たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

葉室麟著 「橘花抄」

2024年11月20日 09時49分35秒 | 読書記

なんやかんや有って休止していた図書館通い、
先日、ようやく再開したい気分になり、約2ヶ月振りに図書館に出向き借りてきた1冊、
葉室麟著、「橘花抄(きっかしょう)」(新潮社)を、やっと読み終えた。
本書は、江戸時代中期、筑前黒田藩のお家騒動を背景に、両親を亡くした孤独な女性卯乃と、自らの信じる道を歩む立花重根、立花峯均等を中心とした男達の姿を描いた長編時代小説だったが、やはり、葉室麟著作ならではの、史実とフィクションが織り混ざった傑作だった。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。


▢目次
 第一章 卯花(うのはな)
 第二章 姫百合
 第三章 山桜
 第四章 乱菊
 第五章 花橘(はなたちばな)

▢主な登場人物
 卯乃(うの)、
 立花五郎左衛門重根(宗有)(しげもと)、立花(花房)峯均(寧拙)(みねひら)、

 奈津、りく、さえ、桐山作兵衛、村上庄兵衛、藤森清十郎、
 黒田光之(大殿)、黒田泰雲(綱之)、黒田綱政(殿)、黒田吉之、
 大涼院、呂久子、杉江、

 隅田清左衛門、真鍋権十郎、津田天馬
 佐野道伯

▢あらすじ等
 両親を亡くした14歳の卯乃が、筑前黒田藩で権勢を振るっていた立花重根に引き取られる
 ところから物語が始まっている。その卯乃は、父親村上庄兵衛切腹に、重根が関与したと
 聞かされ、懊悩のあまり失明、
 さらに、実の父親が、黒田藩廃嫡の黒田泰雲(綱之)であったことを知ることになり、
 前藩主黒田光之、現藩主黒田綱政、お世子黒田吉之を巡る、藩内抗争に巻き込まれる。

 前藩主の没後には、立花一族の粛清が始まり、減封、閉門、配流、追及は苛烈を極め、
 重根と峯均には、隻腕の剣士・刺客、津田天馬の凶刃が迫る。
 己の信ずる道を貫く重根、峯均等の男達、そして、主人公的な卯乃や、りく、奈津、さえ等
 一途に生きる女性達が、それぞれ魅力的に描かれ、
 さらに、最終章では、小呂島(おろのしま)での峯均と天馬の行き詰まる迫力満点の
 死闘シーンが、まるで劇画映像の如く描かれ、巌流島の宮本武蔵佐々木小次郎の対決を
 想わせている。
  五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
 葉室麟著作には、よく和歌が登場するが、本書にも、随所に和歌が織り交ぜられており、
 さらには、終始、「香」にこだわっている等、格調の高さが感じられる。


(参照・参考)
e-hon 
「橘花抄」
葉室麟インタビュー
👇️
こちら


 


11月19日、今季一番の冷え込み、

2024年11月19日 16時57分20秒 | 暮らしの記録

関東南西部山沿いの当地、
今日は、文句無しの「快晴」だったが、
今季一番の冷え込みで、
最低気温 3℃前後、最高気温 13℃前後と
師走並みの寒さとなり、
ダウンや冬用コートを着込む歩行者が一挙に増えた。
全国各地からも、初雪、初冠雪の便りが届き、
いよいよ、冬将軍が攻めてくる季節である。

我が家の猫額庭では、まだ咲いているホトトギス

チロリアンランプ(アブチロン)

 


シャコバサボテンが、主(あるじ)?に・・・、

2024年11月18日 23時04分45秒 | 暮らしの記録

毎年のこと、この時期から春先まで、
寒さ対策で、ベランダや庭先から、室内に運び入れている
鉢植えのシャコバサボテン。
今年は、株分けしたことも有り、7~8鉢も有り、
人、植 同居、狭い部屋が、ますます狭くなっているが、
先日から、開花し始め、次ぎ次ぎと開花、
目下、我が家の主(あるじ)?になっており・・・。

 

 


わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣舟

2024年11月18日 17時00分46秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その16

わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと
人には告げよ あまの釣舟

出典
古今集(巻十五)

歌番号
11

作者
参議篁

歌意
広々とした海のはるかかなたの多くの島に向かって
今、私はこぎ出したと、
都にいるあのなつかしい人に告げておくれ、
漁夫の釣舟よ、

注釈
「わたの原」=「大海原」の意。
「わた」は、「海」の古語。
「原」は、「広々としている所」の意。
「八十島(やそしま)」=「多くの島」
「八十」は、数が多いという意味で、
「八十」という数のことではない。
「かけて」=「めざして」の意。
「こぎ出でぬと(こぎいでぬと)」の「ぬ」は、完了の助動詞。
「人」=「都にいる親しい人」の意。
「妻」とみてもよい。
「あまの」の「あま」は、「海人」「海士」「蜑」とも書き
「漁師」のこと。
「釣舟(つりふね)」=「漁師が使う舟」の意。

