滴をイメージしたとのこと。昆虫の複眼のような、ロボットの頭のような、好きになれないデザイン。
敷地内の看板「セアカゴケグモにご注意」
そうそう。こんなニュースもあったな。ほとぼりが冷めるとすぐ忘れてしまうが、当事者にとっては今でも問題。
資料館「アクアプラザながら」
入館無料で河口堰や長良川の治水の歴史に関する展示がある。
展示によれば、河口堰の主目的は、
洪水を防ぐには川底を掘り下げる“しゅんせつ”が有効→しゅんせつすると海水が長良川に逆流しやすくなり生活に影響する(塩害)→そのため河口堰で海水逆流を防止する
ということだと理解した。

河口堰自体を維持管理する管理所とは別棟だが職員が常駐し、清掃も行き届いていた。予約すれば1人でも案内してくれるそう。トイレもきれいだったし、展望室(屋内外両方)もある。
屋内展望室
生茶のボタンが8つもあって午後の紅茶は1種類しか入っていないキリンビバレッジとコカコーラ自販機があった。
上屋と伊勢大橋と桑名市街

反対側、長島地区
麦畑や住宅の向こうに昨日渡った尾張大橋が見えた。
下流方向
左の道路や駐車場が川の水面より低く見える。1959年の伊勢湾台風では高潮による大きな被害があったそうだ。

河口堰本体の上は、ダムと同様橋状になっていて昼間は開放されており徒歩か自転車で対岸へ渡れる。長さ661メートルもあり、行って戻ってくるのも大変なので、見学者用レンタル自転車まであった。僕はもうここへは戻ってこないので歩き。

作業用車両が通るのだろうが、車がすれ違えるほど広い。手すりもしっかりしていて、歩いても恐怖感は感じない。
10個以上の丸い上屋が並ぶが、長島側の2個は写真のように上流・下流両側に上屋があり、残りは下流側だけ。役目が違い、この2個は「ロック式魚道」、残りがメインの「調節ゲート」。
上から見た調節ゲート下流側
運用開始時にこのゲートが落ちる(閉まる)映像が象徴的に使われていた。
丈夫な手すりがあるとはいえ、こうしてのぞき込むと怖いのはダムを見下ろした時と同じ。水は滝状にザーと流れているようにしか見えないが、ゲートで上流側水位を高くして海水が流れ込まないようにしたり、洪水時に調整したりしているとのこと。
伊勢大橋を真横から見られる。美しい

工事関係業者の車が駐まっていた
自転車を借りていた人がいたが、ミニチュアダックスフントも一緒だった。広々とした橋の上が楽しいようで、飛び回っていた。
対岸に近づいてきた。
ゲートとは違う構造の物がある
自転車は通れない狭い通路があり、上流方向へ入れた。
「閘門(こうもん)」という水位を調整して船を通す場所。魚道も兼ねる。

対岸に到着。対岸と言っても幅200メートルほどの千本松原と言われる堤防で、すぐ隣を揖斐川が流れる。
伊勢大橋方向。右が長良川、左が揖斐川

下流方向
川の境の堤防は徐々に細くなってなくなっている。そこが合流点で、長良川は終わりで揖斐川になるようだ。
アップ
赤いのは3キロ下流の国道23号揖斐長良大橋。上下線同じ構造の赤いトラス橋が2本並んで重なって見える。尾張大橋からも見えた河口のナガシマスパーランドのジェットコースターも見えて、おもしろい光景。
親水広場という水辺の公園があった
さて、これから伊勢大橋を渡るけど、この堤防は橋の途中。普通の橋なら、一本道で両岸からしか渡れない。
でも伊勢大橋は大丈夫。橋の下を潜り上流側に行くと、
アーチにぽっかり穴が開いていて、中に入れるのです!
車道があり、橋の中に信号機まで付いている(右の坂道は河口堰への=今歩いてきた 歩行者道)。
伊勢大橋の記事は後日アップします。
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尾張大橋

2009-06-09 21:14:00 | 
「木曽三川(きそさんせん)」と呼ばれる川がある。岐阜県や愛知県西部の濃尾平野を流れる木曽川・長良川・揖斐(いび)川の3つをまとめた呼び方。鵜飼いで有名な長良川以外は、僕も含めて東北人にはなじみが薄いが、どれも“大河”と呼ぶにふさわしい河川だ。

「輪中(わじゅう)」はご存じだろうか。僕は教育テレビの小学校4年生のクラさんか5年生の「リポートにっぽん」で見たような記憶があるが、この木曽三川流域は低い土地が多く水害に悩まされ、その対策として集落全体を堤防で囲ったのが輪中。

洪水の頻発は、かつて3つの河川が下流域で渾然一体となって流れていたことも理由で、江戸と明治時代に大規模な治水工事が行われ、現在はそれぞれが明確に区分され流れている。

