昭和20年代から30年代前半、北陸の山村で 幼少期を過ごした。
小学何年生の頃だっただろうか、記憶曖昧だが、当時、隣りの町の文房具店兼印刷店に自転車で通勤していた父親が ある日、中古のラジオを担いで帰ってきた。真空管ラジオだった。おそらく勤務先の商店会の電気店から譲り受けたものだったのだろう。
すでにポンコツ同然のラジオだったと思うが 大事そうに茶の間の茶箪笥の上に鎮座させ、以後 ラジオを聞くことが 家族の大きな楽しみになっていたと思う。
東西南、三方山に囲まれた盆地、極めて電波の届きにくい地形で 雑音混じりになんとか聞けたのは NHKラジオ第1放送のみだったが それだけに脳裏に焼きついて、今もって思い浮かんでくる放送番組や音楽が結構有る。
今日の朝刊で 宮城まり子さんが亡くなったことを知った。
肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」を設立され、長年に渡り園長をされていたことで知られる宮城まり子さんだが 昭和人間には 宮城まり子さんと聞けば、1955年(昭和30年)に大ヒットした「ガード下の靴磨き」が 頭に浮かんでくる。
当時 ラジオから流れてくる「ガード下の靴磨き」を聞きながら 子供ながらにジーンとしてしまい 涙ぐんだことも有り、脳裏に焼き付いた歌謡曲のひとつだ。まだまだ貧しい家の子供だったが この曲から世の中にはもっと過酷な境遇の子供達がいることを感じていたのかも知れない。
幼くして母親、弟と死別、昭和25年に歌手デビューされ、歌手、女優業で活躍された後、昭和43年には 私財を投じて「ねむの木学園」を開設、障害有る子供達の福祉のため生涯を捧げてこられた宮城まり子さん、日本の障害者福祉の草分けの一人である宮城まり子さんだった。敬意をもって、謹んで追悼の意を表したいと思う。
宮川哲夫作詞、利根一郎作曲、宮城まり子唄
「ガード下の靴磨き」(YouTubeから共有)