麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

文化の盛衰を胸に刻んで

2014年12月09日 | 身辺雑記
初「生浪曲」の話を書いたのは昨日。

その浪曲の、今では少なくなった定席が
浅草・木馬亭とも綴り、その小屋で
遊戯空間が『仮名手本忠臣蔵』を三度、
『隅田川の線香花火』を一度上演……
って話題に至っては
かなりの数このブログで記してきた。

で。
その木馬亭のロビー、というか、
廊下というか処の壁に飾ってある
古色ゆかしい浪曲の番付は、
横綱、大関、小結といった相撲同様の
格付から「大家」「別格」など
いかにも芸事らしいランキングになっていて
見ていて飽きない。
驚くべきはそこに載る浪曲師の数だ。

最盛期には448人いたそうだ。
その番付の人数を数えたことはないが、
かなりの数である。

さて。
三年目の『仮名手本~』の千秋楽。
木馬亭から徒歩一二分の距離にある
浅草演芸ホールに、旧知の落語家
隅田川馬石師匠が出演していた。



こちらも本番で伺えなかったけれど、
師匠がまだ二ツ目の五街道佐助だった頃
聞いた話を、ふと思い出した。

昔は銭湯と同じ、いやもっと寄席があり
湯上がりに笑ったり泣いたりしていた。

最近はその銭湯自体が減ったから、
若い人はピンと来ないかもしれないが、
風呂がどの家にもある時代じゃなく、
寧ろある家が珍しかった「日本」の、
町内には歩いて通える範囲に銭湯があって、
寄席も負けじと生活の中に根付いていた。
そういう情報を聞いたのだ。
おっと。
「時制」が覚束無いから整理しよう。

佐助から聞いたのはもう十年以上前で
脳裡の引出からそれが出てきたのは
三十代の男の浪花節師が四人きり、
と聞いた十二月六日のことである。

我々演劇人は「日陰者」や「マイナー」と
世間様から言われるならまだしも、
自虐的に語りがちだ。よろしくない

演劇にもブームは何度かあった。
様々な文化や芸能は、当たり前だが
良い時代があり悪い時代もある。

それを知った上でなお、良い時は戒めつつ、
悪い時はそこにあがない一層努力!

当たり前のことを師走でもあるので
改めて肝に銘じたのでございます。

末筆ながら。わが友の馬石師匠。
2007年に第12回林家彦六賞を、
12年には第67回文化庁芸術祭新人賞
(大衆芸能部門)を受賞
期待の若手落語家の一人で、
役者から転進しただけに
芝居噺、人情噺を得意としています。

コメント
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