地理好き・大河好きとしては大いに興味をそそられる場所で、以前はこの3本が最接近して流れる場所(木曽三川公園センター)を見た。秋田市の雄物川河口付近(雄物川だって有数の大河川だ)みたいなのが3本隣り合って流れていて、とても感動した。今回は、そこから6~7キロほど下流、愛知県の海沿い最西端、弥富(やとみ)市を訪れた。
「弥富」駅
名古屋からのJR関西本線、ローカル線の名鉄尾西線が同じ駅を使い、別に徒歩数分の場所に近畿日本鉄道の「近鉄弥富」駅がある。名古屋周辺でこの3社が集結する駅は、名古屋駅と弥富駅しかない。名古屋から弥富へは運転本数や時間的に近鉄かJRを使うのが普通だが、今回はフリーきっぷ使用なので、ローカルムード満点の名鉄で。
弥富駅は地下駅以外では最も低い場所にある駅
一説には近鉄弥富の方が低いとされるが、近鉄では駅の標高を調査しておらず、不明らしい。
弥富駅は豊橋駅と同じく、JRのホームを名鉄が間借りする形。ここは名鉄の職員すらおらず、窓口業務もJRに委託している。しかもJR東海も自社の子会社に業務を委託していて自動改札もない。秋田市の羽後牛島とか新屋みたいな感じの駅だった。
駅から約200メートルで国道1号線に出るので右折
住宅地と店が混ざって、ここも秋田市新屋の旧国道7号線(秋田大橋の通り、今は県道56号)みたいな雰囲気。
駅から1キロほどで「尾張大橋東」交差点
100メートルほど先に名前が似た「尾張大橋」交差点、その先が尾張大橋。手前の交差点名「尾張大橋東」は「尾張大橋の東側(東詰)」と「『尾張大橋』交差点の東隣」の2通りの意味に取れるけど、どっちなんだろう?
橋のたもとで2つの交差点が接近しているのも、新屋の秋田大橋に似ている。
木曽川

橋を背にして振り返って
木曽川が三重県との境目なので、「愛知県」「弥富市」の看板がある。橋を渡り終えてから「尾張大橋」の看板があるようにも見えるが、これは本来信号機に付ける「交差点名」の表示。県名市名の看板と干渉しないよう、信号機から離れた下に付けたのだろう。

堤防を降りてみる。雄物川と比べて川幅はやや広いが堤防は低く、楽に降りられる。標高が低いからだろう。
約100メートル上流側に近鉄とJRのトラス橋が並ぶ
ちょうど近鉄の普通電車が来た。延々とトラスが続いている。
河原は砂地でさっきまで水があったかのようにぐちゃぐちゃ
満ち干があるのか、海みたいな匂いもするし、潮干狩り? をする人もいる。上流側の橋は東名阪高速と水道橋らしい。

さて、ここに来た目的は、国道1号線の「尾張大橋」を見て渡ること。
秋田大橋由利橋も立派な名前の立派な橋だが、これは旧国名の「尾張」を冠した橋。そして秋田大橋や由利橋と同時期の1933(昭和8)年に架けられ、秋田大橋よりも長い橋が現役ということで興味があった。
長い!
878.8メートル(先代の秋田大橋は578.4メートルなのでちょうど300メートル長い。幅は7.5メートルで同じ)

そして(2002年に塗装工事が行われたので錆が目立たないのもあるが)、美しい。
由利橋・秋田大橋など昭和初期のトラス橋はゴツゴツしていかめしかったが、この橋は、トラス橋でなく、ラインが柔らかく優しい。
この橋は、構造で分類すると「ランガートラス橋」という形式。上部の構造物は、上の方は本田橋のような「ランガー」、下3分の1ほどが三角に組んだ「トラス」構造で、2つの折衷構造。盛岡駅前の開運橋もランガートラス。
鋼材自体は時代を感じさせる太いものだが、トラスよりランガー(アーチ)部分が目立つので、優美な印象を受けるのだろう。

秋田大橋はトラスが6連だったが、こちらのランガートラスはなんと13連!(1つ1つが短いけれど)
果てしなく続いていて気が遠くなりそうだし、スケール感がおかしくなってピョンピョンを跳んで渡れそうな気がしたり、河原でしばし見とれてしまった。

川は下流らしい堂々とした流れだが、河口から9.3キロとの表示があった。雄物川では四ツ小屋の岩見川合流点が8キロ。
端っこの鋼材に銘板が。「横浜船渠株式会社製作/昭和八年三月」
横浜船渠(せんきょ)は現在は三菱重工と合併している。
「工事概要」を発見
それによれば、昭和5年3月着工・8年10月竣工、工事費156万5千円。
工事関係者として愛知県知事以下、県の土木技術職員が名を連ねる。国道なのに大臣とか国関係者の名前が一切ないのは何でだろう? 今みたいに地方分権・権限委譲の時代ではないのに。
最後に「設計者嘱託 工学士 増田 淳」とあるのは、戦前に各地に多数の橋を設計した有名な技術者(1883-1947)。コンピュータもない時代にこんな実用的なのに美しく、耐久性のあるものを作ってしまうなんて。
旧秋田大橋は資料が散逸して設計者などは不明だそうだが、こうして橋自体に当時の記録が残るのは貴重だと思う。ちなみに秋田大橋は着工から竣工まで2年、工費62万円。どちらの橋も昭和初期に2・3年でこんなに大きな橋を架けてしまうのはたいへんな大工事だったに違いない。

