数年前から利用するようになっている図書館も、新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため 2月末から利用休止となり、「緊急事態宣言」発令で さらに5月連休明けまで完全休館となってしまっている。今尚感染拡大に歯止めが掛かっておらず その後も 利用休止期間は延長される可能性も有る。せっかく身に付き始めた「読書の習慣」のリズムも 崩れてしまいそうだ。
そこで、処分し切れずに未だに残してある古い文庫本等に手を伸ばしているところだ。そのほとんどは 自分で買い求めた覚えはなく 本好きだった義母から妻が譲り受けたものだったり、息子達が置いていったものだと思われるが 「いつか読んでみよう」等と残したものの再び埃が被っているという類だ。その中には 夏目漱石の作品も10数冊有り、今年に入ってから 夏目漱石前期三部作と呼ばれる「三四郎」、「それから」、「門」の内 「三四郎」と「それから」を読んだが、今回 その最後の「門」を読み終えた。
夏目漱石著 「門」 (角川文庫)
「門」は 1910年(明治43年)に朝日新聞に連載された長編小説。前作「それから」では 友人平岡の妻三千代を奪い返した主人公長井大助が、それまでの高等遊民を脱し、職を探しに出るところで終わっているが その物語をバトンタッチするような形の小説になっている。
主人公野中宗助は かっての親友安井の内縁の妻だったお米と結婚し、後ろめたさを感じつつ、崖の下にある家でひっそり暮らしており、神経衰弱気味、罪悪感から救いを求める様子等が描かれている。宗助は、家主の坂井から 安井の消息を聞かされるや、鎌倉の寺に参禅するが、結果、悟りは開けず、弱い自分を救うことが出来ないまま 寺の門をくぐって日常に返ることになる。その安井は 宗助と接触することもなく、2~3日滞在しただけで直ぐ大陸に渡って行ったことで事無きを得たが、宗助の心の中だけは いつまでも冬のままなのだった。最後の文節で 宗助が家に帰り お米に 鶯が鳴き始めた話を聞かせると お米は
「ほんとうにありがたいわね。ようやくのこと春になって」と言って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を切りながら、「うん、しかしまたじきに冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。」
「それから」で見られたようなクライマックス的な場面もなく終わっており、ストーリー性の面白さという面ではやや欠け、随所に漱石ならではの心の葛藤描写等が有り、やはり ちょっと難しいな・・という感じを持ってしまう。