たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は

2024年11月09日 15時52分08秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その13

人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は

出典
続後撰集(巻十七)

歌番号
99

作者
後鳥羽院

歌意
ある時は人がいとおしく思われ、
またある時は人が恨めしく思われる。
嘆かわしいことだ。
この世をおもしろくないものと思うところから、
さまざまな物思いをするこの私の身には。

注釈
「人もをし」の「をし」は、「愛し(おし)」が原形で、
「いとおしい」「かわいい」の意。
「人も恨めし」の「恨めし」は、「恨みに思う」「にくらしい」の意。
「あぢきなく」=「苦々しい」「面白くない」の意。
「世を思ふゆえに」=「この世をつまらなく思うために」の意。
「物思ふ身は」=「まざまに世間の雑念にとらわれるこの身には」の意。

鎌倉幕府との対立が深刻化している時期、
後鳥羽院33歳の時の作。
鎌倉幕府の横暴に対する嘆き、
苦悩する人間上皇の深い悲愁が
格調高く、歌われている。


後鳥羽院(ごとばいん)

高倉天皇(第八十代)の第四皇子、第八十二代天皇、
安徳天皇の後を受け、4歳で即位し、
19歳で、皇太子為仁親王に譲位、
以後、院政を執った。
鎌倉幕府討幕を計画した「承久の乱」を起こしたが失敗、
隠岐島に流され、在島19年のまま没した。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


懐かしい映画と映画音楽・その82

2024年11月08日 20時49分36秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、4年前に、ブログ・カテゴリー「暮らしの記録」に書き留めていた記事、「翼よ!あれが巴里の灯だ」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その82
映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」と挿入曲(再)

4年前、2020年6月18日のこと、
「録画してある映画でも 観る?」
夕方になって、手持ち無沙汰な時間、
テレビ奉行の妻から、声が掛かった。
その日は、「キョウヨウ無し」「キョウイク無し」の1日だったようで、
たまには、映画鑑賞も良かろう、となったのだと思う。
映画は、「翼よ!あれが巴里の灯だ」だった。
リンドバーグが、大西洋横断飛行を成し遂げた時の言葉として有名であり、
その映画も、若い頃に1度は見たことが有るような気もしないではないが、
映画の記憶は、まるで残っておらず、初めて見る感覚だった。
「へー!、こういう映画だったのか」
目から鱗・・・だった気がする。

今更になってネットで調べてみると、
映画「翼よ!あれが巴里の灯だ(原題 The Spirit of St.Louis)」は、1957年(昭和32年)に、ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演で、製作、公開された、アメリカ映画だった。
チャールズ・リンドバーグ著作「The Spirit of St.Louis」を原作とした、チャールズ・リンドバーグの伝記映画である。
歴史的な大西洋横断飛行を成し遂げたリンドバーグの話は、余りにも有名であるが、この映画により、リンドバーグのひととなりや、ニューヨーク、ルーズベルト飛行場離陸からパリ、ル・ブルジェ飛行場着陸その過程、様子が詳しく分かった。
リンドバーグが、1927年(昭和2年)に、「スピリット・オブ・セントルイス」と名付けた単葉単発単座のプロペラ機で、ニューヨークのルーズベルト飛行場を離陸、睡魔と機体の着氷と戦い、推測航法に苦難しながら、パリのル・ブルジェ空港に着陸するまでを描いた作品だが、飛行中に、回想シーンや同乗者?の蝿とのエピソード等が盛り込まれたりしている。
若きジェームズ・ステュアートの演技が光っている映画でもある。

(NHKテレビから拝借画像)

(ネットから拝借画像)


映画「 翼よ! あれが巴里の灯だ」 opening credit original source  (YouTubeから共有)


サトイモの一部、収穫、他

2024年11月08日 17時35分07秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日も「晴時々曇」、最低気温=5℃、最高気温=16℃、
早朝、真冬並みに冷え込み、日中も、やや雲が多かったが、
清々しい1日だった。
すでに、10日前頃から、葉、茎が、枯れ、倒れ、
収穫適期になっていたサトイモ(トウノイモ)、
なんやかんや有って、延び延びになってしまっていたが、
今日は、やるべし・・、
午前中、やおら重い腰を上げ、Go To 畑! と相成った。

(1)サトイモの一部(トウノイモ)収穫、

植え付け後の発芽、生育、極めて悪く、
残っていた種芋を、急遽、植え直した今年のサトイモ、
やっぱり、出来は、イマイチ、
小粒ばっかり・・・、
まあ、諦めていた分、満足?