古い橋お約束の後付け(1963年)の自転車・歩行者道が両側にある。
上の旧建設省のままの看板は「気をつけて通行して下さい」
心配してくれるのはうれしいが、「何に」気をつければいいのでしょうか? 対岸にも同じ2枚の看板があった(警察署名だけ違った)。
左側通行だが見晴らしが良さそうな下流側を渡る
県境でも両岸に町並みが迫るためか、たまに自転車で通る人がいる。上流側歩道には県境を示す小さな黄色い看板が立っていたが、下流側にはなかったと思う。車道は通行量が多く、やや滞り気味で旧秋田大橋レベルか。

歩道の幅はやや狭めで、手すりの下の隙間から水面が見える、おっかないタイプ。もちろん車道の振動が伝わって揺れる。でも滑りにくいザラザラの加工がしてあるので、それほど恐怖感がなかった。(旧由利橋の方が怖かった)

近くで見ると由利橋や秋田大橋と同じ、リベット(鋲)で止めたゴツゴツした鋼材。

橋からの下流の眺めは壮観。風も気持ちいい。
海じゃないです。川です
写真では分からないが、河口の「ナガシマスパーランド」のジェットコースターが見えた。
三重県側
13連のアーチに続く西側1スパンはランガー(アーチ)部がなく、低いトラスだけの構造。こちらもたもとに交差点。
10分ほどで渡り終えた。秋田大橋を渡るのと気分的には変わりなかったが、歩いて三重県に入ったことになる。
交差点名は「尾張大橋西詰(にしづめ)」。
東日本ではあまり使わないが、京都など西日本では、橋のたもとを「東西南北+詰」と表現し、交差点やバス停名に使われる。
愛知と三重では信号機を管轄する警察はもちろん、国道を管理する国交省の出先機関(国道事務所)も異なるので、表現が異なったのだろう。三重県は近畿地方に含める考え方もあるから、ここが「○詰」の境界かもしれない。
ちなみに英語表記は「Owari Bridge E.」と「Owariohashi W.」と異なっていた。西詰はbridgeと書いてないから知らない外国人は「オワリオーアシ」と読みそう。
ずいぶん先(橋から100メートル位?)に「三重県」「桑名市」の看板
今は桑名市だが、2004年までは長島町だった。長島の名の通り、木曽川と長良・揖斐川に挟まれた長い島状の地域で、かつては輪中のまっただ中だったのだろう。言葉なども三重よりも尾張の文化が混ざっているなど、独特な模様。

この先国道を2キロほど進めば長島を抜けて、長良・揖斐側を一挙に渡る尾張大橋の兄弟橋「伊勢大橋」や長良川河口堰がある。翌日に訪れることにして、この日は長島駅(弥富のようにJR・近鉄が近接、JRは無人駅)から電車で戻った。

長良川河口堰の記事はこちら。伊勢大橋の記事はこちら
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豊橋駅・稲荷寿し

2009-06-08 17:45:20 | 各地お土産・食べ物
不定期連載駅弁シリーズ、愛知県豊橋駅です。
豊橋駅は駅舎はそんなに大きい感じはしないが、鉄道施設の駅としては大きい。メインの東口側に豊橋鉄道の路面電車乗り場、東口北側(秋田駅でいうアルヴェの位置)に豊橋鉄道の郊外路線渥美線の「新豊橋駅」がある。
JRの駅は、秋田駅と構造が似ている。東西を結ぶ自由通路に面して在来線と東海道新幹線の改札口が(やや離れて。秋田駅は隣合っている)ある橋上駅。フル規格の新幹線は高架ホームなのが一般的だが、豊橋は厳重に柵で囲まれているものの、在来線と同じレベル、地平(地面)にホームがある。地形的な制約なのだろうか。

もう1つ珍しいのが、前も触れたとおり、JR在来線の駅・ホーム・線路を私鉄の名古屋鉄道(名鉄)と共用していること。名鉄専用のきっぷ売り場や精算所はあるが、自動改札機は兼用。これほど利用者が多い駅で、しかも豊橋-名古屋-岐阜間で競合し、ライバル関係にある2社が“仲良く”しているのはおもしろい。
秋田の羽後本荘駅や青森の弘前駅(特に改築前)もJRと地元私鉄が共用しているが、改札口は厳重に分かれているのに。

とは言っても、JR東海道本線、名鉄線とも、豊橋から名古屋・岐阜方面へは快適で速くて乗車券だけで乗れる電車(新快速、快速特急など)を頻繁に運行していて、名古屋までは1時間弱。割引きっぷも出ていて、サービス競争が行われている。
特急電車到着直後の豊橋駅3番線
降りた客も乗る客も多い。乗務員が慌ただしく交代。
名鉄は行き止まり構造の3番線だけを使う約束になっているらしく、到着した列車はすぐ折り返していく。弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅を思い出した。
ホーム先端は屋根がなくのんびりムード
左の名鉄特急は所定の6両編成の前に銀色のロングシート車を2両増結していた。右は4番線に入線してきたJR飯田線の電車。同じホームに別の会社の車両が並ぶ珍しい光景(JRと名鉄ではもう1か所弥富駅も規模は小さいが同様)。

