初「生浪曲」の話を書いたのは昨日。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
その浪曲の、今では少なくなった定席が
浅草・木馬亭とも綴り、その小屋で
遊戯空間が『仮名手本忠臣蔵』を三度、
『隅田川の線香花火』を一度上演……
って話題に至っては![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
かなりの数このブログで記してきた。
で。
その木馬亭のロビー、というか、
廊下というか処の壁に飾ってある
古色ゆかしい浪曲の番付は、
横綱、大関、小結といった相撲同様の
格付から「大家」「別格」など
いかにも芸事らしいランキングになっていて
見ていて飽きない。
驚くべきはそこに載る浪曲師の数だ。
最盛期には448人いたそうだ。
その番付の人数を数えたことはないが、
かなりの数である。
さて。
三年目の『仮名手本~』の千秋楽。
木馬亭から徒歩一二分の距離にある
浅草演芸ホールに、旧知の落語家
隅田川馬石師匠が出演していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ba/3352b74b574137deec87b085c4428e7e.jpg)
こちらも本番で伺えなかったけれど、
師匠がまだ二ツ目の五街道佐助だった頃
聞いた話を、ふと思い出した。
昔は銭湯と同じ、いやもっと寄席があり
湯上がりに笑ったり泣いたりしていた。
最近はその銭湯自体が減ったから、
若い人はピンと来ないかもしれないが、
風呂がどの家にもある時代じゃなく、
寧ろある家が珍しかった「日本」の、
町内には歩いて通える範囲に銭湯があって、
寄席も負けじと生活の中に根付いていた。
そういう情報を聞いたのだ。
おっと。
「時制」が覚束無いから整理しよう。
佐助から聞いたのはもう十年以上前で
脳裡の引出からそれが出てきたのは
三十代の男の浪花節師が四人きり、
と聞いた十二月六日のことである。
我々演劇人は「日陰者」や「マイナー」と
世間様から言われるならまだしも、
自虐的に語りがちだ。よろしくない![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_cry.gif)
演劇にもブームは何度かあった。
様々な文化や芸能は、当たり前だが
良い時代があり悪い時代もある。
それを知った上でなお、良い時は戒めつつ、
悪い時はそこにあがない一層努力!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
当たり前のことを師走でもあるので
改めて肝に銘じたのでございます。
末筆ながら。わが友の馬石師匠。
2007年に第12回林家彦六賞を、
12年には第67回文化庁芸術祭新人賞
(大衆芸能部門)を受賞![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
期待の若手落語家の一人で、
役者から転進しただけに
芝居噺、人情噺を得意としています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
その浪曲の、今では少なくなった定席が
浅草・木馬亭とも綴り、その小屋で
遊戯空間が『仮名手本忠臣蔵』を三度、
『隅田川の線香花火』を一度上演……
って話題に至っては
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
かなりの数このブログで記してきた。
で。
その木馬亭のロビー、というか、
廊下というか処の壁に飾ってある
古色ゆかしい浪曲の番付は、
横綱、大関、小結といった相撲同様の
格付から「大家」「別格」など
いかにも芸事らしいランキングになっていて
見ていて飽きない。
驚くべきはそこに載る浪曲師の数だ。
最盛期には448人いたそうだ。
その番付の人数を数えたことはないが、
かなりの数である。
さて。
三年目の『仮名手本~』の千秋楽。
木馬亭から徒歩一二分の距離にある
浅草演芸ホールに、旧知の落語家
隅田川馬石師匠が出演していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ba/3352b74b574137deec87b085c4428e7e.jpg)
こちらも本番で伺えなかったけれど、
師匠がまだ二ツ目の五街道佐助だった頃
聞いた話を、ふと思い出した。
昔は銭湯と同じ、いやもっと寄席があり
湯上がりに笑ったり泣いたりしていた。
最近はその銭湯自体が減ったから、
若い人はピンと来ないかもしれないが、
風呂がどの家にもある時代じゃなく、
寧ろある家が珍しかった「日本」の、
町内には歩いて通える範囲に銭湯があって、
寄席も負けじと生活の中に根付いていた。
そういう情報を聞いたのだ。
おっと。
「時制」が覚束無いから整理しよう。
佐助から聞いたのはもう十年以上前で
脳裡の引出からそれが出てきたのは
三十代の男の浪花節師が四人きり、
と聞いた十二月六日のことである。
我々演劇人は「日陰者」や「マイナー」と
世間様から言われるならまだしも、
自虐的に語りがちだ。よろしくない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_cry.gif)
演劇にもブームは何度かあった。
様々な文化や芸能は、当たり前だが
良い時代があり悪い時代もある。
それを知った上でなお、良い時は戒めつつ、
悪い時はそこにあがない一層努力!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
当たり前のことを師走でもあるので
改めて肝に銘じたのでございます。
末筆ながら。わが友の馬石師匠。
2007年に第12回林家彦六賞を、
12年には第67回文化庁芸術祭新人賞
(大衆芸能部門)を受賞
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
期待の若手落語家の一人で、
役者から転進しただけに
芝居噺、人情噺を得意としています。