たけじいの気まぐれブログ

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屋号帳兼電話帳(再)

2023年03月13日 19時58分29秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、もう5年も前に、ブログ・カテゴリー「断捨離考」に書き留めていた記事、「屋号帳兼電話帳」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「屋号帳兼電話帳」(再)

20数年前まで、北陸の山村に有ったM男の実家には、母親が一人暮らしをしていた。その母親が要支援状態となり、神奈川県在住の妹宅に引き取られた後、実家は、廃屋状態の空き家になっていたが、10年位前には、地元業者によって取り壊され、現在は、荒れ地と化している。
空き家になってからの数年間は、近隣住民の迷惑や心配が気が気でなく、出来る限り早く取り壊しするべく、家財道具、農機具等々の整理分別廃棄処分の作業に、週末や連休等を利用して、頻繁に10数回は、通ったと思う。
実家は、太平洋戦争末期、戦火を逃れて父親の生家が有った北陸の山村に、一家で疎開し、そのままその地に定住したという、仮設住宅の如くの粗末な造りの家だったが、数十年間の暮らしで、たまりたまった物の量は膨大で、その整理分別廃棄処分には大いに梃子摺り、性根疲れ果てた記憶が未だに残っている。ただ、そんな整理分別廃棄処分作業中に、毎度のこと、「へー、こんな物が・・」等と、懐かしい物、珍しい物、貴重な物が出てきて、手が止まったりし、中には廃棄処分出来ず、持ち帰った物も有る。。
ただ、持ち帰ってはみたものの、結局は、ダンボール箱に詰め込んだままで、そのほとんどが、再び不要雑物の類になってしまっているが、せっかくの物、廃棄処分する前に、書き留め置くことにした。

そのひとつに、「屋号帳兼電話帳」なる物が有る。

1995年(平成7年)発行となっており、それほど古い物ではないが、初めて目にする物だったこともあり、貴重な物と思い込んでしまい持ち帰っていた。
昭和20年代から30年代、高校卒業まで、その山村で暮らしたM男だが、当時、村落の大人達は、各家を、屋号で呼び合っていて、例えば、佐藤さん、とか 田中さん等と苗字で呼び合うことはしていなかったと記憶している。
ごく自然に、子供達も、何軒かの家の屋号は覚えてしまっていたが、ほとんど何処の家なのか、どんな意味合いの屋号なのか等は、さっぱり分らなかったような気がしている。
「へー!、ございむさとは、五左衛門さんのという意味だったのか・・・」、
今更ながら、目から鱗・・・である。
さらに、当時は、村落に電話の有る家等、皆無で、従って、このような「屋号帳兼電話帳」等という物は、存在していなかったのだろうと思う。多分、電話が普及した頃に、要望が有って、電電公社の電話帳では、役に立たないため、村落独自で作成したのだろう。発行者は、「屋号調査実行委員会」となっている。パラパラと開いて見ると、村落の住民は、38組の常会に組分けされていることも分かる。組別に、ずらーっと並んだ、「屋号」、「通称(呼び名)」を眺めていると、屋号で呼び合っていた村落の人達の顔や口調まで、思い浮かんできて、懐かしくなってしまう。この「屋号帳兼電話帳」、もしかしたら、現在でも、通用しているのかも知れない等と思いながら・・・。

例えば その一部
常会 「15組」

          ▢屋号      ▢通称(呼び名)   ▢姓・苗字

           重兵衛      じょうべさ      保坂
           又治右衛門    またじょむさ     水島
           三郎右衛門    さぶろうよむさ    水島
           金之丞      きんのじょうさ    保坂  
           作右衛門     さくよむさ      松澤
           角十郎      かくじょろさ     松澤
           常右衛門     つねよむさ      松澤
           五左衛門     ございむさ      熊谷
           平右衛門     へいよむさ      渡邊
           伊左衛門     いざいむさ      保坂
           柏屋       かしわや       松澤
           七右衛門     しちよむさ      松澤
           太右衛門     たよむさ       保坂
           下道       したみち       保坂
           仁治郎      にじろうさ      中田
           源造       げんぞう       保坂
           ・・・・・    ・・・・・      ・・・

因みに、M男の実家は、戦後、移住した新参者(疎開者、よそ者)だったため、屋号は無く、姓・苗字で呼ばれていた。


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3 コメント

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annaさん、こんばんは、 (takezii)
2023-03-26 17:55:54
元々地元で生まれ育った人には浸透している屋号でも、他から嫁いでこられた方等には、最初、珍紛漢紛でご苦労されたでしょうね。 
分家を、「あじち」、「またべさのあじち・・・」等と言うんでしょうか。時代が代わり、世帯主が変わっても、分家は、分家・・、呼び名は、いつまでも残り、現在でも、使われているんですね。
懐かしいお話、有難うございます。
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屋号?通称(呼び名) (anna)
2023-03-26 16:39:29
遅いコメントでお許しください。
懐かしい内容でしたので、じっくり読んでからと思っているうちに今になってしまいました。
私がこちらに来ましてから50年が過ぎてしまい、高齢のわが身が頷けます。
お話しの呼び名ですが、屋号ではない呼び名と言う言い方を初めて耳にしたときは、強い驚きを感じました。
挙げてみますと、だいくさ、またべさ、どうだ、ばんとこ、くざえんさ、そうべさ、ていじん、したみち、等々また分家のことを、あじち。
これらは現在も使われています。
我が家が班長、生産組合長などが回って来て配りものを各家々に配布するのには苦労しました。
同じ班に本家、あじち、新あじちなる家が有り、家のフルネームを書いた地図を作成して色々配った覚えが有ります。
一昔も二昔も前のことになりました、本当にあの日あの頃ですね。
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本日も宜しくお願いします! (ひろし曾爺1840)
2023-03-14 08:45:52
◆👴◆たけじいさん・お早う御座いま~す!
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