そんな豊橋駅の駅弁業者は明治22(1889)年創業の「壺屋弁当部」。きしめんなど構内のそば屋を経営したり、幕の内やウナギなどいろんな駅弁を売っているが、なんといっても有名なのが「いなりずし」。
前食べた時おいしかったので今回も買うつもり。その時は7個入りの普通のおいなりさんだったが、調べてみると、季節限定品やかんぴょう巻きとセットにした助六などバリエーションが存在するようだ。

豊橋駅は構造が似ているだけに、秋田駅同様、駅弁売り場が何か所もある。在来線改札内の新幹線連絡口寄り売店が買いやすいが、目立つ場所だけに売り切れやすいようだ。改札外の豊橋鉄道新豊橋駅連絡通路沿いの駅ビルのテナントに行くと、遅い時間なのに改札内よりも種類・個数とも多めに残っていた。
三色稲荷を購入。550円
豊川稲荷をイメージした掛け紙は、昔から変わらないのだろう。「稲荷寿し」はここの登録商標らしい。
「じゃこ/いなり/わさび」のシールが貼られている。いなりずしのバリエーション商品はこのシールで区別しているらしく、掛け紙は各商品共通らしい。
なお、品質表示シールでは「品名:三色稲荷/名称:稲荷寿司」となっていた。

手前3個はプレーン。あとはひっくり返して、シイタケの煮たのと、原材料表示によれば「わさび菜」が乗っかったのが2個ずつ。シールは「じゃこ」と「わさび」だが、どちらにもご飯にちりめんじゃことゴマが混ざっていたと思う。袋入りの紅ショウガ(甘酢しょうがではなく)が添付。

プレーンは今回もおいしい。しょっぱくはないが、濃いめの味付け。ジューシーでじゅわっと甘い味が口に広がる。

じゃこは煮たシイタケがおいしいし、わさびは予想以上にツンときたけどなかなか。どれもご飯と具と皮の味のバランスがいい。
僕は煮たシイタケが好きなのでこれも捨てがたいが、わさびの味はクセになりそう。

プレーンだけ7個だと飽きそうだけど、これは味に変化があり、どれもおいしい。プレーンはたしか450円で、三色は550円だが、十分安く、お買い得だと思う。
新幹線の「こだま」は、豊橋駅でのぞみの追い抜きのため、4~5分停車するものが多い。ホーム上にも駅弁売店があるので、その間に買って車内で食べるのもいいかもしれない。

いなりずし関連の余談
・子供の頃、「小僧寿司」のいなりずしが好きだった。わりとあっさりした味だったかな。秋田では店自体がなくなってしまった? 弘前にはあるようだ。
・子供の頃、夕方17時台のアニメ番組で流れていた「ヒガサのいなり寿司の素」のCMが好きだった。お弁当用のいなりずしの皮なのだが、遠足のお弁当を食べる子供→バス→自宅出発の課程の映像が逆回転で流れるという映像と、「元はと言えばお弁当、元はと言えばいなり寿司、元はと言えば…ヒガサのいなりずしのぉー モトっ!」という歌が印象的だった。「リリーコーポレーション」というメーカーのブランドが「ヒガサ」らしく、今でも缶詰の同名商品が発売されているようだ。
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トウガラシ

2009-06-06 20:22:10 | 動物・植物
今年も家庭菜園をやっている。我が家は鉢やプランターでしか栽培できない環境の上、どうせやるなら種類や品種にこだわってしまうので、作る品目は限られてしまう。
最近、大きめの鉢代わりになる容器を手に入れたので、新しいものに挑戦したくなった。ピーマン類を育てたい。栄養が豊富だし、苗から育てるならあまり手がかからないはず。

苗を求めてホームセンター巡り。野菜苗のシーズンは終盤のようで、品揃えが花苗にシフトしている感じだった。
新潟に本社があり国内最多店舗数だという「コメリ」。秋田ではかつて「ヤマキ」だった店がいつの間にかコメリに変わっている。ヤマキは前からコメリと資本関係があったが、今年4月にコメリに吸収され解散してしまったとのこと。ヤマキの創業地が秋田県能代市なので、地元企業的な親しみがあり、好きなのだが…

秋田市中心部にはコメリの泉店と卸町店がある。運動がてら歩いて泉店に行くとシシトウや緑のピーマンが1株78円。着色してから収穫する大型ピーマンのパプリカ(数色あり)が298? 円だった。
パプリカもいいなと思ったが、色づくまでかなり日数がかかるとのこと。そういえば着色までの生育途中で病気や栄養不足で腐ってしまうことがあるんだった。我が家の日当たりでは無理そう。シシトウは安いし次々に収穫できるのでよさそうだが、卸町店の方がほかにも珍しい品種など品揃えが豊富な気がしたので保留。

ところが卸町店は店舗面積は大きいが、苗はそれほどでもなかった。なぜかナスとキュウリなど瓜類は多く揃っていたが、シシトウやパプリカはなく、緑のピーマンだけで期待外れ。仕入れ担当者の好みか何かで同じ会社の隣の店舗でこんなに品揃えが違うのだろうか。それとも客層の違い?