詞書(ことばがき)には、
隠岐島に流された時、舟出の際に、
都にいる人に送った歌だと記述されている。
自分の孤独、絶望感と、
都の人(妻)に対する慕情が
抑え切れず、
それを漁師の釣舟に呼びかけることしか出来ない、
(返歌の望み無しの)
作者の寂しさが表現されている。


参議篁(さんぎたかむら)

参議小野岑守(さんぎおののみねもり)の子、
小野篁(おののたかむら)
博識多才、多感直情、
平安時代初期の、漢詩人、歌人、
同時代の在原業平とは、双璧と言われた人物。
37歳の時、遣唐使の副使となったが、
乗船せず、遣唐を風刺した詩文を作ったため、
隠岐島に流罪となり、2年後には許された。
「参議」とは、「大納言」「中納言」に次ぐ官位、


(蛇足)
参議篁の機転のきいた作品
(「子」と言う文字を十二個詠み込んだもの)

「猫の子の子猫獅子の子の仔獅子」
(子子の子の子子子、子子の子の子子子)


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


読めない書けない難漢字 No.080

2024年11月17日 20時49分51秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

普段、会話や文章で、あるいはテレビやラジオ、新聞等で、ごく普通に使われている言葉で、誰でも知っている言葉の中にも、いざ、咄嗟に漢字で書けと言われると、「???」となってしまう言葉が、結構有るものだ。
もちろん、漢字検定何級、漢字クイズ王なる人達にとっては、御茶の子さいさいなのかも知れないが、一度や二度、聞いても、教えてもらっても直ぐそのそばから忘れてしまう類の爺さんは、たまたまそんな漢字に出会うと、「へー!、そうなんだ・・」、その都度、目から鱗・・・・、になってしまう。
今は、有難い世の中、漢字不勉強で語彙力の無い爺さんでも、PCやスマホの漢字変換ソフトのおかげで、ブログ等には、読めない、書けない難漢字であっても、平気で、知ったかぶりして書ける時代だが、「じゃ、実際、自分で読んでみろ、書いてみろ」と、問題に出されたら、降参してしまうこと多しである。


今読んでいる時代小説の途中で、ふっと目に止まった漢字が有った。
普段よく使っている言葉で有り、ブログ等でも、漢字変換ソフトのお陰で、無意識に漢字で書き込んだりしていると思われる「つぼみ」だが、どうも、これまで、しっかり覚えたり、自分で書いたことは無かったような気がする。
いきなり、「つぼみを、漢字で書いて見ろ」と言われると、大体の漢字の感じ?は分かるが、
「えーっと?、えーっと?」に、なってしまう。
別に、「つぼみ」を漢字を書けなくても、日常、困ること無しだが、ブログ・カテゴリー「つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ」に、書き留め置くことにする。


















(漢字)

蕾、または、莟

(意味)

花のまだ咲き開かないもの。
将来期待されるが、まだ一人前でない年頃の者。

(用例)

「桜の蕾もほころびかけている」
「あの娘は、蕾の内に散ってしまった」

(拡大してみると)

 または、

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その69

2024年11月17日 17時02分59秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「景信山」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その69
「ぶらーり景信山」(再)

それほど昔のことではなく、7年前の2017年6月のある日、当時はまだ自営業を続けていた頃だったが、たまたま仕事の予定が無かった午前中、好天に誘われて ちょこっと 山歩きしたい気分になり、10時頃になってから、急遽思い立って、夏山歩きの足慣らし山歩のつもりも有って、景信山へ出かけたことが有った。

山行コース・歩程等

小仏峠下駐車場→(ヤブ沢コース)→景信山山頂→(南東尾根コース)→小仏峠下駐車場 
(標準歩行所要時間=約2時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

午後には仕事の予定が有ったのだろう、時間節約のため、車で、小仏バス停のさらに先にある駐車場まで入り込み、ヤゴ沢コースを登り、景信山山頂へ、そして、南東尾根コースを下って、駐車場に戻ることにしたのだった。

遅い時間の到着とて、仕方ないこと、
狭い駐車場は、ほぼ満車状態。なんとか工夫して駐車。


ヤゴ沢コースは、昭文社の「山と高原地図」には載っていないこともあって、その日、初めて歩くコースだった。
駐車場から小仏峠に向かって出発して直ぐに、特に景信山への案内板、道標等無いが、右方、ヤゴ沢作業道に入る。

しばらくは、水音も涼しい沢沿いの緩やかな登りで、良く整備されていた気がする。

3回ばかり、沢を渡り、左岸、右岸を歩き・・・、

水場。カップが置いてあり、喉を潤すことが出来る。

フタリシズカ

ヤブレガサ

水場を過ぎる辺りから、
薄暗く、ヒンヤリした杉林の中のジグザグ急登になり・・・、

駐車場を出発してから、およそ1時間で、
稜線上、高尾山・陣馬山縦走路(奥高尾縦走路)に、飛び出すが、
ここにも、ヤゴ沢コースへの案内、道標は無い。
この合流点から景信山山頂には、数分で到着する。

メインコースを、高尾山方面に向かう女性ハイカー、

景信山山頂(標高727m)に到着。

茶店は、営業していなかったが、丁度、お昼時、
見晴らしのいいテーブルは、女性グループ等で、いっぱいだった。 

新宿高層ビル群やスカイツリー、
やや霞んでいたが、一望出来・・・・、

大休憩の後、下りに掛かった。

小下沢への分岐

大胆な間伐

景信山登山口

駐車場には、13時頃、戻り着いたようだ。
満車状態のままで、他県ナンバーも数台有り、入れ替わり立ち替わり
駐車していた様子だった。

駐車場の近くに有った白い葉の木、マタタビ?

