ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

山形新聞日曜随想第2回

2015-02-20 10:13:49 | 教育
 山形新聞の日曜随想第2回が掲載された。

 今回は置農演劇部について書いた。このブログを読んでくれている人ならほぼ知ってる内容だと思う。一週間ほど前にブログにも書いたし。まあ、同じ内容を書いても、ブログと新聞でどんだけ違うか感じてもらうのも一興かもしれない。

 文字数の関係で書ききれなかったこと、それは、先生たち、もっと生徒を信じましょ!そして、どんどん生徒を外に出してあげましょ!ってことだ。学校から離れてみて、教員てのがいかに世俗?から隔絶しているかを改めて感じている。まずは先生自身が外に出ることだな。

 ついでに公演結果(観客数)を又聞きで報告すると
     2月13日(金)桃井第2小学校 全校生徒500名
     2月14日(土)杉並第4小学校 全校生徒と地域住民 300名
            新泉小学校 地域住民 80名
 沢山の人たちに見てもらえて良かったね。ご苦労様!


 こんなこと、聞いたことあります?山形の高校生が東京でミュージカル公演!それも今年で7年目ですって。一昨日(2月13日)は杉並区立桃井第二小学校、昨日(2月14日)は同じく杉並第四小学校と新泉小学校、きっと沢山の子どもたちに楽しんでもらえたんじゃないかな。そう!交流会なんかもあったらしいから。
 置賜農業高校(以下置農)演劇部が子どもたちのために食育ミュージカル公演を始めたのは、もう10年以上も前のこと。ニンジン嫌いの少女がニンジンに変わってしまったお母さんを訪ねて野菜の国を旅するという『ニンジンなんてどぅぁぁぁいキライ!』(作:河原俊雄)が最初の作品だ。その後、作っても売れないと食べ物は輸入して花ばっかり作ってる国のお話し、(なんか身近にありそう)とか、宇宙から来た留学生が残飯の山を見て、もったいないの心を説くお話しなど、子どもたちが楽しく笑いながら、食べ物や農業の大切さや、好き嫌いをなくそう、バランスよく食べようといった、食育の基本を学べる内容だ。
 農業高校ならではのこの活動、置賜地域では大評判!小学校や地区コミュニティセンター、児童館などから申し込み殺到で、年度の初めには十数回分の公演スケジュールがすべて埋まってしまうという人気舞台となっている。
東京に進出したのは7年前。演劇部の要請に、町田市の食育推進校3校が、応えてくれたことに始まる。体育館をびっしりと埋め尽くした小学生数百人(1校250人~800人)を前にしての公演は演劇部員たちには震え上がる体験だったはず、でも、まるでびびることもなく堂々とさわやかに演じきった。児童全員からの感謝の便りには、面白かった、食べ物を大切にしたい、今日から野菜を食べますなど、嬉しい言葉の数々が溢れていた。
 東京公演に関わる経費は、学校の予算の他、演劇部や置農が受賞した各種大賞(「こころを育む活動」全国大賞、「サントリー地域文化賞」他多数)の副賞、さらには地区が獲得した地域振興基金などが当てられている。
 置農演劇部の活動は食育ミュージカルだけにとどまらない。置農演歌ショー「夢芝居」これがまたとんでもない!人気だ。美空ひばりや北島三郎の演歌を着物姿の高校生が踊る。若さが躍動するお祭りダンスでさらに盛り上がり、要望により、振り込め詐欺防止のコントも付くという1時間30分のエンターテイメントステージだ。老人会、敬老会、介護施設などからの出演依頼はひっきりなし、拙いながも精一杯の舞踊に、かけ声ばかりかご祝儀だって飛ぶことがあるほど。若さの限り踊り尽くした後は、握手会!部員たちが客席に入りお婆ちゃん、お爺ちゃんと手を握り合い言葉を交わす。涙を流し握った手をいつまでも離さないお年寄り、部員たちにとっても感激の瞬間、感動の体験だ。
食育ミュージカルでは子どもたちと、演歌ショーではお年寄りと、日常では向き合うことの少ない異世代との心の交流を体験して、部員たちは、教室では学ぶことのできない大切な宝物をもらうことになる。つながることの喜び、喜んでもらえることの嬉しさ、演じきり、感謝され、褒めてもらい、部員たちの自信はどこまでも膨らむ。 
年間の公演活動は50回近くにも達する。その大多数が土日や祝日だ。貴重な休みがすべて公演に費やされていく。時には辛いと嘆き、時にはなぜ?と疑問がもたげ、時には辞めたいと弱気になる。でも、子どもたちやお年寄りが楽しみにしてくれている。終演後の熱烈な拍手がある。感激にふるえる握手が待っている。
だから、突っ走る、3年間。そんな青春が置農演劇部だ。
地域に飛び出せ!地域に学べ!このモットーが置農演劇部を支えている。
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台本は部員へのメッセージ