卸町店でも買わずに、近くのイオンタウン茨島に「ホーマック」があるのでついでに行ってみた。札幌に本社があり北日本に展開していて、イオン系列。北東北では「サンデー」という同じくイオン系列のホームセンターもあるから、紛らわしい。

コメリ以外のホームセンターはあまり来たことがなかったけど、苗売り場の感じがだいぶ違って華やか。
シシトウはなかったが、緑ピーマンやパプリカ(白だけで198円?)があった。そして、
「こだわり野菜苗 味な出会い」
「育てて楽しい! 食べて美味しい! いつもの野菜とちょっと違ったこだわりの野菜をピックアップしました。」とある。新潟の種苗会社の商品のようだ。
2品種置いてある。いずれも1株198円
左は「辛味の中にも奥深い甘み キムチ唐辛子 クアンナク」。真っ赤な果実の韓国系トウガラシらしい。
そして右を見て購入決定! 「辛みのない青とう 京都伏見甘長唐辛子」。

伏見甘長唐辛子は秋田ではなじみが薄いと思うが、品種名としては「伏見甘長」、一般的には「伏見トウガラシ」「青とう」「ひもとう」などと呼ばれる京野菜(京都在来の伝統野菜)の1つ。僕も食べたことはない。
辛いトウガラシを連想させる細長い果実だが、辛み成分は生成されない。独特な風味があるとかで、炒めたり焼いたり煮たり天ぷらにして食べるようだ。シシトウ的な調理法だ。
【6月15日追記】「伏見」という辛い品種もあるようだ(京漬け物に入ってる赤いのだろうか?)が、今は一般的に「伏見唐辛子」といえば甘長の方を指すようだ。苗や実を買うときは確認した方がよさそう。

「『唐辛子』なのに辛くないのはおかしい!」と思われるかもしれないが、植物学・農学的には、辛くても辛くなくても同じ「トウガラシ」という種の植物。だからピーマンもパプリカもシシトウも「トウガラシ」。セントバーナードも土佐犬もダックスフントもチワワも「犬」というようなもんだろうか。
トウガラシの中で辛くないのを「甘トウガラシ」、甘トウガラシで大型のものを「ピーマン」など、いわば便宜的に呼び分けている。

一種のブランド品の伏見甘長が1株198円は安いと思うが、けっこう売れ残っている。「辛みのない青とう」と添え書きはあっても、秋田の人の多くは知らないだろうから、赤いキムチ用トウガラシの隣で「唐辛子」という札を付けて売っていては、辛いと思って敬遠して買わないのではないだろうか。もったいない。
つぼみが付いた丈夫そうなのを2株購入
この位の大きさが定植適期のようだ。

京都の野菜が秋田の気候で上手く育つかはやや心配だが、青いうちに収穫するから、大丈夫だろう。
【6月7日追記】辛くないトウガラシのめしべに辛いトウガラシの花粉が付いてしまうと、交雑して辛くない方も辛い実ができるそうだ。つまり、キムチトウガラシと伏見甘長を買って、隣同士の畑のうねやプランターで育てると、辛くないはずの伏見が激辛になることがありそう。ご注意ください。
【6月14日追記】花が咲いた様子はこちら
【7月8日追記】収穫の様子はこちら
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鳥海招き太平なごむ

2009-06-05 20:03:18 | 秋田の季節・風景
だいぶ間が開いたけれど、3種のサギが集団営巣する秋田市の臨海大橋そばの勝平山へ3度目の訪問(前回はこちら)。
今の時期は、アオサギはふ化後だいぶ大きくなったが巣立ち前、ダイサギとゴイサギはそろそろふ化が終わる頃らしく、子育て真っ最中のようだ。
おなじみの橋のたもとからのアングル
前回はコブシやヤマザクラが咲いていた斜面は今度は緑の中に白。
俗に単に「アカシア」とも呼ばれる、おなじみニセアカシア(ハリエンジュ)

花は終わりかけのようだ

上がゴイサギ、下がアオサギ
葉が茂って見にくい上に、巣にいる鳥は全部大人に見える。でも、親は餌を取りに行っているようだから、これが子供なんだろうか?
帰ってからよく写真を見ると発見。

左の下の方を興味深そうに見ているアオサギは、くちばしなど全体的に色が薄いから幼鳥だろう。右や下のゴイサギは親だろうか。
もう少しすると、川辺に降りてきて餌を探すことがあるらしい。
7月上旬の鷺の様子はこちら

さて、臨海大橋は雄大な太平山が望めるスポットの1つ。この日は曇り空だが、はっきりと姿を現していた。最近は霞んで見えないことが多かったので久しぶり。雪がすっかり消えた深緑の山も美しい。
さらに右を向いて運河の上流側を見ると
大森山の左に鳥海山の下の方だけ見えている