(2)コマツナ、収穫、

(3)ダイコン、1本だけ試し掘り(初収穫)、
   ちょっと、早いみたい?、

畑地のど真ん中で、開花しているトレニア、
野鳥が運んできたのか、どこから迷い込んできたものやら・・・、
「邪魔なんですけど・・・」、
と言いながらもの
引っこ抜くには、忍びなく・・・、

 

やり残し有り・・・だったが、
足、腰、痛!、痛!、
無理せず、
今日は、これまで・・・、
やれ、やれ、


立冬

2024年11月07日 17時52分22秒 | 暮らしの記録

(日本気象協会 tenki.jp から拝借)

今日は、「二十四節気」のひとつ、「立冬」
正確には、11月7日~11月21日が、「立冬」で、その最初の日である。
つい先日まで、「夏日」「真夏日」が有ったりした今年の秋だが、
折しも、今日は、日本付近、西高東低、冬型の気圧配置が強まり、寒気が南下、
北海道等からは、「初雪」「積雪」の便りが届き、富士山も、「初冠雪」
東京地方等では、冷たい北風が吹き荒び、「木枯らし1号」と発表されたり、
全国的に、急激に気温が下がり、
いよいよ、本来の晩秋、初冬の気候になったようだ。

(ネットから拝借画像)




古い写真から蘇る思い出の山旅・その67

2024年11月06日 14時40分40秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その67
「本仁田山・川乗山」(再)

かれこれ22年前、2002年5月5日、妻と二人で、東京都の西部、奥多摩の山「本仁田山(ほにたやま)・川乗山(かわのりやま)」を訪れたことが有った。
当時はまだ、自営業を続けていた頃で、時間的余裕、精神的余裕も無かった頃だったが、5月の連休中、たまたま、予定が入っておらず、行楽気分で、急遽出掛けたような気がする。
バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、証拠写真?的スナップ写真、数枚しか撮っていなかったようだが、そのプリントした写真が古いアルバムに貼って有り、ブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有った。
その写真、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、コピペ、リメイクしてみることにした。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、あの日あの頃を思い出しているところだ。


山行コース・歩程等

奥多摩町営氷川駐車場→本仁田山登山口→大休場→(大休場尾根)→本仁田山山頂→
コブタカ山→大ダワ→十字路→川乗山山頂→大根ノ山ノ神→JR鳩ノ巣駅
(標準歩行所要時間=約7時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

自宅を早朝に出発、奥多摩町氷川駐車場に着いたのは、午前7時30分頃だったようだ。
奥多摩町営氷川駐車場は、30台程度駐車可能の駐車場だったが、連休中とあって、
すでに満車寸前だった気がするが、係員の誘導で危うく滑り込みセーフだった気がする。
JR青梅線奥多摩駅、奥多摩役場、北氷川橋、女天橋、氷川国際ます釣り場、除ヶ野集落等を進み、
8時20分頃、安寺沢集落、ワサビ田の前の「本仁田山登山口」へ。
熊出没要警戒の看板も有り、前後にハイカーの姿も無く、不安が過る。
いきなり、暗い杉林の中、ジグザグ急登が始まった。


途中、明るいカヤトが有り、御前山、鷹ノ巣山、六ッ石山等が、眺望出来た。
9時頃、川乗山から続く尾根、大休場尾根の上、「大休場」に到着。
標高差500m程の急登に喘いだ後で、「大休場」の地名に納得、
夫婦連ハイカーが休憩中で寸談、
コースに仲間が有って、なんとなく安心した気がする。

「大休場」からも、尾根歩きとは言うものの、厳しい登りが続き、
夏のような暑さで汗だくになりながら、ひたすら高度を上げ・・・、
10時15分頃、本仁田山山頂(標高1,224.5m)に着いたようだ。
予想外にも、3~4組の夫婦連れや単独行のハイカーが休憩中で、
結構、訪れる人多いコースであることを知った気がする。

本仁田山山頂からは、一旦下り、やや平坦な尾根道となり、再び急下降、
ところどころに、ミツバツツジは見られる程度で、目立った花も無く・・・、
「鉄砲指」、「コブタカ山」、を通過、
11時頃、「大ダワ」に着き、少休憩、

「大ダワ」から歩き始めて直ぐに分岐が有り、少し下降気味の右コースを辿ってしまったが、
巻き道的なコースで、30分以上時間ロスしたような気がする。
「船井戸」、「水場」、「十字路」を通過、

12時40分頃、川乗山山頂(標高1363.7m)に到着したようだ。
山頂は、細倉橋、百尋ノ滝方面から登ってきたハイカー、登山者で溢れており、
ほとんど、高尾山状態?
ここで、昼食とした。

