たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「1月15日=小正月」と「繭玉飾り」の記憶

2022年01月15日 11時02分25秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

2022年(令和4年)も、あっという間に半月が過ぎ去り、正月気分もすっかり無くなっているが、昭和20年代、30年代、M男が幼少の頃の北陸の山村では、「1月15日」を「小正月」と呼んで、まだまだ正月の内という雰囲気が有ったような気がする。
昭和40年代以降、核家族化が進み、高度成長期を経て、暮らし方や食生活等、生活環境が劇的に変わり、それまでの習慣や風習等が省略されたり薄れてしまっていると思うが、昔のことを懐かしがっている爺さんである。

「1月15日=小正月」
1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日「成人の日」が、1999年(平成11年)まで、1月15日だったことも有り、「1月15日=成人の日」とインプットされた昭和人間、「1月第2月曜日=成人の日」になって23年経っても馴染めないでいるが、それ以前に、「1月15日=小正月」というイメージが未だに残っている。
当時も、「小正月」に、かしこまった料理は作らなかったような気がするが、家族で、「カルタ」等をして、ゆっくり過ごしたものだった。「1月1日」を「大正月」と呼び、年始回り等男衆中心の「男正月」とも呼ばれていたのに対して、「1月15日」は、年末年始多忙でゆっくりする間も無かった女衆が寛ぐ「女正月」とも呼ばれていた。親戚や近所隣りの女衆が訪ね合って、茶飲み話する情景が目に浮かぶ。

「ドンド焼き」
また、1月15日、小正月には、M男の集落は戸数が少なかったこともあり、やった記憶が無いが、各集落で、「ドンド焼き」が行われていた。昼間の内に踏み固めて準備した田圃の雪原で燃え上がる 「ドンド焼き」を遠く眺めていたことが、思い出される。今でも、全国各地で、存続している様子が伝えられているが、M男にとっては、一面、深い雪で覆われた田んぼの真ん中で、夜空を焦がす「ドンド焼き」が 原風景となっている。

「鏡開き」
「鏡開き」とは、神棚や仏壇に供えた鏡餅(かがみもち)を下げ、細かく割って、「おしるこ」等にして、食する風習で、「切る」、「割る」等という縁起の良くない言葉を避けて、包丁等を使わず、木槌等で、砕く(開く)という言葉が当てられたものだが、いかにも日本人らしい、言葉の文化を感じる。一般的には、「鏡開き=1月11日」のようだが、M男が暮らしていた北陸の山村では、1月何日にしていたのか等の記憶が無くなっている。もしかしたら、1月15日、小正月にしていたのかも知れない。

「繭玉飾り(まゆ玉飾り)」
(子供の頃、意味も分からず「まいだま」と呼んでいたような気もするが)
当時のほとんどの農家の茶の間や座敷は、10畳、16畳・・・等と広く、年末に1.5m、2m・・もあろう木の枝を、天井、柱、梁等にくくりつけ、「繭玉飾り」を設え、正月気分を味わっていたが、「繭玉飾り」も、1月15日、小正月が過ぎると、とり外し、正月気分を一掃していたような気がする。年末の餅つきの際、長く伸ばした餅に、箸4本を埋め、梅の花の形にした「鏡花?」も枝に刺していたが、干からびて、囲炉裏や風呂釜の煙で煤け、ほとんど食べれなかったような気がする。

(ネットから拝借繭玉飾りの画像)

「榊」
年末、父親に指示され、積雪の裏山に分け入り、神棚に供える「榊」の小枝を切り取ってくる仕事は、中学生の頃、M男の役割になっていた。年末に積雪したりすると、榊が有る場所までラッセルし、スコップで掘り出して、枝ぶりや葉の艶が良いものを選んで鎌で切り取り、引き上げたような気がする。特別、信心深い父親ではなかったが、正月には、必ず神棚を清め、新しい「御札」を納め、「榊」「鏡餅」「お神酒」を供え、元日には、畏まって、神棚に向かい、柏手(かしわで)、拝礼していた姿が思い出される。寺社に「初詣」する習慣が無かったM男の家だったが、その情景で、正月を迎えたことを実感した気がする。そんな、「榊」も「鏡餅」も「お神酒」も、1月15日、小正月には、片付けられ、平生の暮らしに戻ったのだと思う。

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