まだらな残雪が特徴的
雄物川(運河でない方)や大森山から鳥海山が見えるのは知っていたが、臨海大橋からこんなに見えるとは知らなかった。

ところで僕の卒業した中学校の校歌は、1番の歌い出しが「雄物の水に」、2番が「鳥海招き 太平なごむ」。雄物川は旧雄物川である秋田運河だけど、校歌に歌われたとおりの情景が臨海大橋上で展開している。ここはその学区の端で、開校当時は一面田んぼだったそうだから鳥海山まで見えたのだろうが、ビルや工場に囲まれた今でも、臨海大橋のおかげで歌詞に偽りなしなのにはちょっと感動した。

こんな場所からも鳥海山が見えた。
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半田市

2009-06-04 19:44:18 | 旅行記
自称「地理マニア」の僕だけど、名前すら知らない市もまだまだたくさんある。その1つが「愛知県半田市」。
ひょんなことから、今回の旅行の宿泊地になった。名古屋市の南、知多半島の中央にある人口約12万の都市。周辺には、中部国際空港(セントレア)と焼き物で有名な常滑市、騎手と同姓同名(?)の武豊町(たけとよちょう)、隣接してはいないが半島先端部には「南セントレア市」と名付けられそうになったが立ち消えになった町などがある。

鉄道はJRと名古屋鉄道(名鉄)が通っている。JRでは東海道本線の大府(おおぶ)駅で武豊線というディーゼルカーに乗り換えが必要(一部は直通)で、名古屋方面からは遠回りで本数も少ない。名鉄は名古屋から河和(こうわ)線の特急で30分ほど。
今回はフリーきっぷ使用だからもちろん名鉄を使った。(ホテル代も名古屋市内の同グレードより安いのでお得)

名鉄の「特急」は乗車券だけでも乗れる。ただ、混雑時間帯に大荷物を持って乗るのは気が引けるので、「特別車」に乗ってみた。名鉄の特急や快速特急には2両の特別車が連結されていて、窓口やタッチパネル券売機で「μ(ミュー)チケット」を買うと座席指定が受けられる。距離に関係なく一律350円。
特別車の英語表記は「FIRST CLASS CAR」
セントレア開業に合わせて導入された新しい「2200系」電車。JRの特急と同レベルの座席や設備で快適。車内は明るく、通路ドア上の文字情報表示がLEDでなく液晶ディスプレイなのが目新しかった。
特別車車内
利用者はけっこういたが、短距離で本数が多いためか、直前に買って飛び乗る人が多い感じ。車掌がうやうやしく車内検札に来たが、乗り慣れた人たちは座席前の「チケットホルダー」にチケットを入れたまま。車掌も当たり前のように、ホルダーをのぞき込むだけ。僕は手に持って提示したが、やはり見るだけでスタンプなど押さないし、乗車券は確認しない(自動改札完備だから問題はないけど)。お互いに楽だからそういう習慣になったのだろうけど、ちょっと味気ない。
名鉄の駅は「知多半田」駅
駅前のホテルに荷物を置いて、夕暮れの町を歩く。(画像が暗いのでご了承ください)
駅前は最近小ぎれいに整備された感じ
知多半田駅前からまっすぐの通りを西へ400メートルほど進むと、線路をくぐる。これがJR武豊線。
左折するとJRの「半田」駅。こちらは「知多」が付かない

アジサイがもう咲きそう
この辺りまではよくある地方都市の風景。
奥の黒いビルを覚えておいてください
さらに300~400メートル西へ進むと、「半田運河」に出る。


両岸に黒い板壁の倉庫のようなものが500メートルほどに渡って並んでいる

白でかかれた大きなマークは「ミツカン」
半田市には「中埜酢店(なかのすみせ)」などミツカングループ本社と工場がある。そしてこの黒い倉庫は、今も現役の工場。

ミツカングループのサイトによれば、1804(文化元)年に米でなく酒粕から酢を作ることに成功して創業。1811(文化8)年に半田工場開設とのこと。
200年前のものが今も現役とはすごい
電線を見えないようにするなど、この一角は運河と倉以外のものは目に入らないほど景観に配慮されている。
でも、運河を渡って倉を結ぶパイプラインがあったり、倉から社員が出入りしたり(現代的なセキュリティシステムがある模様)、たまに車が通ったりするのは現役ならでは。何よりも酢の匂いが辺りを漂う。ミツカン酢の瓶のフタを開けた時と同じ香り。環境省の「かおり風景100選」にも選定されている。
だいぶ暗くなったが、運河を背にして駅方向
手前の黒い倉庫(厳密には「ミツカンサンミ」というグループ会社の工場)の隣の一般家屋風の建物は「博物館『酢の里』」というミツカンの展示・見学施設(要予約なので行かなかった)。その奥、車が駐まっている3階建ての建物は戦前チックな外観だが、新しい「mizkan」ロゴ(2004年までは「Mitsukan」だった)の看板を掲げる現役の「ミツカングループ中央研究所」。元は中埜家出資の「中埜銀行」(流れを汲むのが今のUFJ銀行)の本店で1925(大正14)年建築とのこと。
さっきから見えているいちばん奥のビルは1992年竣工のミツカングループ本社。古い建築物と色合いを統一しているのだろう。なんとなく「秋田県庁第二庁舎」っぽくもあるけど。
酢の里前には丸ポスト
一般的な1号ポストだけど「酢の里ぽすと」と表示がある。特殊な消印が押されるとか何かあるのだろうか?

