たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

センリョウ(千両)

2024年11月14日 09時11分51秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、草花に超疎い爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。


2019年11月24日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた「センリョウ」

2021年10月31日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた「センリョウ」

2022年11月16日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた「センリョウ」

まだ、見掛けたことが無い、「センリョウ」の花、

(ネットから拝借画像)


センリョウ(千両)

センリョウ科、センリョウ属、常緑低木、
     別名「センリョウカ(仙蓼花)」、「サンゴグサ(珊瑚草)」
     和名「千両」は、秋から冬、赤い実を沢山付けることから、
     「利益」「富」等のイメージが持たれ、
     「マンリョウ(万両)」に似ているが、
     「万両」よりは、実が少ないことに由来している。
     「千両」「万両」共、お正月には欠かせない縁起木として人気が高い。
原産地 日本、台湾、中国、マレーシア、
    山林の湿った日陰等に自生しているが、江戸時代以降、
    庭木として植栽されるようになっている。
草丈 50cm~80cm、
花色 淡緑色、
   花弁が無く、目立たない。
開花時期 5月頃~6月頃、
花言葉 「利益」「裕福」「富」「財産」「恵まれた才能」


爺さんの備忘録的花図鑑・「マンリョウ(万両)」
👇️
こちら


 


「爺さんの備忘録的花図鑑」・「フ」

2024年11月14日 05時13分50秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「爺さんの備忘録的花図鑑」

「フ」

◯ブーゲンビリア             ⇨ 2020.08.31
◯フウセンカズラ(風船葛)        ⇨ 2019.09.26
◯フクシア                ⇨ 2023.05.01
◯フクジュソウ(福寿草)         ⇨ 2021.02.04
◯フジバカマ(藤袴)           ⇨ 2024.11.04
◯フタリシズカ(二人静)         ⇨ 2022.04.12
◯ブットレア               ⇨ 2022.07.16
◯フユザクラ(冬桜・十月桜)       ⇨ 2023.10.13
◯フヨウ(芙蓉)             ⇨ 2024.09.25
◯ブラシノキ               ⇨ 2019.05.14
◯フランネルフラワー           ⇨ 2022.11.30
◯フリージア               ⇨ 2021.06.02
◯プリムラ・マラコイデス(乙女桜)    ⇨ 2022.03.24
◯ブルーサルビア             ⇨ 2022.08.23
◯ブルースター(瑠璃唐綿)        ⇨ 2021.08.11
◯ブルーベリー              ⇨ 2021.08.02
◯ブルビネ・フルテスケンス(ハナアロエ) ⇨ 2021.07.15
◯ブルビネラ               ⇨ 2020.03.17
◯フレンチラベンダー           ⇨ 2020.04.27
◯ブローディア              ⇨ 2023.06.16
◯フロックス(花魁草)          ⇨ 2021.09.17


 


「シング・シング・シング(Sing Sing Sing)」

2024年11月13日 22時03分09秒 | 懐かしいあの曲

(6年前の2018年11月、東京都 御岳渓谷を訪ねた時に撮っていたモミジ)

「秋の日は釣瓶落とし」
当地、今日の日の入時刻は、16時37分頃、
ますます、日暮れが早くなり、
秋の夜長が感じられる今日この頃である。
夕食までの手持ち無沙汰な時間、
毎度のこと、若い頃聴いていた懐かしい曲ばかりを、
YouTubeで聴いているところだが、
今日は、その中の1曲、
ブラボーな演奏、「シング・シング・シング(Sing Sing Sing)」を、
共有させていただくことにした。
  「ジャズ聴いて爺もスイング秋の宵」

「シング・シング・シング」・鈴木章治とリズムエース (YouTubeから共有)

「シング・シング・シング」  (YouTubeから共有)


好天に誘われやおら爺散歩、

2024年11月13日 13時28分55秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、文句無しの「小春日和」、
好天に誘われ、妻の歩行訓練?も兼ね、
午前中、やおら重い腰を上げ、
ちょこっと近くを歩いてきた。
  好天に誘われやおら爺散歩
スマホの歩数計で、約5,200歩。
なんやかんやで、またまた10日以上も休んでしまった(サボってしまった)、
散歩・ウオーキング、
見掛ける花も、主役脇役交代、
季節の巡りの速さを実感してしまう。

皇帝ダリアが、満開に・・・、

サフラン

ゲンノショウコ?

