単純には割り切れない西部劇
* * * * * * * *
1992年、アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した西部劇ですね。
あ、今気がついたけど、この間の「ザ・シークレット・サービス」とこの作品、順序が逆だね。
そうかあ。一応、ずっと制作順を追ってきたつもりなんだけどね。
まあ、さして態勢に影響はないでしょう・・・。皆様、ご勘弁を。一年違いで入れ替わっちゃっただけです・・・。
さて、気を取り直して、クリント・イーストウッドで西部劇といえば、やはり、荒野の用心棒とか夕陽のガンマンのイメージが強い。
けれど、30年を経てその単純なマカロニウエスタン風のかっこよさは払拭され、複雑で重厚な作品となってますね。
若い頃無法を冒し悪名を馳せたビル・マニー(クリント・イーストウッド)。
しかし彼は若い妻と知り合い改心し、銃も捨てていた。
その妻は病死し、残された二人の子供を貧しい農場で育てていたのですが・・・。
そんなとき、スコフィールド・キッドという若い男が訪ねてきて、
ある町で賞金稼ぎをしないかと誘います。
その町の女性の顔を切り刻んだという二人の男を殺せば大金が手に入る。
人殺しはもう止めた彼でしたが、子供たちのためにお金は必要。
昔組んでいたネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)も誘い、3人でその町へ向かった。
さてところが、その町はリトル・ビル・ダゲットという保安官が牛耳っているんだね。
顔を切り刻まれた女性というのは実はその町の娼婦。
保安官は思いの外軽い扱いで犯人の男たちを放免してしまうんだね。
気持ちが収まらないのは娼婦たち。彼女たちはコツコツとためたお金を出し合って、その男たちに賞金を懸けた訳です。
これが保安官には気に入らない。
町に銃は持ち込み禁止にして、やってきた賞金稼ぎをボコボコにリンチしてしまう。
相当独善的なヤツだね。俺が正義、みたいな。
でも、銃の所持を禁止している日本の国民とすれば、そう悪くないことのようにも思えるんだな、これが・・・。
顔を切られた女性は命は助かったし、男2人は普段はそう悪いヤツにも見えない。
本当にそれが死に値することなのかどうか・・・。
でも娼婦を人間扱いしていない、というところはあって・・・。
様相は複雑だよね。
単純に何が正義なのかって、決めつけられない。
善悪のボーダーラインがないんだよ。それは見る人の心の中にある。
そう、この複雑さが、まさにアメリカの銃社会の苦悩でもあると思うよ。
これまでの西部劇は人殺しは日常茶飯時で、いとも簡単に人がばたばたと撃ち殺されてたよね。
けれどこの作品では、賞金稼ぎとはいえ、なかなか撃てないんですよ。躊躇してしまう。
特に、このキッドという若者、口ばかりで実は人を殺したことはない。
銃で人を撃つ痛み。こういうことをきちんと描いた点に、この作品の意義があるのです。
もはやこれは娯楽作品ではないと言うことなんですね。
結局は、この映画の時点ではまだ武器は捨てられない、ということになるよね。
かなり苦いですけれど。
「グラン・トリノ」の非武装まではまだしばし間がある。
う~ん、でもこういうこと、クリント・イーストウッド作品をずっと追ってきたから見えるんだよね。
そうだね。ちょっとは続けてきた意義もあったかな・・・と。
自己満足、自己満足。
1992年/アメリカ/131分
監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス、ジェームス・ウールヴェット
許されざる者 [DVD] | |
クリント・イーストウッド,ジーン・ハックマン,モーガン・フリーマン,リチャード・ハリス | |
ワーナー・ホーム・ビデオ |
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1992年、アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した西部劇ですね。
あ、今気がついたけど、この間の「ザ・シークレット・サービス」とこの作品、順序が逆だね。
そうかあ。一応、ずっと制作順を追ってきたつもりなんだけどね。
まあ、さして態勢に影響はないでしょう・・・。皆様、ご勘弁を。一年違いで入れ替わっちゃっただけです・・・。
さて、気を取り直して、クリント・イーストウッドで西部劇といえば、やはり、荒野の用心棒とか夕陽のガンマンのイメージが強い。
けれど、30年を経てその単純なマカロニウエスタン風のかっこよさは払拭され、複雑で重厚な作品となってますね。
若い頃無法を冒し悪名を馳せたビル・マニー(クリント・イーストウッド)。
しかし彼は若い妻と知り合い改心し、銃も捨てていた。
その妻は病死し、残された二人の子供を貧しい農場で育てていたのですが・・・。
そんなとき、スコフィールド・キッドという若い男が訪ねてきて、
ある町で賞金稼ぎをしないかと誘います。
その町の女性の顔を切り刻んだという二人の男を殺せば大金が手に入る。
人殺しはもう止めた彼でしたが、子供たちのためにお金は必要。
昔組んでいたネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)も誘い、3人でその町へ向かった。
さてところが、その町はリトル・ビル・ダゲットという保安官が牛耳っているんだね。
顔を切り刻まれた女性というのは実はその町の娼婦。
保安官は思いの外軽い扱いで犯人の男たちを放免してしまうんだね。
気持ちが収まらないのは娼婦たち。彼女たちはコツコツとためたお金を出し合って、その男たちに賞金を懸けた訳です。
これが保安官には気に入らない。
町に銃は持ち込み禁止にして、やってきた賞金稼ぎをボコボコにリンチしてしまう。
相当独善的なヤツだね。俺が正義、みたいな。
でも、銃の所持を禁止している日本の国民とすれば、そう悪くないことのようにも思えるんだな、これが・・・。
顔を切られた女性は命は助かったし、男2人は普段はそう悪いヤツにも見えない。
本当にそれが死に値することなのかどうか・・・。
でも娼婦を人間扱いしていない、というところはあって・・・。
様相は複雑だよね。
単純に何が正義なのかって、決めつけられない。
善悪のボーダーラインがないんだよ。それは見る人の心の中にある。
そう、この複雑さが、まさにアメリカの銃社会の苦悩でもあると思うよ。
これまでの西部劇は人殺しは日常茶飯時で、いとも簡単に人がばたばたと撃ち殺されてたよね。
けれどこの作品では、賞金稼ぎとはいえ、なかなか撃てないんですよ。躊躇してしまう。
特に、このキッドという若者、口ばかりで実は人を殺したことはない。
銃で人を撃つ痛み。こういうことをきちんと描いた点に、この作品の意義があるのです。
もはやこれは娯楽作品ではないと言うことなんですね。
結局は、この映画の時点ではまだ武器は捨てられない、ということになるよね。
かなり苦いですけれど。
「グラン・トリノ」の非武装まではまだしばし間がある。
う~ん、でもこういうこと、クリント・イーストウッド作品をずっと追ってきたから見えるんだよね。
そうだね。ちょっとは続けてきた意義もあったかな・・・と。
自己満足、自己満足。
1992年/アメリカ/131分
監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス、ジェームス・ウールヴェット
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