たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「寄り合い家族」 No.004

2023年08月21日 15時26分55秒 | 物語「寄り合い家族」

第1章 「出会い」
(4)

町内会の世話役市和田春治が、千代子の家(木村助三郎の家)を訪ねてくれたのは、お盆を過ぎ、朝夕にいくらか秋の気配を感じるようになってからのことだった。春治は、その足で、くにと源治の家にやってきて、
「なにしろ、俺が突然行ったんで、ウチに何かあったんですかと、びっくりされちゃったけどね。ただ、千代子ちゃんのことで・・・と切り出して・・・、実は・・・、と話し出したら・・・、ここじゃなんですからって、居間に通されてね・・・・・」
春治は、さっきまでの助三郎の家の様子や聞き出した先方の事情等を、くにと源吉に説明するのだった。
通された部屋は、狭く古い造りだったが、掃除は行き届いていて、こざっぱりしていて、荒れた感じは無かったが、挨拶に出てきた助三郎の妻は、小柄で、無表情、やや棘がある感じだったという。春治が、やんわりと、「こちらさん、千代子ちゃんに対して、ちょっと厳し過ぎるのではないでしょうか」という話を差し向けると、咄嗟に夫婦揃って、「預かっている女の子ですので、多少厳しく躾るつもりで、けっして虐めているんじゃありません。ただ、千代子が、なかなか言う事きいてくれなくて、わたしらも困っているんです」等と、口を合わせてきたとも言う。
「二人共、最初は、訝っていたようだけどね。俺の話をだまって聞いてくれたし、だんだんと打ち解けてきてね・・・。大方のところ、こっちの話、通じたんじゃないかと思うよ。まあ、直ぐにどうこうという話じゃないし、先方が、どう言ってくるか、少し待ってみるしかないね」、
春治は、自分の役割がある程度運んだことで、安堵し満足した様子で帰って行ったが、くにと源吉は、改めて、そのご苦労に、頭を下げるのだった。
世話役の春治が聞いてきた話で、千代子のことが、おおよそが分かってきたくにと源吉だった。
千代子は、助三郎の従兄弟にあたる木村甚一郎とその妻よ志の長女だったが、千代子の母よ志は、長男徹郎、長女千代子の次の子出産の時に、その子と共に死去してしまい、千代子の父甚三郎は、たちまち、にっちもさっちもいかなくなり、15歳にも満たなかった長男徹郎を知人の工場に住み込みで出し、幼児の千代子は、子供がいなかった従兄弟の木村助三郎に泣きついて頼み込み、落ち着くまで一時的に預かってもらったという事情だったのだ。
千代子の実父母、木村甚一郎、よ志は、最初、三河島で世帯を持っていたが、大正12年9月1日の関東大震災に遭い、命からがら、長男徹郎と、生まれたばかりの千代子を伴って、一時、甚一郎の郷里、松本の郊外の親戚に身を寄せたが、1年後には、再上京して中野の野方で暮らし始め、ほそぼそとではあるが、家族揃って、平穏な暮らしをしていたのだという。ところが、青天の霹靂、千代子の母よ志は、3番目の子出産時に子供と共に死去、まだ赤ん坊だった千代子には、実の母親の記憶さえも無かったのだ。
実の母親も知らず、預けられた家の人には馴染めず、心閉ざしてしまった千代子。助三郎夫婦にとっても、好んで引き取った訳ではなく、迷惑千万なことで、反抗的な千代子に梃子摺り、虐待に走ったという事情のようだ。
町内会の世話人市和田春治が、木村助三郎夫婦に持ち込んだ、「千代子を養女にしたい者が町内にいる」という話は、それを検討したり、受けるかどうかの決断するのは、当然、千代子の実の父親木村甚一郎であるが、千代子を預かっている助三郎夫婦にとっても、渡りに船、降って湧いた朗報だったに違いない。すぐさま、甚一郎に伝えられ、相談、打ち合わせ、段取りが進んだのだった。

(つづく)


コメント (1)    この記事についてブログを書く
« セイヨウニンジンボク(西洋... | トップ | アレッ!、もう、シュウメイ... »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひろし曽爺1840)
2023-08-22 08:00:43
👴>おはようございます!
💻今日も素敵なブログを見せて頂有難う御座いました👍&👏で~すネ!
(^_-)-☆本日も宜しくお願い致します。
🌅今日も猛暑のようななので熱中症対策をしてお互いに元気で頑張りましょ~ネ!
<welcome>Myblog!👋・👋!
返信する

物語「寄り合い家族」」カテゴリの最新記事