第1章 「出会い」
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石澤くには、明治24年(1891年)9月に、埼玉県北葛飾郡豊岡村の農家、石澤又蔵、キオの次女として生まれているので、5歳の千代子と初めて出会った昭和2年頃は、30代半ばの女盛りだった。その頃は、内縁の夫、鳶職の阿藤源吉と、平穏で満ち足りた暮らしをしていたが、源吉との間には、子供は無く、人一倍、子供願望が強かったくには、周囲にも、「子供が欲しい」、「子供が欲しい」と、漏らしてはばからなかった。
くには、飛び抜けた美人という程ではなかったが、細身で、垢抜けており、「小股の切れ上がった女」、気さくで、愛想の良さ、気風の良さ、面倒見の良さで、出入りの職人や近所の人には、夫が鳶職だったこともあり、「姐さん(あねさん)」と呼ばれて、親しまれていた。
幼くして、父親の知り合いの伝手で、東京の浅草の小料理店に奉公に出されたらしかったが、その生い立ちや素性については、不明な部分が多く、その後、源吉と暮らすようになるまでの長い年月、東京で、どのような仕事をし、どのような暮らしをしていたのかについても、決して語ろうとしなかった。人に知られたくないさまざまなキズを持った、「訳有りの女」だったのかも知れない。それは、くにが晩年になって、新しい家族や親族が出来ても、決して打ち明けることをせず、謎めいていて、周りからは、東京で女一人暮らしを立てるとなると、水商売?をしていたに違いない等と、囁かれていたものだった。
千代子と初めて出会い、その家に送った日からしばらくの間、くには、千代子のことを忘れていたが、年が改まって、ようやく春の陽射しを感じるようになった頃、ひょっこり、千代子が、くにの家にやってきた。ちょうど出掛けようとしたところで、玄関の前で、うろうろしている千代子に気が付いたくに、
「誰かと思ったら、えーっと?、そうだ、チヨちゃんじゃないかい・・・・」
「どうしたの?、また、叱られたのかい?・・・」
「さっ、入って!、入って!」
昨年暮れのように泣きじゃくってはいなかったものの、やっぱり暗い顔をしている千代子。相変わらず、家の者には、厄介者として、冷たくあしらわれいるのが見て取れた。
あの時、「また、おいでよね」と言っておいたのを覚えていて、やってきたのだろう。
追い出されても行くところが無く、くにの家にくるしかない千代子・・・、
そう思うと、くには、決して幸せになれそうもない千代子が、たまらなく不憫でならなくなってしまうのだった。
上がり框に千代子を座らせたものの、その日は時間が無く、
ちょうど、貰い物の饅頭が、残っており、
「饅頭、好きかい?」と聞くと、大きく頷く千代子、
1個手のひらに乗せてやると、うれしそうに頬張る千代子。
その日は、人と約束が有り、
「今日は、話してる時間無いんだよ、ごめんよ、また、おいでよね」
玄関で見送りながら、千代子が家に戻って、どんな扱いをされるのかを、案じずにはいられないくにだった。
その後、温かくなり、時々、千代子が、くにの家にやってくるようになった。家から追い出される度に、真っ直ぐ、くにの家へ向かうようになったようだ。昨年から半年以上、千代子は、預けられた家では冷たくされ、知らない街で心細く、ずっと心閉ざしていたに違いないが、くにの小さな親切が余程身にしみたのか、一挙に心を開いたようにも見えた。
夫の源吉も、大の子供好きで、顔を合わせれば相手をしてくれ、千代子は、源吉にも直ぐに懐いた。ある時から、くにのことを、「おばちゃん」、「おばちゃん」と呼ぶようになり、子供らしい明るい表情を見せるようにもなり、くににとっては、自分の子供が出来たようにうれしくもなったが、所詮、他人の子供、しょんぼりと、家に戻っていく千代子を見送る度、薄幸のこの子、これからどうなるのだろう、なんとかならないものかという思いが募るのだった。
千代子には、父親、母親がいるのだろうか?、預かっている家の者とは、どんな関係なのだろうか?、千代子をどうするつもりなのだろうか?、・・・・、
その頃はまだ、千代子についてのほとんどが、くにの知らないところだったのだ。
(つづく)