 

 


小春日和とシャコバサボテン開花

2024年11月13日 09時13分29秒 | 暮らしの記録

当地、今日の天気予報は、「晴時々曇」、最低気温9℃、最高気温19℃、
となっているが、
早朝から「快晴」、
穏やかで、ひんやり清々しく、陽だまりは温かい。
この時期の、このような天候のことを
「小春日和」というのだろう。

先日、寒さ対策で、ベランダや庭先から、室内に運び入れた、
鉢植えのシャコバサボテンも、開花し始めた。
ここ1週間、10日間程で、
7~8個の鉢植えのシャコバサボテン、次ぎ次ぎと開花するに違いない。

「小春日和」とは、
晩秋から初冬の頃の、穏やかで暖かな天気のことで、
「春」という言葉が使われているが、春の天候の言葉ではない。
意外と、勘違いされている人が多いらしい。


(参照・引用)
👇️
文化庁・言葉のQ&A


 


わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり

2024年11月12日 15時51分54秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その14

わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり

出典
古今集(巻六)

歌番号

作者
喜撰法師

歌意
私の草庵は、都の東南に有って、
このように心安らかに住んでいる。
それなのに、
世の中を嫌うという意味の宇治山と、
言っているそうだ。

注釈
「庵(いほ)」は、粗末な小屋、草庵の意。
「たつみ」=辰巳、東南の方角。
「しかど住む」の「しか」は、「然り」(そのように)の意だが、
ここでは、「かく」の意で、
安定した心境を表している。
「鹿(しか)」との掛詞という説もある。
「世をうぢ山と」=「世を憂し(嫌だ)と思って住む宇治山であると」の意。
「うぢ」は、「憂し(うし)」と「宇治(うじ)」の掛詞。
宇治山は、現在の宇治市東方に有る喜撰山のこと。

宇治山の草庵を訪れた人に語った形式の歌で、
俗世間を離れて隠れ住む、気楽な安定した心情が、
歌われている。


喜撰法師(きせんほうし)

宇治山に隠棲していた真言宗の僧。
六歌仙の一人。
紀貫之が、古今集の序文の中で、
喜撰法師のことを、
「詠んだ歌が少なく、よく分からない」と
記述しているように、
はっきり、喜撰法師の作と分かっている歌は、
この「わが庵は・・・」だけなのだと、言われている。


「六歌仙」とは、

下記、平安時代初期の優れた歌人6人のこと。
在原業平(ありわらのなりひら) 
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
小野小町(おののこまち)    
文屋康秀(ふんやのやすひで)  
喜撰法師(きせんほうし)    
大伴黒主(おおとものくろぬし) 


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


コーヒーの香りとジャズで浸る秋

2024年11月12日 13時12分50秒 | 暮らしの記録

(14年前の2010年11月、旅行会社の格安バスツアーで訪れた、京都、嵐山で撮っていたモミジ)

数日前には、最低気温5℃前後と、
急激な冷え込みが有った当地、
いささか、泡食ったところもあったが、
やや落ち着いてきて、
ここしばらくは、本来の晩秋の気候に戻るようだ。
11月も中旬である。
ますます、日暮れが早くなり、
夜長を感じるようになっているが、
年寄りなのに、早寝が出来ない部類、
老い先長く無い、後期高齢者、
1日、1週間、1ヶ月、1年・・・・、
どうしようも無くなってしまう日が来るまでは、
出来る範囲で、
時間を大切に過したいものだと思っているところだ。
あれや、これや、
あれも、これも・・・・・、
なんやかんや有って、しばらく 遠ざかっていた図書館通い、
そろそろ、再開したい気分になり、
久し振りに出向き、1冊借りてきた。
「枯葉」の季節である。
猫額庭のキウイも、
カサコソ、カサコソ、
葉を落とし始め、
そろそろ、収穫時期。
人間と同様に、
電気ガス器具類も、次々、老朽化、
耐用年数を大幅に超えて頑張っていたガスコンロも、ついに限界、
ガス会社に急報、
午後には、担当者がやってくる。
取り替え必至、
また出費。
  「コーヒーの香りとジャズで浸る秋」

Swing Jazz Trio 演奏の 「枯葉(Autumn Leaves)」   (YouTubeから共有)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その68

2024年11月11日 14時30分37秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その68
「湯ノ丸山」(再)

かれこれ27年前の1997年6月に、妻と二人で、長野県の東部、群馬県との県境にある「湯ノ丸山」を訪れたことが有った。
当時はまだ、自営業を続けていた頃で、時間的余裕も、精神的余裕も無かった頃だったが、6月下旬の土曜日、たまたま仕事の予定無しで、「6月上旬から下旬にかけて、山肌を真っ赤に染める湯ノ丸山のレンゲツツジの花期も終盤」等という情報も目にして、折しも、台風8号が九州に接近中、梅雨前線が刺激され、各地で大雨という天気予報が出ていて、甲信越地方も、まったく天気回復の見込み無しの、最悪の状態だったが、「現地に行って見なけりゃ分らない・・・」、等と、一縷の望みを持って強行した気がする。


山行コース・歩程等

地蔵峠駐車場→つつじ平→湯ノ丸山山頂南峰・北峰→つつじ平→地蔵峠駐車場 
(標準歩行所要時間=約2時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)