2013-02-14 23:32:44 | 教育
 食育子どもミュージカルの新作を書いている。タイトルは、言っちゃっていいかな?『マー君とキッコちゃんの台所』。話しの内容は、ここではまだ控えておこう。台本もらった時の部員たちの楽しみが無くなるからね。

 さて、台本を書くとき、どんなことを考えているか。もちろん、面白い作品を書こうというのが一番だ。去年のは面白かったのに今年は?と言われないよう、頭をひねり、身体をひねり、指をひねって?て書いている。ストーリーはどうか、歌はどうか、キャラクターはどうか、ギャグはどうか、いろんなことに苦心惨憺しながら執筆を続けている。まっ、この辺は台本書きならだれでもすることだ。
 
 僕が書くとき心を砕くのは、部員一人一人をどう使うかということだ。まず、キャスティングがある。子どもミュージカルの場合、主役と言えるものははっきりしない。群衆劇と言っていいと思う。だから、出ずっぱりだからと言って主役とは限らない。出ずっぱりの役を与えるのは、まず歌が上手いこと、踊りが上手なことが条件だ。なぜなら、ミュージカルだからだ。本当なら一部の出演者が歌うべき歌も、舞台に出ている者全員で歌う。そうしないと声量がたらない。つまり、出ずっぱりとはバックコーラスっていう意味でもある。ただ、舞台に常に立っているわけだから、役者の華ってことも大切な要件と言える。演技のうまさは、まあ、二の次ってことかな。

 役を振るとき、部員の今の演技力はもちろん、持ち味とか、アピール力とかいろんな要素を考慮する。そればかりじゃない。その部員が今、部内でどんな立場にいるか、とか、どんなことに突き当たっているかとか、性格はどうかとか、いろんなことを考える。だから、本当は全員に美味しい役を付けてあげたい。でも、だれもが長時間出ていたのでは、芝居は超大作になってしまう。

 そこで、キャラクターやシーンや台詞を工夫することになる。短い登場時間でも観客を引き付けるキャラクターとか、受けること必定のギャグシーンをプレゼントしたりする。こいつにはもっと美味しい場面作ってやんなくちゃな、とか、台詞が少ない分だけ、印象の残る台詞書いてやろうとか、要するに、全員がこの舞台に出ることでいい思いができるように気を配っている。

 そんな中で学年の問題もある。能力の違いもなかなか悩ましい課題だ。舞台は実力主義と宣言しているとは言っても、演技といったものは、単純に比較のしようがない。野球の打率のように数字で表したりできない。まして、役者の華、ということになるとこれはもう、主観の問題だ。もちろん、前回の子どもミュージカルのアンケートで人気のあった生徒とかは考慮するものの、人気投票じゃないから、そればかりでは行かない。まして、今年のように1年生の成長が著しいと、これは悩む。

 部活動運営の視点からすれば、上級生が主立った役を占めた方がよいに決まっている。でも、舞台を見てくれる観客には上級生、下級生の違いなど関係ないわけだ。そこで演じている者が気に入って、心地よい舞台であればそれでよい。うーん、難しい。そんなこんなに悩み心揺れながら、台本を書き進めていくわけだ。子どもミュージカルは一年間通した舞台、一人一人が納得行く形で関わって欲しいとお持っている。

 そして、このように書き分けて行くことが、実は僕の一番の部活動指導なのだ。部員に説教したり、全体に注意をしたりということも当然行う。でも、もっとも効果的な指導は、その生徒にふさわしい役を、シーンを台詞を、振っていくことなのだと思っている。

 

