◯ストーム
昭和30年代中頃、M男が、北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて外で集団生活を始めた頃の話である。学生寮に入寮してまもなくのこと、真夜中に、寮棟の板張りの廊下を、酔っ払ってわめきながら、ドタバタ、下駄を鳴らして通る数人の先輩寮生がいた。今にも部屋に乗り込んで来そうな雰囲気が有り、部屋の前の廊下を通過するまで、恐ろしさ?さえ感じ、息をひそめたものだった。ある時はまた、寮棟と寮棟の間の中庭で、ブリキのバケツをガンガン打ち鳴らしながら、「やーやー 我こそは 北寮の◯◯なり。出合え、出合え ・・・・」等と、武将名乗りを上げる先輩寮生がいたり、各部屋の戸をガラガラ開けながら、「起きろーー!」と喚く先輩寮生がいたりした。大概は 十数分の嵐のようなものだったが、M男達新入寮生は、その都度、ビビッて身を固くしたものだった。そういった迷惑千万な一連の行為を、先輩寮生達は、「ストームを掛ける」と言っていたような気がする。当時は、その意味も知らず分からずだったが、後年になってから、「ストームとは、学生が、寄宿舎、寮内で、騒ぎ、練り歩くこと」という意味合いの言葉だと知り、納得したものだった。旧制高校時代の「バンカラ」の名残りのようなもので、極く一部の先輩寮生が、そんな「バンカラ」を受け継いでいたということになる。もしかしたら、何年もドッペッタ(留年した)、寮の主(ぬし)?のような存在の先輩達が主だったのかも知れない。そんなこんなの寮の環境は、高校までど田舎で、純朴に?育ったM男等には、異常であり、驚異の世界だったが、若さは、むしろ、これを歓迎、日々、刺激的で、「これが 青春!」等と、意気に感じていたところが有ったような気もする。
因みに、「バンカラ」という言葉を、今更になってネットで調べてみると、明治期に、西洋風な身なりや生活様式をすることに対して、「ハイカラ」という言葉が生まれたが、それとは逆な、粗野で野蛮な身なりや生活様式をすることを皮肉って、「バンカラ」という言葉も生まれた。その後、「バンカラ」は、明治期から昭和中期に掛けて、男子学生の間で大流行した風潮となったが、「バンカラ」には、あえて、外見を粗野野蛮に見せても、男気が有ったり、友情に厚かったり、人間性豊かである男子という意味も込められた言葉だったのではないかと思っている。後年になって、かまやつひろしの「我が良き友よ」がヒットした時、M男は、学生寮でちょっぴり経験した「バンカラ」風な出来事を、懐かしく思い出していたものだ。
イメージ
(ネットから拝借イラスト)
(つづく)
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