たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「オレ・グワッパ(Ole Guapa)」(再)

2022年01月21日 18時05分53秒 | 懐かしいあの曲

今日は、1日中、寒過ぎ、
炬燵で読書・・・と決め込んでみたものの、
30分も経たない内に、船を漕いでしまうし、
キョウヨウ無し、キョウイク無しは、しんどい。
夕暮れ時、手持ち無沙汰な時間帯、
例によって、古いレコード盤等を引っ張り出して聴いているところだ。
キンキンに凍て付くような西の空が焼けて、山並みのシルエットが浮かんでいる。
今夜も、厳しい放射冷却になりそう?
なんとなく、タンゴを聴いてみたい気分になり、取り出したレコード盤は


アルフレッド・ハウゼ楽団の
「ベリー・ベスト・オブ・コンチネンタル・タンゴ」(全14曲)

ジャケットの隅には、「40.12.24」と、マジックで書き込まれており、今から56年も前、まだ就職してまもなくの頃に、薄給にも拘わらず、無理して買ったレコード盤のような気がする。ずっとお気に入りのレコードで、若い頃には、良く聴いていたものだ。溝は磨り減り、音質はかなり悪くなっているが、廃棄することが出来ず仕舞い込んでいたものを、最近になって、引っ張り出して、アナログならでは・・・等と気取ってみたりして、時々、聴いている次第。

「碧空」「夜のタンゴ」「バラのタンゴ」「夢のタンゴ」「真珠採り」「月下の蘭」「モンテカルロの一夜」「オレ・グワッパ」「ヴィオレッタに捧げし歌」「奥様お手をどうぞ」「ジプシーの嘆き」「小さな喫茶店」「カプリ島」「ジェラシー」
いずれも、アルフレッド・ハウゼ楽団(Alfred Hause And His Tango Orchestra)のタンゴを代表する楽曲ばかりだが、その内の1曲、「オレ・グワッパ(Ole Guapa)」を、YouTubeから共有させていただいた。
ジャケットによると、「オレ・グワッパ」は、アルゼンチン・タンゴに傾注していたオランダのマランドが作曲した楽曲だったが、アルフレッド・ハウゼの、颯爽とした小気味よい演奏の「オレ・グワッパ」の方が世界的にヒットしたようだ。

「オレ・グワッパ 」・アルフレッド・ハウゼ楽団 

Let’s Dance Tango !

 

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一段と寒さ厳しく

2022年01月21日 14時30分09秒 | 暮らしの記録

日本列島上空に強い寒気が流れ込んでいるため、全国的に寒さが厳しくなっているが、当地も、今朝の気温は、ー5℃前後、晴れているが、日中も、5~6℃位までしか上がらず、家籠もり、炬燵でまるくなっている。
関東西部山沿いの当地、冬季の気温は、市街地より、だいたい1~3℃低く、毎年、最低気温が 氷点下になり始める頃からは、水道の凍結破裂を防止するため、屋内、屋外の水道蛇口をわずかにゆるめて、ポタ、ポタ、水を垂れ流しているが、今朝、屋外の蛇口の下には、氷柱が出来ていた。ポリ容器等の水は、しょっちゅう氷が張るが、氷柱まで出来ることは滅多になく、昨夜から未明に掛けては、放射冷却効果も有り、最低気温、ー7℃、ー8℃、あるいは、もっとだったのかも知れない。


「中学生日記より」その55(再)

2022年01月21日 09時51分49秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

 


「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その55 「本をなしにいった?」

昭和30年(1955年)8月20日、土曜日、天気 雨、
起床 6時、就床 20時30分、

1、朝、本をなしにいった(返しに学校へ行った)
  かぎがないっていっていたがあった(鍵が無いと言っていたが有った)
  また、かりてきた(借りてきた)
  「海底大陸」

全く記憶に無かったことだが、多分、夏休み中、何回か、学校の図書室を開く日が有って、その日、借りていた本を返しに行って、また借りてきたということだと思う。
「本をなしにいった」とは、「本を返しに行った」の意味で、すっかり忘れてしまっていた言葉(方言)「なす」が、書かれており、当時の記憶が蘇ってきた。
当時、「なす」は、「為す」「成す」の意味ではなく、「返す」という意味で使っていた言葉(方言)だったのだ。
1学年1クラスの小さな山村の小学校中学校併設校とあって、図書室等と呼べるものではなく、廊下の突き当り、階段の脇の1畳程の空間に、僅かな蔵書が並んでいただけだった気がするが、「本は大事な物」という観念が有り、どうもその入り口に鍵を掛けていたようだ。生徒会?に、「図書委員?」とか「図書係?」がいたのかどうか記憶は無いが、誰かが鍵を管理していて開閉していたのだろう。その日、鍵が見当たらなく、右往左往したのかも知れない。
幼児書にしろ、児童書にしろ、文学書にしろ、おいそれとは買ってもらえなかった時代、学校の図書も貧弱で、当時、毎年、生徒達は、もぐさいなごを学校へ持ち寄って、業者に買い取ってもらい、その売上金で、少しづつ蔵書を増やしていたような気がする。


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