gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「唯一度だけ」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
懐かしい映画と映画音楽・その66
映画「会議は踊る」と主題曲「唯一度だけ」(再)
幼少時、北陸の山村で育ち、昭和30年代に、日本海に面した町の県立高校に通っていた頃の話、
1学年だったか、2学年だったか、記憶曖昧だが、授業の際には、必ず、その日の授業の復習問題、練習問題、応用問題等を、謄写版で刷ったわら半紙2~3枚を用意してきて、生徒全員に配布してくれるという一生懸命な、数学の男性教師、S先生がいた。
今で言うB4大のわら半紙にびっちり、その問題の量は半端ではなく、だいたいが、宿題用、自習用であったが、その中から、同種の問題が、中間テスト、期末テストに、必ず出題されるということもあって 結構、真面目に解いていたような気がする。
解いた後も、硬表紙をつけて、綴じ紐で整理すると、1年間でかなり分厚くなり、下手な、市販の問題集等より、中身が濃く、参考書代わりにもしていた程だった。
毎度の授業に合わせて、ガリ版で手書き作成し、何十枚も謄写版で刷る作業、今では、コピー機等で、数分間で仕上がってしまう作業であるが、当時は、時間的、肉体的に、大変な作業であったはずで、後年になってから、頭が下がる思いをしたものだ。
長身で、頬がこけて、やせ型、髪は、ボサボサ、いかにも教育者という風貌をしておられ、説明が丁寧で、大好きな教師であったが、どちらかと言うと、あまり無駄な話をせず、くそ真面目な教師だったため、授業中に、居眠りする生徒がいっぱいいたような気がする。
そのS先生が、ある日、数学の授業にも拘わらず、唐突に、ドイツ語の歌を謄写版で刷ったわら半紙を、生徒全員に配布したことが有った。
当時の田舎の高校生のこと、学校でも、暮らしの中でも、ドイツ語等、目にすることも、耳にすることも、皆無であって、当然、珍紛漢紛。
その歌が、戦前のドイツ映画「会議は踊る」の挿入歌「唯一度だけ」で有ること等について、多分、S先生は説明されたものと思うが、無知、無関心の生徒達には、何のことだかもさっぱり理解が出来なかったに違いない。生徒達が、ぽかーんとしているのを尻目に、それまでの、謹厳実直のS先生から想像も出来なかったことだったか、「こういう歌だ!」等と言って、自ら歌い出したのである。数学の時間中に・・・・・だ。
「ヴァイン イヒ ラッハイッヒ♪、トロイム イッヒ ヴァッハ イッヒ ♪・・・・」
「ダスカンダス レーベン、ヌアアインマル ゲーベン ♪・・・・・」
そして、ドイツ語の発音等、まるで出来ない生徒達に対して、驚いたことに、S先生は、そのドイツ語の歌詞の上に、カタカナを振らせ始めたのである。
どうしても、覚えて欲しい、歌って欲しいと言わんばかりに・・・・。
何回か復唱し、全員で声を出して歌った気がする。
当時は、気付くこともなかったが、もしかしたら、映画「会議は踊る」は、S先生にとって、青春時代の特別な思い入れの有る映画だったのかも知れない。
そして、自分の数学の授業が、生徒に嫌気がさされていることを知っていて、気分転換、息抜きの意味のサービスだったのかも知れないと等と、後年になってから、つくづく思ったものだった。
高校生時代にそんなことが有ったこともすっかり忘れていたが、ブログを始めて間もない頃に、たまたま、ネット上で、映画「会議は踊る」を知り、挿入曲「唯一度だけ」についても知り、さらに その「唯一度だけ」のドイツ語の歌詞に「カタカナ振り」がされている記事を見つけてしまい、「ああー、これと同じだ!」と 目から鱗・・・・、感慨無量となったものだ。
そのことは、これまで何度もブログにも書き込んできたが、またふっと思い出して リメイク、書き込みすることにした。