13時15分頃、川乗山山頂を出発、
「水場」「船井戸」「大ダワ」まで、往路を引き返し・・・。

「大ダワ」から、下り一辺倒、
小さな祠が有る「大根ノ山ノ神」を、15時頃通過、
15時30分頃、JR青梅線鳩ノ巣駅に、着いたようだ。
駅周辺は、ハイカー、登山者がいっぱいだったが、
ほとんどが、青梅、立川、東京方面行き列車待ち、
奥多摩駅方面への乗客は極くわずか、
15時54分発、奥多摩行き列車に乗車、
なんとびっくり、
特別仕立ての普通列車で、車体全体カラフルな絵模様、
座席全席が南向き(多摩川向き)、窓が広い展望車風、
車内には、奥多摩風景写真展を模して、作品が飾られており、
わずか2駅だったが、楽しめた気がする。
16時、奥多摩駅に着いたが、
やはり、青梅、立川、東京方面に帰るハイカー、登山者、行楽客で、
駅周辺溢れかえっており、通勤ラッシュ並み?の混雑。
その中をすり抜けて、駐車場へ。
予想通り、奥多摩街道、青梅街道共、青梅を抜けるまでは大渋滞、ノロノロ運転で、
帰着したのは、19時だったようだ。
あの頃はまだ、「また来る時にも笑っておくれ♫」的な気分だったと思うが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、「本仁田山」も「川乗山」もまた、
遠い思い出の山となってしまっている。
あの日、思い立って訪れていて、本当に良かったと、つくづく思う。

 


誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

2024年11月05日 17時49分57秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その12

誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに

出典
古今集(巻十七)

歌番号
34

作者
藤原興風

歌意
年をとった私は、
いったい誰を友達にしようかなあ、
昔を知っている相手と言えば、
長寿の高砂の松くらいだが、
その高砂の松も昔馴染みの友達ではないことだから。

注釈
「誰をかも(たれをかも)」=「いったい誰を」の意。
「知る人にせむ」の「知る人」は、
自分を理解してくれる人、知己の意。
「高砂の松」=枕詞、
現在の兵庫県高砂市の松のことで、
長寿の松として、歌に詠まれていた。
「友ならなくに」の「ならなくに」は、
「無いことだがなあ」と訳す。
高砂の松を長生きするものの比喩として擬人化し、
老残の孤独、寂しさが、切なく歌われている。


藤原興風(ふじわらのおきかぜ)

日本最古の歌論書「歌経標式」の著者藤原浜成の曾孫。
紀貫之等と共に、「古今集」歌壇、有数の歌人、
管弦の名手、三十六歌仙の一人、


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


懐かしい映画と映画音楽・その81

2024年11月04日 16時16分37秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、5年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「サウンド・オブ・ミュージック」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その81
映画「サウンド・オブ・ミュージック」と代表的な挿入曲(再)

今更になってネットで調べてみると、
映画「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」は、1965年(昭和40年)に、ロバート・ワイズ 監督、ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー等出演で製作、公開された、アメリカのミュージカル映画だった。
マリア・フォン・トラップ(Maria Augusta von Trapp)の自叙伝「トラップ・ファミリー合唱物語(The Story of the Trapp Family Singers)」の前編「オーストリア編」を原作として描かれた、ブロードウエイミュージカル「サウンド・オブ・ミュージカル」を映画化したものだが、原作の史実とも、舞台とも、随所で異なった作品になっていたという。
代表的な挿入曲に、「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」「私のお気に入り(My Favorit Things)」「ドレミの歌(Do-Re-Mi)」「エーデル・ワイス(Edelweiss)」「マリア(maria)」「すべての山に登れ(Clime Ev'ry Mountain)」等々がある。

(ネットから拝借画像)

「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music) (YouTubeから共有)

「私のお気に入り (My Favorite Things)」   (YouTubeから共有)

「エーデル・ワイス(Edelweiss)」 (YouTubeから共有)

「ドレミの歌(Do-Re-Mi)」  (YouTubeから共有)

 
「すべての山に登れ (Climb Every Mountain)」   (YouTubeから共有)


記憶曖昧だが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の先行作品である、映画「菩提樹(Der Lindenbaum)・原題 Die Trapp-Familie(トラップ一家)」、あるいは、「続・菩提樹」も、若い頃、どこかの映画館で観たような気がしている。
「菩提樹」は、1956年(昭和31年)に、ヴォルフガング・リーベンアイナー 監督、ルート・ロイヴェリク等出演で製作、公開された、ドイツ映画だが、確か、地味な白黒映画だったような気がする。同じストーリーの映画だが、映画の中で、「菩提樹」が歌われており、邦題「菩提樹」になったようだ。