本社ビル前の大通りを渡って北へ進むと清酒「國盛」の看板を掲げた、同じく黒い倉造りの建物。「酒の文化館」というこちらも要予約の展示施設。
1844(弘化元)年創業の酒造会社「中埜酒造」も半田市に本社・工場を置く。同社は一時ミツカングループに属し、今も若干の関係があるらしい。

愛知県といえば豊田市のトヨタは誰もが知っている。でも恥ずかしながら僕はミツカンの創業地が愛知であることはおろか半田市の存在自体知らなかった。
考えてみれば、売上高や世界的知名度ではトヨタが上かもしれないが、日本人にとってはミツカンの方が暮らしに欠かせないのではないだろうか。酢のシェアは相当だろうし、味ぽん、追いがつおつゆ、おむすび山、金のつぶ納豆のどれも食べたことがないという日本人はいないのではないだろうか。

近くにはほかにも歴史的な建造物があるそうなので、改めてじっくり見てみたい。
泊まったホテルのフリードリンクコーナーに地元製品ということでミツカンの酢のドリンク「さらっと○○酢」シリーズがあったので、初めて飲んだけど、とってもおいしかった。もう少し安いといいけどね。
NTT前のステンドグラス「ごんぎつね」(平岡和広 作)
中央左にキツネがいる。半田市は「新美南吉(にいみなんきち)の出身地」としても有名。「ごん狐」「手袋を買いに」「おぢいさんのランプ」「花のき村と盗人たち」(いずれも作品名はオリジナル表記)などの作者だ。
記念館や生家、ごんぎつねの舞台とされる川などは知多半田駅から2つ名古屋寄りの「半田口」駅周辺にある。普通列車しか止まらない駅でもあり、行くことができなかったが、こちらもいつか見てみたい。

JRの半田駅前にこんなものも
「知多酪農発祥の地」
明治期の話だが、これも中埜家が関わっているようだ。
【7月11日追記】2日にミツカン半田工場が今年度中に規模縮小・他工場へ移管されることが発表された。古い建物で設備更新に限界があるのも理由のようだが、跡はどうなるのか? 保存はしてくれるだろうが、うまく活用できるだろうか。
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ネコとネギ坊主

2009-06-03 20:01:57 | 動物・植物
以前も記事にした(こちらこちら)ご近所のおばあさん縞三毛ネコ。相変わらずお元気。
ほおづえついてるみたい

「また撮ってるニャ」

後足の爪を出してる

もう1匹登場
トラネコにしては模様があいまいだからサビネコっていうのかな?
これは三毛ネコの娘さん。こちらも10歳は越えているはず。母娘一緒に飼われていて、たまにケンカしたり、単独行動の動物らしくつかず離れずの同居生活をしているようだが、この日は仲良くお昼寝。
ヒソヒソ話?
「ねえねえお母さん。近所のヒトがこっちに向かってカシャカシャしてるよ」
「あんなの放っておきなさい。エサもくれないけど危害も加えないから」


ZZZ…

三毛さんが先にお目覚め
冬と同様、枝で体をこすってから塀の下に降りていった。

娘さんの方は警戒心がやや強く、人に向かって鳴くことも少ないようだが、僕が長年塀越しにアピールしてきたせいか、多少興味は示してくれている模様。
もっと仲良くなって触りたいなぁ

遅くなりましたが、つぼみだったネギ坊主・チャイブ坊主とも咲いています。
 

特にチャイブの花はきれい
ネギ臭さプラス少し甘い香りもして、ハチ類やアリが寄って来ていた。
チャイブの花は食べられるとのことで食べてみると、ネギのようなピリッとした辛みとニンニクっぽい味がして、意外においしい。サラダなど生食のほか酢漬けにするらしい。
ネギの方は食べるという話は聞かないが、秋田の地元スーパーのタカヤナギでは、地元産ちょっと珍しい野菜としてネギ坊主のつぼみが売られていた。油炒めにしたら、なかなかだった。
コメント (4)
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豊川稲荷

2009-06-01 20:36:01 | 旅行記
浜名湖を過ぎると愛知県。
愛知県は尾張・西三河・東三河の3地域に分かれ、方言も違うそうだ。東三河の中心都市で愛知県第二の都市が豊橋。人口37万の中核市。駅舎は街の規模にしては小さい(秋田駅よりも)が、人が多く、駅前はにぎやか。JRのほか、私鉄の名古屋・岐阜へ向かう名古屋鉄道(名鉄)、豊橋鉄道の郊外電車と路面電車が乗り入れている。

この日と翌日は、愛知県内を巡る予定。愛知県内での移動はJRより名鉄の方が路線網がきめ細かくて便利だから、窓口で名鉄全線が2日間乗り放題の「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」(3800円)を購入。(名鉄については別記事にします)