(ネットから拝借した、カタカナ振りされて「唯一度だけ」)
(ネットから拝借画像)
映画「会議は踊る」・挿入曲「唯一度だけ」 (YouTubeから共有)
今更になってネットで調べてみると
映画「会議は踊る(Der Kongreb tanzt)」は、1931年(昭和6年)に、エリック・シャレル監督、リリアン・ハーヴェイ、ヴィリー・フレッチ出演で制作、公開された、ドイツのコメディ映画だった。日本では、1934年(昭和9年)に公開され、ヴェルナー・リヒャルト・ハイマン、ロバルト・ギルバート 作詞・作曲の挿入歌の「唯一度だけ(Das gibt's nur Einmal)」も、ヒットしたのだそうだ。
映画「会議は踊る」の舞台は、ナポレオン・ボナバル失脚後のオーストリア。ウイーンに各国首脳が集まりウイーン会議が開催されたが、会議が長引き、その隙間を縫った、ロシア皇帝アレクサンドル一世とウイーンの街娘の夢のような逢瀬を描いた作品。トーキー初期を代表する名作と言われている。題名は オーストリアのある侯爵が言ったと言われる「会議は踊る、されど進まず」から借りたのだそうだ。
当然、映画の方は、これまで、一度も観たことはなく、内容については語れないが、挿入曲「唯一度だけ」の方は、記憶力衰退した後期高齢者になった今でも尚、そのメロディー、歌詞が脳裏に焼き付いていて、口ずさめるから不思議なことだと思っている。
遠い遠い昔の記憶からです。でもメロデイは、はっきり覚えています。
教えて頂き、ありがとうございます。
爺さんの、気まぐれ、ごちゃまぜブログを覗いていただき有難うございます。
そうですか。聴いたことありましたか。
私等、高校時代に、上記のようなことが無ければ、全く知らなかった曲だと思っていますが、人間、不思議ですね。子供の頃、若い頃に 聴いたり、歌った曲って、死ぬまで、脳裏に焼き付いているものなのでしょか。
ハワイアンは、生齧りですが、好きなジャンル、
毎回、楽しみにしております。
せっかくいただいたコメント、下記に、コピペさせていただくことにしました。
今回、記事を拝見していまして、奥様、入院との事、御心労、お察し申し上げます。
人間、生きている限りは、何時かはこういう時が来る、それは承知の上の事でも寂しいものです。
御無事の退院、心よりお祈り致します。
また、ブログのお仲間の死、という事で、つくづく老齢を生きる境遇を意識せずにはいられません。 死の季節を生きる、そんな年代になってしまいました。
どうぞブログの方も一位をお続けになる実力に敬服しながらも、その順位に拘る事無く、これからも楽しい記事をお書き下さる事を願っております。 何時かは訪れる人の死、生きるも死ぬも人間 最後は独り、そう自覚して生きてゆくより仕方がないようです。
拙文をコピーして戴いたの事、一位のブログへのコピー、感謝申し上げます。
映画「黄昏」、以前にも書いたと思いますがやはり
もう一度観たい映画です。記事にもあります様に、
フォンダ父娘の共演、それに名女優、キャサリン ヘップバーン、懐かしいですね。
謄写版、これもまた懐かしい !
よく原稿を書きました。刷りもしました。
あの黒い文字が眼に浮かびます。
それにしても、当時、ドイツ語 ?、片田舎と御謙遜ですが、いろいろこれまでも記事を拝見して来まして、わたくしなどの居た地方より、はるか進んだ環境にあったように思われます。
東京から汽車で僅か二時間足らずの地方の海辺の村に居たのですが、いろいろ拝見していますと遅れを感じます。
それでも、あの地方で過ごした少年時代は良い思い出に溢れています。
いろいろ、有難う御座いました。
どうぞ、奥様の御看護と共に御自身の体調にもお気を付け下さい。
一日も早い、奥様の御快癒とお二方の共に過ごす日常の戻りを陰ながら願っております。
何事に付けても、自身の残り少ない日々を思うと哀しみの感情は、他人事であっても沢山だという気がします。
有難う御座いました。