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コメントをくれた二人の先輩に

2013-02-12 20:47:27 | 教育
貴重な意見をありがとう。

 お二人の意見の中にはとても大切な話しが幾つもあります。まだコメントを読んでいない人はぜひ読んでください。
ジャージは置農に対する誇りだという指摘、その通りです。置農生はおうおうにして置農生であることを隠したがるのです。その一つのあらわれがあのジャージに対する必要以上の忌避感だと思っています。最近でこそやや和らいできましたが、以前の置農では、自校に対する劣等感は凄まじいまでのものがありました。学力による輪切り教育の弊害です。
タカヒロ君が言うとおり、「さすが置農」、「東北・全国レベル」と自校に自信を持つ、そのためにもジャージをしっかり着ることは大切です。

 それと、ジャージをきちんと着ることが中学生のようで幼稚だと感じる感覚、これもよく見られるところです。この感覚は制服を着崩すのと同じ根っこから発しています。自校ジャージを着ないこと、あるいは他のジャンバーなどを羽織ることで自分が一歩大人びたと感じているのでしょう。この錯覚が私はとても嫌なのです。自分は高校生だし、置農生だという当たり前の現実を隠していったい何が大人なのかと思うのです。すべては、今ある自分を素直に認めるところから始まります。

 人間は自分を見つめることが苦手です。そこには歪んだ劣等感やら言われなき優越感などが常に付きまといます。自分を見失っていれば、自分の先の課題も見えてきません。自分はダメだ!感に沈んだり、自惚れに舞い上がったりして時間を無駄にすべきではありません。まっ、それが高校生なんだってこともわかりますが。そのような色眼鏡を早く外して上げること、これが指導者の一つの任務だと思っています。だから、時には優しく、時にはずばずばと部員達の今を指摘するのです。

 そして、素直に自分を見つめた後は、それでは何が必要なのかを考えることです。その必要なものを手に入れるために何をなすべきかを考えることです。そして、それが見えてきたなら、その行動課題を実践していくことです。だらしない服装や頭髪は、自分のありのままの今を避けていることだと思います。

 最近とても気になっていることに女子生徒の前髪、横髪の問題があります。小顔志向も極端に走り、真っ正面からしか表情が見えない女生徒がほとんどです。これも自分から逃げている姿だと思います。まあ、演劇部員でなければ、苦笑して終わりですが、こんな「顔なし」が置農演劇部にも沢山徘徊しているのです。ダンスや演技の途中でしょっちゅう髪を書き上げたり、横向くとまったく表情が見えないなんて役者は果たして役者と呼べるのでしょうか。もちろん、それを意図した演出ならばべつですが。

 これも自分自身と正面から向き合っていないあり方です。しっかりと髪を上げ、顔をすべてさらして、その上で演技やダンスで勝負!これですよ、大切なことは。

 長くなりました。つまり、服装や装身具、頭髪で自分をごまかすなってことです。そんなことは、社会に出て成長が鈍化してきたら、若さが失われてきたら、考えればいいのです。高校生の今は、ありのままの自分から出発して、精一杯努力を重ねて、自分という中身を豊かにして行くことなのです。目の前の本当の課題を見失わないで欲しいのです。知的能力、感性、人間性、鍛えなくてはならないものはわんさとあります。将来厚化粧で中身の無さを隠さなくても良いように、今こそ自分自身を鍛え充実させていきましょう。それは熟年に達した私にとっても同じ課題です。

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裏方は大切なトレーニング:東北学生音楽祭

2013-02-11 12:27:31 | 教育
 『東北学生音楽祭』も今年で9年目になった。映画『スイングガール』を記念して毎年行われているこの音楽祭も、さすがに9年目ともなると、映画の記憶も薄れ内容もややマンネリ化して集客もままならなくなってきているようだ。

 置農演劇部は例年このイベントを裏方で支えている。今年も受付とピンスポットと舞台転換スタッフを担当した。数年前まではプラザから出る舞台監督も全体をしっかり把握し、さらに演劇部顧問が先頭に立って各ステージの準備を行ってきた。しかし、最近は部員たちにほぼ任せきるようにしている。毎年の行事なので2年生はすでに経験していることと、演劇部の質が上がってきたことによる。

 今年も、受付の責任者に副部長、舞台スタッフの責任者には先々舞台監督をする可能性のある生徒とトラックの積み込み等で中心になる男子生徒の二人を舞台上下の責任者に指定した。この二人がそれぞれの団体の椅子と譜面代の配置をしっかりと頭に刻み込み、スタッフの部員たちを指揮してステージ上を転換する。