まずは豊橋市の北隣、豊川市にある「豊川稲荷」というお稲荷さんへ行ってみた。この辺は豊田市もあるし「豊」で始まる地名が多い。(豊川は同名の河川、豊橋は豊川に架かる「豊橋」という橋はが由来らしい、豊田はもちろんトヨタ自動車)
豊川への交通手段はJRと名鉄がある。豊橋からなら、長野県へ続くJR飯田線の豊川駅を利用する方が、乗り換えなしで時間もかからず安い。(毎時3~4本、所要15分弱)
名鉄は豊橋からの直通列車がなく(名古屋方面からはある)、乗り換え待ちも必要で、運賃も高い。でも、今回はフリーきっぷを有効活用すべく名鉄を利用した。

豊橋から名古屋本線名古屋方面行きの列車に乗る。豊橋駅は自動改札機もホームもさらに一部線路までが、JRと名鉄の共用なのが珍しくておもしろいが、初めてだと戸惑う。すぐの「国府(こう)」駅で豊川線に乗り換え(「快速特急」は通過するので注意)。
豊川線は行き止まりの支線で、終点まで乗る。本線と違いガラガラで車窓もローカル線っぽくなる。途中3駅はすべて無人駅で、その中の「諏訪町」駅が豊川市役所など市の中心部らしく、終点の「豊川稲荷」駅は門前町の性格が強い。
赤い電車は名鉄の象徴

終着駅だけにホームからまっすぐ改札を通って外に出られた
バリアフリーの観点でも理想的な構造だけど、こんな吹きさらしの駅は北国では考えられない。駅員も券売機や改札機も凍っちゃうので。
写真左に少し見えているガラス張りの建物がJR豊川駅。名鉄と駅名は違うが隣り合っていて容易に乗り換えできる。こちらは自由通路を兼ねた橋上駅舎。中は見なかったが、外見は清水駅などに似た、いかにもJR東海が設計しましたという駅だった。
 
名鉄の駅にツバメが住み着いていた。
駅前広場にキツネのオブジェ
看板の女の子? は「狐娘(ここ)ちゃん」という周辺商店街のマスコットキャラクター。
駅から稲荷までは数百メートル。駅正面の広い道路も商店街になっているが、駅を出て右(北)側が昔からの表参道のようなので、そちらを進む。
お店の前には、中型犬くらいのサイズのキツネがいる。

観光案内所前にはその特大版が。左は中に入れるみたい。
稲荷寿司やお土産を売る店が並ぶが、時間が早いので静か。あっけなく稲荷の前に到着。
振り返って

1本隔てた広い通りはこんな感じ
歩道にアーケードがついていて土産物屋や郵便局がある。

これが豊川稲荷の総門
立派なお寺らしい造り。お寺? お稲荷さんは神社じゃないの?…
…そう。僕は今回計画を立てるまで知らなかったが、豊川稲荷は神社ではなく、お寺なのです!!
「円福山豊川閣妙厳寺」という曹洞宗のお寺の中に、お稲荷さんがまつられている神仏習合(神仏混交)のお寺らしい。
ちなみにお稲荷さんは商売繁盛のご利益があるせいか、芸能人さんなどが「豊川稲荷に行った、見かけた」という話を見聞きするが、これは赤坂にある「豊川稲荷東京別院」を指していることが多いようだ。なお、「日本三大稲荷」といえばここと京都の伏見稲荷は確実だそう(あとの1つはいろんな解釈がある)。

総門をくぐると、鐘楼堂や山門、法堂などお寺らしい立派な建築物がある。
法堂(お寺の本堂)。左端に鳥居が見えている
左に移動すると神社。
右は鐘楼堂


立願所という寺務所みたいな建物の前には旧型ポスト。
 
しかも説明書きはないが、清水の興津と同じ、ラーメンどんぶりみたいな模様の最古のポスト。
ネットで見た画像ではもっと汚れていたので、塗り替えたようだ。大事にしてくれるのはとてもいいが、白い郵便マークが垂れていたり、やや塗装が雑か。

大きな提灯の下がる稲荷の「本殿」
お寺の法堂より立派かも。

お寺の境内とはいえ、鳥居をくぐったのだし、前の人もそうしていたから、2礼2拍手1礼の神社の作法でお参りしたけど、どうも正式な参拝方法としては、「オン シラ バッタ ニリ ウン ソワカ」と21回! 唱えるらしい。初詣なんかでみんなこんなことやってたら大変そう。
法堂の裏は奥の院など、杉木立の中にお堂が点在する空間
お稲荷さん的な奉納されたのぼり(千本幟)とお寺の三重の塔の不思議な組み合わせ。
奥に進むと涼しい風が吹き抜ける
お寺的なものはなくなりお稲荷さん色が強くなり、のぼりのほかには奉納されたキツネがたくさんいる。
 


おっかないのからかわいいのまで、姿や表情が個性的で、寺院・神社にいるのを忘れて、動物好きとして見入ってしまう。
そしていちばん奥の「霊狐塚」が壮観。
一面のキツネ
木々に囲まれているが、薄暗いというより光が緩和されて柔らかい。一部は直接日が差してスポットライトを浴びたよう。
 


気持ちが落ち着く不思議な空間だった。夏は涼しそう。
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