ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

これぞ天啓!:50(歳)を過ぎたら板(舞台)地獄④

2007-04-08 21:43:27 | 演劇

 置農百周年記念演劇に出会ったことも、かなり運命的だったけど、翌年、春、川西町フレンドリープラザが演劇学校を開校したことは、グサッと致命的だった。ほんと、ああ、これぞ神様のお導きって思ったから。新聞に記事が載ったその日のうちに、どきどきしなが申し込んだ。

 開校初日、これが、すごい人気だった。なんせ、80人以上も集まったんだからね、驚くよ。それも、ラジオで朗読の番組を担当している声優?さんとか、舞台経験豊富なアマチュア劇団員とか、大学演劇サークル出身者とか、高校演劇部顧問とか、もう、バリバリの人たちがそろっていた。もちろん、主体は僕みたいな未経験者で、高校生もいた。仙台から来た人、鶴岡からの人、山形市なんて、近くていいね、ぐらいの話しだった。

 この80人で、役を取り合うのかと思うと、もう、ダメ!卒業まで、セリフもらえねえな、って真剣に落ち込んだ。それに、稽古に入ってみると、これがまた、みんな上手なんだ。うわーっ、プロみたいって感心して眺めてた。もう、ダンスのレッスンなんて、無我夢中の支離滅裂、艱難辛苦の七転八倒って有様。なんじゃ、それ?

 ところが、初回80名を越えた参加者も、2回、3回と回を重ねると、脱落者続出、夏を過ぎる頃には、40名弱まで減っていた。いやあ、やっぱりつらいよ、月に一度と言っても、金曜夜から土曜一日、日曜3時までってのは。よほどの覚悟か、物好きか、暇人じゃないと続かなかったってことだね。僕はいったいどの部類か?まっ、最後じゃないのはまちがいない。

 それにしても、この人気、いったい何だったんだろう?井上ひさしさんが校長だったってことは、当然、大きい。レベル高いぞ、って期待も一部にあった。井上さんの肝いりで、その道のプロが、いろいろ教えてくれるってことにもなっていたから。それに、田舎町のホールが主催ってことも、物珍しさで人を呼んだと思う。さらに、地域開放型だった、ってことも大いに意味有りだ。地域限定・住民参加型なら珍しくもないが、プラザの演劇学校のように、どこからだって、いらっしゃい、は珍しいし、魅力的だったんだと思う。

 さて、40名に減った。ちょうどいいんじゃない?、う~ん、これなら、僕の出番も見つかるかも、ちょっぴり期待、大いに不安。だって、上手い人、まだまだ残ってるんだもの。この人たちと一緒にできるの、本当に?

 

 

コメント (4)
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