 途中慣れないが故に持ち場を離れたり打ち合わせを忘れたりという失敗はあったが、ほとんどミスもなく、見苦しい動きも見られずスムーズに演奏会を仕切ることができた。舞台監督の館長さんはイベントの全体統括が忙しく舞台については演劇部員の方が熟知しているという形で、会館のスタッフとしっかり打ち合わせながら見事に進行することができた。仲間がリーダーということもあって他のメンバーも注意して指示を聞きそれぞれが自分の任務と全体を頭に入れて動けた。

 やはり生徒を信頼し多少のミスには目をつぶりつつ任せて行くということが大切なのだと、当たり前のことを改めて実感することができた。自分たちがするしかないとわかれば、生徒たちはその能力を傾注して任務に取り組むということだ。ただ、誤解していけないのは、放任するということとは違うということだ。常に近くに寄り添い、全員の動きをチェックすることが顧問の役割だ。小さなミスが大きな失敗につながらぬよう指摘して上げることや、時には立場について厳しく注意することも必要になる。

 今回も朝の8時20分の集合・ミーティングから、6時の片づけまで10時間近く、立ったままでの仕事遂行を厳命した。次々に舞台袖に来て待機する出演者にだらしない格好を見せて意欲をそぐことのないようにということ、きりっとした態度で舞台を仕切る姿で演奏者を応援しようという意図からだが、他にもこの程度の立ち仕事を苦にしない精神力と体力を将来のために身に付けてほしいとの願いもある。置農演劇部員の場合ほとんどが将来製造業で働くことになる。その現場はこの程度の立ち仕事は当然のことだからだ。

 昼食の休憩25分間だけ座るという辛い1日だったが、部員全員きつさを乗り越えて仕事しつづけた。以前は見つからぬ所で休んでいたりだらだらと椅子に寄りかかったりという部員も見られたのだが、ここでも、部員の意識の高まりが確実に感じられた。ただ、舞台の途中休憩15分は僕の位置から遠い上手で全員座っていたけど、まっ、そこは見て見ぬふりをした。もちろん、顧問の僕もKも100%立ち放しだった、当たり前だけど。

 こうやって生徒たちは自分自身を鍛えながら、仕事や適切な動き、振る舞い、礼儀、言葉使いを覚えていく。裏方仕事はこの点とても役に立つ職務だと思う。人目につかない部分で、出演者のために行動する。先を見通す力、全体を思い描く想像力、出演者や観客への気配り、舞台スタッフとの適切なコミュニケーション、どれをとっても高校生が普段身に付けにくい力だ。だから、置農演劇部は裏方仕事を嫌がらない。話しがくれば、ためらうことなくお引き受けする。町の夏祭りもこの音楽祭も。今や置農演劇部なくして町のイベントは成り立たないとまで言っていただけるようになった。そのような評価やお褒めの言葉、感謝の言葉が、さらに生徒たちの気持ちを引き締め町や人々に役立つことの気持ちよさを得ていくことにつながっている。

 さて、今年取り組んだ新しい約束事。それは学校指定ジャージの上下でスタッフ仕事を行うということだ。昨年までは黒衣装でよいとしてきた。しかし、これだと黒とは言いながら結構目立つジャンバーやシャツを着てくる者が少なくなかった。高校生のお洒落だ。どんなところでも人と違った格好で目立ちたい、なかなか根強い高校生の志向だ。でも、これでは一切目立つことなく黒子に徹するという黒衣装の意図に反する。裏に徹する時は徹底する。低次元の個性表現など超えたところで骨太の個性を身に付けよう、これが今年のチームの目標でもある。外から見れば多分どうでもいいことのように思われるかもしれない。でも、こういう小さな積み重ねが、定期公演や大会に向けた稽古の中で効いてくる。高校生にとって、集中する!熱中する!ということは、決して当たり前のことではないからだ。常に意識が携帯やお洒落に引きずられる今の高校生、せめて部活動の時間だけでも、その意識を舞台、演劇という一つのことに向ける経験をさせたい。そのために、傍目にはくだらぬことにも気配りしていかねばならないものなのだ、高校の部活動というものは。


