たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ふっと思い出した故郷の言葉 No.51 「とっとこ」

2020年04月16日 13時46分46秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごしたが 当時 聞いたり、使ったりしていた言葉(方言)も ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民でない家族の中で育ったこともあり 方言も完全に染み付いていなかったということだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に そんな言葉(方言)をブログに書き留めることにしている。

先日 相互フォロワー登録しているたなのぶ様のブログ拝見していて 子供の頃、ニワトリ(鶏)を飼っていたことを思い出し、さらに ニワトリ(鶏)のことを 「とっとこ」と 呼んでいたことを思い出した。

No.51 「とっとこ」
当時 大人も子供の ニワトリ(鶏)のことを 「とっとこ」と呼んでいたように思う。

例えば

「モタモタシトランデ、ハヨ トットコニ エサ ヤッテコイヤ」
(グズグズしていないで 早く ニワトリに 餌をやってきなさい)

「オラウチノトットコ キンノウ イタチニ ヤラレテシモタゼネ」
(我が家のニワトリ、昨日 鼬に盗られてしまいましたよ)


「とっとこ」=「ニワトリ(鶏)」

今更になって ネットで調べてみると
「ニワトリ(鶏)」は キジ科、ヤケイ属、
「庭で飼う鳥」という意味から 名づけられたという。
漢字では 一般に「鶏」だが 「家鶏」を充てることもあるようだ。
代表的な鳥であるため 単に「とり」と呼ぶと 
「ニワトリ」を指すこともあるという。
また、オス(雄)のニワトリは 「おんどり(雄鶏)」、
メス(雌)のニワトリは 「めんどり(雌鶏)」と 呼ばれる。

(ネットから拝借)

 

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ニワトリ(鶏)と卵 その1

2020年04月16日 08時25分41秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和20年代から昭和30年代前半、M男は北陸の山村で幼少期を過ごした。
当時 村落には ちっぽけな雑貨店らしきものが1軒有ったくらいで 食料品店等はなく、ほとんどが農家だったこともあり、基本 自給自足的な暮らしをしていた。
塩鮭、塩鱒、干鱈、するめ等の保存食、乾物類等は 行商人が担いで回ってきていて 玄関先等で買い求めている光景が見られたが、牛肉や鮮魚、刺身等は 隣りの町の商店から調達しなければならず、日常の食材にはなっていなかった。それぞれの家で行われていた冠婚葬祭の宴席や 盆、正月、祭り等 特別な日にしか食べることの出来ない時代だったのだ。
そんな食料事情の当時 村落では、ニワトリ(鶏)を 数羽を飼う家が多かった。
現在のような大規模な鶏卵生産者や流通も無かった時代、3世代、4世代同居、大家族の農家で、ふんだんに卵を食べられる時代ではなく、貴重な栄養源にもなる卵を手に入れる手段として、推進されていたのかも知れない。
M男の家でも ある時期 数羽飼っており その「餌やり」は 専らM男の仕事になっていた。記憶曖昧だが、菜っ葉類を細かく切り刻んだものだったり、田圃で拾い集めてきたタニシ(田螺)を石で潰したものだったり、すべて自然のもの、現在のように買ってくる飼料等は 皆無で、いちいち手間の掛かる仕事だった。
作納屋の横に設えたニワトリ小屋へ 産みたてでまだ温かい卵を取りにいくのも 主にM男の役目だった。卵は 地面にコロンと転がっていて、時に糞にまみれていることもあり、ニワトリ小屋のあの異常な臭いが好きでなく、子供のこと、嫌々やっていたように思う。
集落の中でも 広い敷地を持った大農家では 昼間 敷地内に放し飼いをし 勝手に餌探しさせていたが M男の家は敷地が狭かったこともあり、放し飼いをした記憶がない。が、時々 ニワトリ小屋に出入りする際に逃げ出されてしまい、これを捕まえて小屋に戻すのに大騒ぎになったことは 有ったような気がする。
そんな貴重な食料、卵を産むニワトリではあるが、盆、正月、祭り等で特別な客人が有るような場合、そのもてなし用に食材にされることもあった。さすがに 子供だったM男達には見せなかったが 大人達は ニワトリを「ツブシテ(殺してとは言わなかった)」、羽を毟り、吊り下げ、血を滴り落とした後、料理していた。人間、出来そうなことは なんでもやっていた時代だったように思う。

「藁葺屋根の家とニワトリのいる風景」
相互フォロワー登録しているたなのぶ様の作品
ご本人にご了解いただき拝借、

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