gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、10年前の2012年9月2日、gooブログに引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事、「故郷の廃家」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
「故郷の廃家」
第二次世界大戦終戦直前に、戦火を逃れて、東京から、父親の生家が有った北陸の山村に疎開し、どんな事情が有ったかは、結局知らずじまいだったが、そのまま、その地に定住してしまった家で育った爺さんである。幼少期から高校卒業まで暮らした粗末なその家は、一人暮らしを続けていた母親を、妹が引き取ってから空き家となっていたが、折りしも、過疎の地方に限らず、全国的に住人不在不明の空き家がどんどん増えて、問題になっている昨今のこと、隣り近所に迷惑や心配を掛けることのないようにと覚悟し、潔く10年程前に解体し、その跡地は、現在荒れ地になっている。長年の暮らしで、蓄積した大量の家財、農機具類、雑物の分別、処分に大変な労力と時間が掛かってしまったが、一応にケリがつき安堵したものだった。
昭和30年代、中学生だった頃の音楽の教科書に、「故郷の廃家」が有った。その当時は、特別な感傷を覚えることもなく、多分、教えられたまま、アメリカのカントリー(田舎)の風景かなにかをイメージして歌っていたような気がするが、何故か、歌詞、メロディーを、いまだにしっかり覚えている。
振り返り記事 → 2021年3月19日 中学生日記・その18
今更になってネットで調べて見ると、
「故郷の廃家」は、アメリカの音楽家ウイリアム・ヘイズ作曲の原曲に、明治時代、旧制高等女学校教師、29才の犬童球渓が詩を付けた唱歌であることが分かった。昭和30年代の日本の田舎には、まだ「過疎化」という言葉は使われていなかったような気がするが、高度成長時代を機に一気に過疎化が進んだ。1番、2番の詩を口ずさんでみると、しみじみと郷愁に誘われ、後年ずっと抱き続けている自分の心情そのもののように思われてくる
幾年ふるさと 来てみれば 咲く花 鳴く鳥 そよぐ風 門辺の小川の ささやきも なれにし昔と 変わらねど 荒れたる 我が家に 住む人 絶えて無く
昔を語るか そよぐ風 昔をうつすか 澄める水 朝夕かたみに 手をとりて 遊びし友人 いまいずこ さびしき 故郷や さびしき 我が家や
(取り壊し直前の実家)
ふるさとは 遠きにありて 思うもの・・・・・。
「故郷の廃家」 (YouTubeから共有)
ふるさと、谷間の我が家、故郷の廃家は、いつ聞いても心に沁みます。
もう二度と訪ねることもない、故郷の田舎の風景が浮かんできます。祖父母も父も亡くなり、一緒に住んでいた叔父叔母も、ほとんど亡くなりました。
貧しかったけれど、みんな元気で働いていました。心の中にだけある、ふるさとです。ひさしぶりに、涙をこぼしました。有難うございます。
思い出の中身は違っていても、心のふるさとには誰にでも共通するものがあるのでしょうか。
従兄弟の代で繋がっている親戚は若干有りますが、徐々に細くなっています。
ますます遠くなっているふるさとですが、心の中にはしっかり生きているようですね。
心こもったコメント、有難うございます。
来てみれば そよぐ風 ささやきも 変わらねど 我が家に 絶えて無く
↑五音ですね。(笑)
五七五も下五ですね~
一番好きだった兄が亡くなりいささか消沈でした・・・
勉強好きな教師の兄でした。
さあまた川柳でも・・・ガンバ!
「故郷の廃家」ありがとうございました。
そうでしたか。ご愁傷様でございます。
しばらく川柳もお休みだったご様子ですね。
是非、気を新たにして、春爺川柳、楽しませて下さい。
コメントいただき有難うございます。