大会作品『漂流』の台本が完成した。
まさか、こんなにスムーズに行くとは思わなかった。書き始めて一週間だ。これは記録的な速さだ。
この作品のことを考え始めたのは、4月頃か。それからずーっと考え続けていた。津波のこと、その行方不明者のこと。でも、書き始められなかった。そんなこと僕が書いていいのかどうか、迷った。書けるかどうかも自信がなかった。ミュージカルにしたらと思いついたのはいつ頃だろう。僕なりのレクイエムにしたいと思った。
ぐすぐずと悩みつつ、ずるずると日が経過して、どう考えても今の状況では他の題材など書けるわけがないと気づいて踏み切れた。
こんなに早く書けたのは、楽曲先行で取りかかったからだ。作曲をお願いする以上、歌詞を上げなくてはならない。台本は出来ていないので、せめてあらすじを丁寧に作る必要がある。歌がどんなシーンでどのような役によって、どんな気持ちで歌われるのか、作曲の知野さんに伝えなくちゃならなかったから。
歌詞を渡し、あらすじを何度かメールで送ったら、思いがけず早く楽曲が上がってきた。内容から言ってどうしても難しい曲になってしまうから、1日でも早く練習に入ってほしいという要望だった。
これで尻に火がついた。すでに歌詞は出来ている。それをはめ込む流れもほぼ完成形だ。とすれば、後はその合間を埋めていく操作だけ。でも、これがきっと難しいと感じていた。
漂流する漁船、そこに乗り合わせた死者の魂たち。せりふのある登場人物だけで17役(役者15人)。そこには明治29年の津波の死者もいれば、昭和8年の死者もいる。さらに一説に津波で竜宮城にたどり着いたという浦島太郎。太郎が出れば当然乙姫や鯛や蛸の侍女たちもいて、ついには南海の普陀洛浄土を目指す渡海上人もいるなんて突拍子のなさなのだ。すんなり書けるはずがないって思っていた。
なのに、なのにの一週間だった。少し遊びに走った部分はあるが、全体にたるみのない作品が書けたと思っている。もっと深刻に掘り下げて描写するという方法もあったのかもしれない。でも、ことの重大さなら、現実に起こったことにはかなわない。舞台には舞台の表現があるはずだと思った。テレビや新聞で取り上げられないシーンや言葉を書こうと思った。
この作品が被災された方々にどう受け止められるのか、まったく自信がない。甘いの一言で終わるかもしれない。心に達しないと軽蔑されるかもしれない。でも、書いた。後は舞台を立ち上げていく。この舞台制作を通して、生徒ともども被災の意味を死者の心を辿っていきたいと思う。