フランツ・シューベルト(Franz Schubert)の 歌曲集「冬の旅」 第5曲911-5 「菩提樹」
(YouTubeから共有)

コメント (2)

フジバカマ(藤袴)

2024年11月04日 08時22分08秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、草花に超疎い爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。


2020年10月24日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた「フジバカマ」

2022年10月21、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた「フジバカマ」

2024年8月6日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた「フジバカマ」

2024年10月17日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた
「フジバカマ」と「ツマグロヒョウモン」


フジバカマ(藤袴)

キク科、エウパトリウム属(ヒヨドリバナ属)、多年草、
     別名「カオリグサ(香草)」「ランソウ(蘭草)」
     和名「藤袴」は、花の形、色が「藤」に似ており、花弁が短くて「袴」のように
     見えることから付けられた花名。
     「秋の七草」の一つ。
原産地 中国
    日本には、奈良時代に渡来、
    「万葉集」、「源氏物語」に登場する等、古来から親しまれてきた植物だが、
    環境の変化で、日本に自生していた「フジバカマ」は、ほとんど絶滅し
    現在流通しているのは、主に「サワフジバカマ」という種類なのだという。
草丈 60cm~150cm、
花色 紫色、ピンク色、白色、
開花時期 8月頃~10月頃、
花言葉 「あの日のことを思い出す」「ためらい」「他人の恋の相談役」
    「優しい思い出」「遅延」「遅れ」「躊躇」


振り返り記事
「秋の七草」
👇️
こちら


(蛇足)

「フジバカマ」は、「アサギマダラ」が好んで訪れる植物として知られている。
まだよく解明されてはいないようだが、
「フジバカマ」に含まれる物質「ピロリジジン・アルカロイド」の摂取が
性フェロモンの分泌に必要だからと言われている。
「アサギマダラ」は、台湾や東南アジア等から、
春、日本へやってきて、秋には帰る、
2,500kmもの長旅をする蝶、
「フジバカマ」と止まる「アサギマダラ」、
当地近辺では、まだお目に掛かったことがないが、
秋の風物詩と言える


「万葉集」
山上憶良(やまのうえおくら)
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花
女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌の花」

「古今和歌集」
紀貫之(きのつらゆき)
「やどりせし 人のかたみか 藤袴 わすられがたき 香ににほひつつ」

「源氏物語・藤袴」
「同じ野の 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ ごとばかりも」


 


大根の間引き(一本立ち)、他

2024年11月03日 13時50分08秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、「快晴」、
最高気温も、22℃~23℃、
スッキリ、爽やか、
世の中、三連休中日、絶好の行楽日和ではあるが、
前日が「雨」の「晴」の日は、畑仕事にも、もってこいの日。
もう、5日も行ってないし・・・、
この前、やり残した仕事も有るし・・・、
ということで、午前中、
やおら重い腰を上げ、Go To 畑!、と相成った。

(1)ダイコンの間引き(一本立ち)
   今のところ、順調に育っているダイコン、
   やっと、一本立ちにしてやることが出来。
   間引きしたダイコン、大量、
   どうする?、どうする?


   毎年のこと、葉は、塩漬けにし、
   しばらくの間、少しづつ刻んでは、熱々ご飯食で食することになりそう・・・、

(2)コマツナ、3回目収穫
   例年になく生育良く、食する方が追い付かず、
   サラッと茹でて、冷凍保存、
   相当長い期間、新鮮野菜として、食することになる。


先日、植え付けたタマネギ、
なんとか、根付いたようだ。

ハクサイ、
まだ、巻いてきた様子見えないが、
なんとか、大丈夫そう?

やれ、やれ、
1件落着、

コメント (6)

「文化の日」、「快晴」

2024年11月03日 07時43分24秒 | 暮らしの記録

当地、今日の日の出時刻は、6時7分頃、
昨日は、1日中、冷たい雨が降り続いたが、
一夜明けると、「快晴」。
天気予報も、日中の降水確率=0%、
文句無し、「快晴」「文化の日」になりそうだ。

11月3日「文化の日」は、よく、「晴れの特異日」と言われており、
これまでも、それを実感し、そう思い込んでいたものだが、
ネット等を覗いてみると、必ずしも、そうとは言い切れないのだそうだ。
「特異日」とは、統計上、その前後の日に比べて、高い確率で、特定の気象状態になる日を言うが、「文化の日」が「晴れ」になる確率は、その前後に比べ、突出して高くは無いのだそうだ。
以後、注意しようと思うが、今日、今年の「文化の日」は、紛れもなく、「快晴」。
雨上がりで、清々しい。
「菊花展」でも見に行きたい気分にもなる。

コメント (1)