すでに記憶は曖昧になっており、どこまでが事実で、どこからが脚色なのか、自分自身も定かでなくなりつつあるが、昭和30年代前半、高校2年生だったか3年生だったか、M男は、生徒会活動の「新聞部」に所属していたことが有った。自分で進んで生徒会活動に参加するような性分ではなく、多分、くじ引きか、ジャンケンかなにかで、押し付けられてしまったものだったと思う。「新聞部」の活動は、年に2回だったか3回だったか、「生徒会新聞」を編集し発行することであり、定期的に会合を開き、次回発行の記事の内容、担当等の相談、打ち合わせをしていたような気がする。当然、生徒会活動の情報や部活動の記録等の掲載がメインだったと思うが、紙面の一部に、毎号、「文芸欄」なるスペースも設けられていて、ある時、M男は、その一部の「映画感想評」のような記事を任されてしまったことが有った。
M男の通った高校が有った町にも、当時は、小さな映画館が2館有ったが、山村から通学していたM男は、滅多に映画館に入ることもなく、特に、映画に強い関心興味を持っていた生徒でもなく、映画についての情報、知識等、まるで無く、まして、映画について感想、評論する等、とてもじゃないが出来ないと固辞したはずだが、それでも押しつけられたんだと思う。
町の映画館2館にしても、大衆娯楽映画を上映している程度で、生徒会新聞の「文芸欄」の「映画感想評」に掲載するような、品格の有る作品を観る機会等、極めて少なかったと思う。仕方なく、M男は、駅前の書店で、映画情報雑誌等を立ち読みしたりしたような気もするが、なかなか、これはという映画に当たらず、どんどん原稿締切日が迫ってきていた。
原稿締切日直前、幸運にも、文部省特選映画として、イタリア映画「鉄道員」を見る機会が有り、もう、これで行くしかないと決め、栞やポスター等からカンニング、支離滅裂な感想文をなんとか書き上げたものだったが、新聞部の編集締切には間に合わず 原稿を、町の印刷所に直接持ち込み、「これでお願いします」と頼み込んだような気がする。後日、「生徒会新聞」が出来上がり、生徒全員に配布されたが、掲載されていた「映画感想評」は、文章も手直しされ、さらに、栞か雑誌から切り抜いた、1カット写真も入り、見違えるような出来栄えとなっていて目を疑ったものだった。毎回、生徒会新聞を印刷している印刷所が、手慣れた修正、校正、技術で、カバーしてくれたようなものであるが、拙劣原稿が立派な記事になって、晴れがましいような、後ろめたいような思いをした気がする。
映画「鉄道員(IL Ferroviere)」は、1956年(昭和31年)に公開された、ピエトロ・ジェルミ監督、主演のイタリア映画、誰でも知っている有名なモノクロ作品である。
律儀一徹な初老の鉄道機関士の家庭生活を中心に、父親を英雄の如く慕う末っ子のサントロの純真な目を通して、親子の愛情、夫婦愛、友情の強さ等を激しい情熱と真情をこめて、描いた感動的な名画なのだが、M男が、客観的に、「鉄道員」の評価を認識出来たのは、後年になってからのことで、高校生だった、当時のM男には、とてもそこまで「映画感想評」をする力等有り得ず、おそらく 的外れの感想文映画評ではなかったかと、今でも冷汗が出てくる。
ただ、モノクロ映画の全編に、強く弱く流れていた、物悲しくも美しいメロディー、「鉄道員」のテーマ曲が、心に響いたことは間違いなく、映画の感動、感銘が、「音楽によるところ大である」ことを、その頃、知ったような気がする。
そんな思いが有って、M男は、就職してしばらくしてからのこと、その「鉄道員」のテーマ曲(サウンドトラック盤、ドーナツ盤、45回転)を手にいれた。聴く度に、高校時代の新聞部での苦い思い出が蘇ってくるもので、何回もの引っ越しの際にも廃棄出来ず、CD時代になっても段ボール箱にしまい込んでいて、最近になってまた、懐かしくなって、引っ張り出して針を落としてみたりしている次第である。
「鉄道員」(YouTubeから共有)