スマホの歩数計で、約7,000歩。
たいした運動にはなっていなかったようだが、
仕事の合間の気分転換になったような気がする。

 

 


ナンテン(南天)

2024年11月16日 15時00分15秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、草花に超疎い爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。


2017年6月27日、当時、我が家の玄関先に有った「ナンテン」が、
花を咲かせているのに、初めて気付いて、撮っていた写真。


2020年10月14日に撮っていた、我が家の猫額庭の「ナンテン」の実(種)

2022年12月8日に撮っていた、我が家の猫額庭の「ナンテン」の実(種)

2023年12月18日に撮っていた、我が家の猫額庭の「ナンテン」実(種)

2017年12月27日に撮っていた、我が家の猫額庭の「ナンテン」の葉。

小春日和の2022年12月28日に撮っていた、我が家の猫額庭の「ナンテン」

小春日和の2020年12月27日に撮っていた、我が家の猫額庭の「ナンテン」


ナンテン(南天)

メギ科、ナンテン属、常緑低木、
     別名「ナンテンショク(南天燭)」、
     和名「南天」は、漢名「南天燭」を、略したもの。
     日本では、古くから縁起の良い植物として親しまれており、
     花よりも、葉や実の紅葉を楽しむ植物。
     また、薬用としても利用されてきた。
原産地 中国、日本、
草丈 1m~3m、
花色 白色、
開花時期 6月頃~7月頃、
花言葉 「私の愛は増すばかり」「機知に富む」「福をなす」「良い家庭」「恵まれた才能」


南天の 実こぼしたる 目白かな   正岡子規

俳句では
「南天の実」「実南天」は、冬の季語。


 

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11月15日、更け行く秋

2024年11月15日 16時46分47秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、「雨のち曇」、最高気温も18℃前後。
体感的には、薄ら寒い1日だった。
午前中に来客が有ったこともあり、
午後まで、ほとんど動いておらず、
いかん、いかん、
日が傾きかけてから、
妻の歩行訓練?も兼ねて、
やおら重い腰を上げ、散歩・ウオーキングすることになった。
歩けば、あちらこちらに、晩秋の色が転がっており・・・、
スマホの歩数計で、約5,500歩。

マユミの実(種)

 

「君の名は?」
(追記)
どうも、「柳葉ヒイラギナンテン」のようです。
相互フォロワー登録しているエセ百姓さんに、
教えていただきました。

ドウダンツツジ?

 

ルリマツリモドキ

       ツワブキ           サザンカ

 

センダンの実(種)

 

「君の名は?」
どうも、「ギンバイカ」の実(種)のようです。
相互フォロワー登録しているエセ百姓さんに、
教えていただきました。

ユズ

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ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

2024年11月15日 10時59分23秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その15

ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき

出典
新古今集(巻十八)

歌番号
84

作者
藤原清輔朝臣

歌意
もしこの先、生きながらえているならば
つらいことの多いこの頃(現在)のことも、
また懐かしく思い出されることであろうか。
かって、つらいと思った頃のことも、
今では、恋しく思われるのだから。

注釈
「ながらへば」=「これから先も生きながらえていれば」の意。
「ば」は、仮定条件を表す接続助詞。
「たつみ」=辰巳、東南の方角。
「またこのごろや」の「このごろ」は、現在のこと。
「しのばれむ」=「なつかしく思い出す」の意。
「憂し」は、「つらい」「苦しい」の意。


藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

左京大夫藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の子。
太皇太后宮大進・正四位まで昇進。
勅撰集等の解説、歌評等を試み、
歌人というより、歌学者として、才を発揮した。


川柳

ながらへば又この頃はふぐを食ふ
(ふぐの毒に当たらないで生きながらえ、またふぐを食っている)

順ぐりに昔のことを恋しがり
(過ぎ去った昔のことは、誰しも懐かしく思うものさ)


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


サトイモ収穫完了、やれ、やれ、

2024年11月14日 16時43分34秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、「曇」、最高気温17℃、
薄ら寒い1日だったが、
  もう、5日間も畑に行ってないし・・・、
  やり残していたサトイモ収穫しないと・・・、
ということで、
午後、やおら重い腰を上げ、Go To 畑! と相成った。

(1)サトイモ収穫、
   先日、やり残していたサトイモ収穫、完了。
   発芽、生育、悪く、植え直ししていた今年のサトイモ、
   予想通り、数も大きさも、最低レベル?、だが、
   諦めていた分、納得。

(2)ダイコン、試し掘り(2回目)、2本、
(3)育ち過ぎたコマツナ、大量収穫、
   どうする?、どうする?、

やれ、やれ、