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校内公演満員御礼

2013-02-05 22:39:34 | 教育
 校内公演、なんと満員御礼だった。数年前からは信じられない。以前は、演劇部3年生と先生方とその他数名なんてお寒い状況だったからね。しかも大いに笑ってくれた。熱心に見てくれた。

 部員たち救われたと思う。今回も作品は二本、『ごはんの時間2』と『桜井家の掟』だ。どちらも校内公演で取り上げたことのある高校演劇の定番的作品だ。『ごはんの時間2』のチームは比較的順調で、台詞の入るのも早く入念に仕上げることができたのに対して、『桜井家の掟』チームはインフルエンザ攻撃をまともにくらってしまった。どうにかキャスト全員がそろうようになったのは1月の半ば過ぎ。さらにチーム内のごだごたなんかもあって大きく出遅れてしまった。台詞も入らず、道具も揃わず、衣装も最後の最後までもめた。しかも、僕の見るところキャスティングも上手くなかったように思う。だから、もう最後は勢いで一気に乗り切れ!って激励した。

 ところが、いざ開場となると、どかどかと観客が集まりだして、用意した椅子は足りない、プログラムも急遽開演5分前に増す刷りするという有様となった。中には練習を休みにして来てくれた運動部の生徒たちもいる。もちろん、吹奏楽部は全員参加してくれている。3年生で自由登校なのに見に来てくれた生徒もいる。こうなると舞台もいやが上にも盛り上がる。さらにさらに、芝居が始まるや否や、爆笑、爆笑、大爆笑の連続。ええーっ?そんなに面白いか?ってこっちがつっこみ入れたくなるほどの馬鹿受け状態となった。まさしく幸せな舞台と観客の一体感が生まれていた。

 正直に言って上手くはない。配役も台本を生かす設定にはなっていない。それでもこの大受けはなんだったのか?理由の一つは観客の暖かさだったろう。斜めに構えて揚げ足を取るなんて皮肉な観客はまったくいない。みんなが待っていてくれた。そして、笑いたくて来ていた。置農の生徒、変わったなぁ!これが一番の感想だった。先日のサントリー地域文化賞受賞記念の子どもミュージカルの公演もそうだった。子ども向けの舞台であっても、以前のしらーっとした感じはまったくなくて、素直に楽しみおおらかに笑いゆったりと受け入れてくれていた。ああ、置農生、一歩大人になったなぁ!これが最初の印象だった。

 それにしてもこの大爆笑はなんだ?役者が上手いかどうかなんてどうでもいいこの笑い。よくよく考えてみて、なるほどな、この台本と観客の生徒たちの笑いのツボがぴったり合わさったってことなんだ。妄想ゲームに明け暮れる永久処女の長女と三女
とか、暴走族上がりの姉に年下でか弱い優等生の恋人とか、暴走族も軽く手玉に取る奥さんとか、まず設定がかなりのナンセンスだ。言葉のギャグもかなり大袈裟なものだ。例えば、この暴走族上がり少女は、「お返事」を「あ返事」と書き、「わたしは」を「わたしね」と書く。つまり、わの文字が書けないってこと。まっ、今時の日本では到底あり得ないナンセンスさだ。この台本の突拍子のなさが、今回の観客にぴったりフィットしたってことだ。

 逆に『ごはんの時間2』の方はギャグが不発の部分が目立った。上手く行っていたのは、男2人、中でも専業主夫を目指す吉田君の極端な男女ぶりだった。そりゃ受けるだろう。でも、その笑い、信じていいのかな?笑いにも様々ある。バナナの皮を踏んでひっくりかえる人間を笑うのも笑い。心の機微のちょっとしたずれに微笑むのも笑い。

 終演後、生徒たちにはこう話した。とても温かい観客に恵まれて本当に良かった。やったぜ!感はきっと一生の宝になるだろう。でも、笑いが多かったから勝ちってことではまったくない。芝居はコントや漫才とは違う。伝えるべきものが、観客にしっかり届いた時、その舞台は成功したと言える。笑いは当然欲しい。でも、それが最終目的になっては行けない。さらに、笑いには質の違いがあるってことも忘れてはならない。

 とは言っても、満員御礼!大爆笑!!は何と言ってもありがたいし、嬉しいことだね。



 

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