新型コロナウイルス、オミクロン株が世界各国で感染拡大しており、日本も、対岸の火事等と言ってられない事態になりつつあるが、20日後、2月4日から2月20日には、第24回冬季オリンピック北京大会が開催されようとしている。果たして、安全、安心な大会が実現出来るのだろうか。政治的な問題も絡んでおり、波乱含みのオリンピックとなるような気がする。
「冬季オリンピック」の話から、ふっと、今からもう50年前の「札幌オリンピック」の大会テーマ曲「虹と雪のバラード」が思い浮かんでしまった。
「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログに書き込んでいたことが分かり、コピペ、リメイクしてみた。
「札幌オリンピック」は、1972年(昭和47年)2月3日から2月13日に開催された、日本およびアジアで初めて開催された、第11回冬季オリンピックであり、当時は、大いに盛り上がった記憶が残っている。「札幌オリンピック」までは、日本人が、冬季オリンピック史上、メダルを獲得したのは、第7回冬季オリンピック、コルティナダンペッツオ大会、アルペン「回転」で、猪谷千春が、銀メダルを獲得した1個だけだったが、「札幌オリンピック」では、「スキー・ジャンプ」、70m級で、笠谷幸生が、金メダル、金野昭次が、銀メダル、青地清二が、銅メダルと、表彰台を独占し、日本スキージャンプ陣が、 「日の丸飛行隊」と呼ばれた大会となった。大会の結果としては、その、スキー・ジャンプの 金、銀、銅 3個のメダルだけだったが、当時としては、快挙で有り、国民の熱狂、歓喜はものすごかった気がする。フィギュアスケート女子で、尻餅をつきながら、銅メダルを獲得した、愛くるしい、ジャネット・リン(アメリカ)が、「札幌の恋人」「銀盤の妖精」等と呼ばれて、人気をさらったことも 思い出される。
その「札幌オリンピック」の大会テーマ曲が、河邨文一郎 作詞、村井邦彦 作曲、、トワ・エ・モワ(Toi et Moi)(芥川澄夫・白鳥英美子)が 唄う、「虹と雪のバラード」だった。
北の大地、北海道札幌への憧れや、青春、夢、感動が入り混じり、いやがうえにも高らかに歌われていたように思う。いまでもこの時期になると、メロディーが、どこからか聞えてくるような気がしてしまうのだ。
最近の冬季オリンピックでは、メダル獲得が、当たり前?のごとくになっており、隔世の感有りである。
トワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」 (YouTubeから共有)
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