図書館から借りていた 大活字本の 柴田錬三郎著 「赤い影法師」を 読み終えた。
単純な忍者小説かと思いきや 三代将軍家光の寛永の御前試合10試合に絡む 虚実混同、数多の人物を登場させ 三つ巴、四つ巴の闘いを繰り広げる、少々複雑な展開と構成、作者 柴田錬三郎ならではの奇抜な空想と創作性が見られる物語だった。
「赤い影法師」 柴田錬三郎著、
「誕生篇」、
「虎伏の剣(こふくのけん)」、
寛永御前試合の第一試合、神道流妻片久太郎時直と一伝流浅山内蔵助重行の対戦、審判は 白扇を持った柳生但馬守宗矩と銅鑼を持った小野次郎右衛門忠常、
「因果坂」、
「前夜行」、
「無刀皆伝」、
「紅葉狩り」、
「剣相」、
「無明縄(むみょうなわ)」、
「火焔問答」、
「秘術」、
「不吉鳥」、
「匂う女体」、
「贋村正(にせむらまさ)」、
「赤猿検分(あかざるけんぶん)」
「十字架」、
「伊賀の水月」、
「円明二刀流」、
「常山の蛇(じょうざんのへび)」、
「牢鼠(ろうねずみ)」、
「巨人征服」、
「呪い鏡(のろいかがみ)」、
「十文字鎌(じゅうもんじがま)」、
「剣仙談(けんせんだん)」、
表向きの寛永御前試合第十試合は 大久保彦左衛門審判で 芳賀一心斎と難波不伝 両老剣士の室内での巷話だった。
第九試合で 松前三四郎が 将軍家光の命を直接狙う事態を見逃してしまった責任で 柳生但馬守宗矩と小野次郎右衛門忠常は審判を辞退していたのだ。
酒を酌み交わし 巷話しをした試合は 引き分けだったが 両剣士が胡座していた跡は濡れていた。対座中一瞬の油断もせず 相手の隙を覗う緊張で全身汗をかいていたのである。
「幻影行列」
実質の寛永御前試合第十試合は 江戸城外で行われた 忍者「影」と服部半蔵との間で行われて凄惨無比な忍法試合だった。
ここで たまたま 先日訪れた 東京都武蔵野市三鷹市にまたがる井の頭恩賜公園付近の描写が有る。
「将軍家の御鷹野行列が 江戸城を出たのは 夜明けであった。そして 井の頭池の駒場野に到着したのが恰度正午であった。井の頭池・・これは徳川家康が開府のみぎり 市街の飲水に指定したところであった。武蔵野は 沼はあっても 清浄な水の乏しいところであった。(中略)、ただ ここに 唯ひとつ 七箇所から冷水を湧かせて七井の池と呼ばれているのがあり、某日 鷹狩りに出た家康がこの水で茶をたてたところ美味であったので、直ちに江戸へ引き入れるようの命じたのであった。大久保忠幸が奉行となって ここから小石川まで 五里二十六町十五間を掘り割って 市街へ配水した。神田上水がこれである。井の頭という名称は 家光がつけたのである。江戸の井戸の頭という意味である。」
「双頭記」、
公儀、服部半蔵、影、真田幸村の三つ巴の闘いを描いている。
死期が迫る母影を追い詰めた服部半蔵も死を覚悟、母影を木の幹に押さえ付けたままで 背後から小野忠常に長槍で突かせ 母影、半蔵は密着したまま 果てる。半蔵の口は「母影」の舌を強く吸い込んで死んでもはなしていなかった。非情冷徹な忍者にも 人間愛が残っていたことを描写している。
最後のシーンは 秩父連山の近くを進む真田左衛門佐幸村、遠藤由利、赤猿佐助の一行。その年の暮れ 30数人の黒影が京の都の西郊の丘陵に現れ 土を掘り起こされたが それが秘宝の隠し場所の謎を解いた幸村の仕業なのかは不明。
石田三成に雇われていた忍者「影」が 京の都三条河原の処刑場から遁れるのに手を貸した忍者 服部半蔵が その15年後に、「影」が隠れている木曽谷を訪ねるところから物語は始まっている。
そこで 服部半蔵は 「影」の子供(女子忍者・子影)と関係も持ったが、それからまた20年後の江戸が舞台となる。
服部半蔵も年老い、子影も年老いた「母影」となっている。
三代将軍家光の時代、寛永の御前試合10試合に絡めた 歴史考証、史実と 作者の空想、創作、虚実織り交ぜた ある意味 荒唐無稽な小説。
柳生但馬守宗矩、柳生十兵衛、宮本伊織、荒木又右衛門、春日の局、大久保彦左衛門、大阪夏の陣で討ち果てているはずの真田左衛門佐幸村、赤猿佐助、等々 後世に名を残す剣豪や伝説の人物を 続々登場させながら その間で 冷酷無残壮絶な闘いを繰り返す 忍者 服部半蔵と 「影」、「子影→母影」、「若影」、忍者三代の生き様を描いている。
御前試合毎の勝者には 褒美として無名刀が与えられたが、その刀には平氏の隠し財宝が埋めてある場所を示す迷語が打たせてあることを知る「影」が 勝者からことごとく その刀を奪う。
謎が解けぬまま 公儀、服部半蔵、真田幸村、「影」、三つ巴、四つ巴の闘いとなり 「影」と「半蔵」は 果てる。