足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その28
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
出典
拾遺集(巻十一)
歌番号
44
作者
中納言朝忠
歌意
もし、逢う(深い関係になる)ということが
全く無かったならば
かえって、相手(あなた)をも、自分をも
恨まないでいるであろうに
注釈
「逢ふ」=男と女が深い関係になること、
「絶えて」=「少しも、全く」、の意の副詞、
「しなくは」の「し」は、強調の副助詞、
「は」は、接続助詞「ば」を、発音の都合で清音したもの
「なかなかに」=「かえって」の意の形容動詞、
「人をも身をも」の「人」は相手の女性、「身」は作者自身のこと、
「恨み」=相手の冷淡さ、自分自身不甲斐なさに対する恨み、
「ざらまし」の「ざら」は、打ち消しの助動詞「ず」の未然形。
「まし」は、推量の助動詞、
中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)
三十六歌仙の一人、藤原朝忠
三条右大臣藤原定方の次男、
42歳で中納言となり、土御門中納言等とも呼ばれた。
笙(しょう)の名手だったとも言われ、
武官として華やかな恋愛談が伝わっている。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)
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