麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

中野から高円寺をぶら~りと(前編)

2015年04月20日 | 制作公演関連
煉瓦通り・・・
というのは正式な呼称ではないと思うが、
この街のランドマーク・サンプラザや
アキバと並ぶオタクの聖地・ブロードウェイ
とは逆になる南口、つまり丸井本店の
ある側の改札を出て、右。
バス通りを渡ってすぐの緩い坂道。
赤煉瓦を敷いた狭い路地を
僕らは勝手にそう呼んでいた。

とんと昔、結婚する前にかみさんが
中野に随分と長く住んでいたのだ。

先週末、久しぶりに歩いた。
ちょっとした記念に立ち寄る欧風料理の
「らんぐさむ」は健在だったが、
あの頃新顔だった焼肉屋さんが、
今では古株になるほど左右に並ぶ店は
代替わりをしていて隔世を痛感した。

本業は精肉店の夫婦が始めた焼肉店の、
長男が甲子園常連校の部員だというので
高校野球好きのかみさんと親父さんで
話が盛り上がったのは何年前になるだろう。

さて、その坂を上ったのは、
劇場にちらしを置きに行くためで、
その先の街並にも当然変化は見られ、
劇場手前の百円ローソンは
その週頭に閉店したと貼紙があった。
かわりと言っては変だが、
四つの劇場を擁する中野ポケットスクエアの
ほど近くに演劇雑誌「演劇ぶっく」が
移転していることも、その日に知った。

中野から隣の高円寺までさらに歩いた。
座・高円寺で観劇するためだが、、、
古い戸建ての多かった住宅地に
新たに集合住宅が増えて、さらに
新築物件の工事が数ヵ所で進んでいた。

そして残された一軒家の、例えば

こんな日除けが流行した頃があったなぁと。
波形のプラスチックの廂が多いところに、
直射日光を程好くカットするタイプが
格好良くさえあった時代が確かに存在した。

もう少し時計を巻き戻して、
僕が半ズボンの洟垂れで、
日本が右肩上がりだった辺りには

こんな大谷石の塀が世の中を席巻した。
トタンよりブロック、ブロックよりこれ。

ぶらり、中野から高円寺へ……。
四月十八日の昼さがりの話。
コメント
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