毎度のこと、自宅を夜明け前に出発、
関越自動車道、上信越自動車道、小諸ICから国道18号線を走り、
7時頃、湯ノ丸高原、「地蔵峠駐車場(標高1,700m)」に着いたようだ。
国道18号線走行時には、やや雨雲が薄れ、天気回復を期待したりもしたが、
標高を上げるに従い、雨脚が酷くなり、駐車場到着時は、
「どうする?」、状態。
車の中で、思案しながら、一時待機。
諦めて、信州ドライブ旅にでも、切り替えようかと迷ったが、
続々とハイカーの車が到着、
みるみる、駐車台数が20台前後にもなり、
次々と雨具着用で出発していくハイカーを見て、
「その内いつかまた・・・」なんて言ってられないという思いも有り、
背中を押され、やおら 雨具、スパッツを着用、出発と相成った。
もともと、レンゲツツジの見頃は、梅雨時期と重なるため、
雨降りは覚悟は上で、その準備はしていたのだったが・・・。
雨中山歩きだったこともあり、
バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、
証拠写真?的スナップ写真、数枚しか撮っていなかったが、
プリントした写真が古いアルバムに貼って有る。
ブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、
ブログに書き込んだことが有ったが、
その写真、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、
コピペ、リメイクしてみることにした。

7時15分頃、「地蔵峠駐車場」を出発、

       ゴゼンタチバナ、          コイワカガミ

 

つつじ平
レンゲツツジの群落、

9時頃、湯ノ丸山山頂(南峰)(標高2,103m)に到着、
残念ながら、雨は降り止まず、大展望叶わず、

 

9時15分頃、大きな岩が積み重なったような、
湯ノ丸山(北峰)山頂に到着、

 

お目当ての360℃大展望は、叶わずだったが、
一瞬、ガスが途切れ、眼下の「つつじ平」の景観が見られ・・、
ラッキー!、

天候が良ければ、湯ノ丸山から、さらに鳥帽子岳往復も予定していたが、
中止し、下山することにした。
皮肉にも、下山途中から雨が上がり始め、周辺が見えだし・・・。

11時頃、地蔵峠に戻った頃には、すっかり雨が上がって、周辺の山が見えだし・・・、
なんだかなーー、だったが、
とりあえずは、湯ノ丸山山頂までピストン出来たことと、
好天だったら、大変な人出だったはずで、
むしろ、静かな山歩きが出来たことで、納得、
時間的にはゆとりが有ったが、早々、帰路に着いたのだった。
当時は、「また来る時には、笑っておくれ♪」的気分だったはずだが、
その後、訪れる機会は無く、
足、腰、痛!、痛!になった今となっては、
「湯ノ丸山」も、遠い思い出の山になってしまっている。
雨で煙ったレンゲツツジ大群落の景観が、脳裏に焼き付いた山旅だった。


 

 


今年は早々?、人、植、同居の季節となり・・、

2024年11月10日 17時07分42秒 | 暮らしの記録

当地、今日の天気予報は、「曇のち時々雨」・・・・、だったが、
夕方までは、雨にはならず、
冷え冷えした曇天だった。
数日前から、急激に朝夕の冷え込みが厳しくなっている関東西部山沿いの当地、
最低気温が5℃前後の日も有って、
ベランダや庭先の鉢植え植物が、寒さに負け、元気が無くなっており、
冬対策、
急遽、今日、室内に運び入れた。
毎年のことだが、この時期から春先までは、
クンシラン、シャコバサボテン、カポック、サクララン等と同居?する羽目になる。
狭い部屋が、ますます狭くなるが、
季節の移り変わりを感じる時でもある。

蕾がふくらみ始めているシャコバサボテン

今年、株分けして、鉢の数が増えた、クンシラン

 

サクララン、カポック

かなり疲れる一仕事を済ませ・・・、
やれ、やれ、

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元の身体に戻るまでは、数ヶ月は掛かりそう?

2024年11月10日 09時18分12秒 | 健康・病気

機械だったら、故障しても、修理したり、部品交換すれば、
直ぐにでも元に戻るが、人間、そうはいかない。
10月月初、整形外科手術を受け、1ヶ月近くも入院し、退院出来た妻、
次第に、元の日常生活に戻してはきてはいるが、
体幹装具コルセット装着は、4ヶ月間必要ということで、
まだまだ、不自由な暮らしが続きそうだ。
入院による、体力、筋力の衰えは、明白で、
経験者であれば、誰しも納得するところ。
無理せず、ゆっくりと、元に戻していくしかない。


まずは、軽い体操、歩行練習から始め、
次第に、散歩も、10分程度から、20分、30分位まで、
出来るようになってきた。
昨日、手術から1ヶ月後の検診診察を受けてきたが、
担当医師からも、「順調、問題無し」と、太鼓判を押され、
本人はもちろんだが、ひとまず、安堵しているところだ。

(ネットから拝借イラスト)

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