「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」とは、川端康成著「雪国」の有名な書き出しだが、北陸の山村、雪国で育った爺さんは、毎年、冬になると、「トンネルを抜けると、そこは天国のような青空が広がっていた」という思いを、何度か味わったことを思い出す。
昭和30年代半ば、中学生、高校生の頃の話、何回か上京したことが有ったが、当時は、まだまだ、車社会とはなっておらず、北陸からは、信越本線か上越本線の普通列車を利用するしか無かった。夏場の場合は、ほとんど記憶がないが、冬場、(記憶曖昧、イメージではあるが)、例えば、猛吹雪の中、長靴、厚手のオーバーコートで、真っ白になって、最寄りの駅に駆け込み、雪を払い乗車、列車は、しばらく日本海沿い、暗い空、白い世界を走るが、新潟県と長野県、群馬県の県境のトンネルを抜け、峠を越え、太平洋側に出るやいなや、眩しい日射し、真っ青な空、全く違った世界に変わり、着込んでいた衣類が場違いに映り、ばつが悪そうにバックにしまいこんでいた自分がいた。こんなに狭い島国日本で、どうしてこんなに気候のギャップが大きいのか、恨めしく思ったものだった。
西高東低、冬型の気圧配置が強まると、北西からの冷たく強い季節風が、日本海でたっぷり水分を含んで、日本列島の背骨にぶつかり、大雪を降らせ、水分の無くなった空っ風が、太平洋側に吹き降ろしてくるという大自然の摂理。北陸等、日本海側では、11月頃から3月頃までは、雲ひとつ無い大快晴が何日も続くということ等、滅多に無く、朝快晴でも、あっという間に天候が変わってしまう、油断出来ない日が春先まで続くのだ。
昭和30年代、40年代頃の実家周辺の冬景色
根雪になると道路は除雪せず、かんじきで踏んだ一本道を通行していた。
雪国の人は、粘り強い、辛抱強い、我慢強いと良く言われる。それは、気候風土が心身に影響を与えているのかも知れない。特に、冬は雪との戦い。朝起きると、先ず、雪かきをしなければならない。屋根雪下ろしもしなければならない。勤務先でも、除雪してから仕事ということになる。最近は、除雪車の普及や、融雪道路の整備といった雪対策、凍結対策が行われ、通勤通学移動もマイカーで、昔より、個人の負担は、天と地程の違いで少なくなっているのかも知れないが、暮らしの周辺は、やはり自分達で対処するしかなく、老若男女、それぞれ、大変であることは、変わっていないと思い、北海道、東北、北陸の日本海側等の大雪のニュースを聞く毎に、そのご苦労に思いを馳せてしまう。冬の旅行先で、素晴らしい雪景色に出会って「ワッ!きれい!」と感動したり、スキー場で雪を楽しむ大都会の観光客や行楽客と、昔、雪国で育った者、現在、雪の中で暮らす者とでは、雪への思いは、根っこではちょっと違うのではないかと思っている。
今年も、そろそろ、北海道、東北、北陸等の大雪、猛吹雪の雪情報が届き始めているが、見聞きする都度敏感に反応、郷里の積雪風景や知人友人親戚等の雪と格闘する日常の様子までが思い浮かんでくる。冬本番は、まだまだこれからだ。
長い冬、じっと春を待ち続ける分、3月頃、黒い土手が見え始め、雪解け水が、ちょろちょろ流れ始める頃には、なんとも言えない喜びがあふれてくる。雪国の人、雪国で育った人には、分かるし そうでない人には、分からない喜びだと思う。郷里を離れ、滅多に雪の降らない首都圏に住んで50年以上になるが、子供の頃の雪国の季節感、心情を、未だに持ち続けている爺さんである。
目に見えない敵、新型コロナウイルスの感染が全世界に広がり、長いトンネルに入ってしまっているような閉塞感有りの暮らしが続いているが、せめて、出口の明りを見せて欲しいものだ。
「冬来たりなば 春遠からじ」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます