「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その62 「稲刈りと夜なべ仕事」
昭和30年(1955年)9月25日、日曜日、天気 晴、
起床 6時30分、
1、昼前(午前中)、川原の稲刈り(の手伝い)
2、昼から(午後は)、(稲を稲架(はさ)に)かけて(掛けて)、ほとんど遊び、
3、新聞体み(休み)、
4、上刈に、軽い火事(ボヤ)があった。
5、全部で、くり(栗)が、13つる(吊)、(出来た)
当時は、9月下旬が、稲刈り最盛期だったようだ。毎日、学校から帰ると、直ぐ稲刈りの手伝いをしていたが、この日は、日曜日。父親も勤めは休みで、母親と3人で、午前中、家から歩いて15~20分の川沿いに有った田んぼの稲刈りだったようだ。もちろん稲刈り機等無く、1株づつ、稲刈り鎌で刈る作業で、毎日、母親と、少しずつ熟していたが、全部終わらせたのだと思う。
午後、運んだ稲を稲架(はさ)に掛けた後は、手伝いから解放されたようで、「ほとんど遊び」と書いてある。
この日も、野良仕事には、一切、手を貸さなかった祖父が、裏山から大量の山栗を拾ってきたようで、大鍋で茹でて、綿糸で繋ぐ、夜なべ仕事が有ったようだ。全部で、13吊、出来たと書いてある。吊るしにした栗は、軒下等にぶら下げて乾燥させ、石のようにカチカチになった栗は、正月等に、コタツで、子供達のおやつになったものだった。今では信じられないが、カリポリ、カリポリ、よくも食べられたものだと思う。
(追記)
ネットから拝借、「干し栗」の画像、
懐かしい情景
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